第126話 王都へ

「……さて、式典と晩餐会のために王都に行くときの人選だけど」


 ノエインは従士長ユーリと従士副長ペンスを前に、そう切り出した。


 季節は6月。冬撒きの麦の収穫が始まる時期であり、収穫された麦から税を徴収し、それを現金化するという大仕事を終えれば、式典と晩餐会のために王都へ出発することになる。


「今回は俺たち元傭兵組の同行が難しいですからね」


「特に俺は絶対に無理だな」


 ペンスとユーリがそれぞれ答える。


 今回ノエインは、ほぼ確実にマクシミリアンと顔を合わせることになるだろう。過去に傭兵団長としてマクシミリアンから雇われ、彼の領軍騎士を斬り殺して部下たちと逃走した張本人であるユーリが付いていくなどもっての外だ。


 また、マクシミリアンの護衛には騎士が付くであろうし、彼の行き帰りの護衛部隊としてキヴィレフト領軍兵士も王都にいるだろう。騎士や兵士に顔を覚えられているかもしれないペンスたちもノエインに同行すべきではない。


「そうなんだよねー、僕の側近の従士が誰も付いてこれないなんて……御者はヘンリクが、世話係はメイドの誰かが務めてくれるとして、護衛の隊長の人選に困るよ」


 北西部の端にあるアールクヴィスト領から王都までは片道およそ2週間。護衛として領軍から5、6人ほどが付くことになるが、その隊長を誰が務めるかが問題だった。


 護衛隊長はおそらく晩餐会にも同行することになる。相応の立ち振る舞いを求められるわけで、誰でもいいわけではない。


「それなんだが……ダントはどうだ?」


「俺もあいつを推薦しますね」


 二人が揃ってそう提案する。元々はエドガーとともに初期の移民としてやって来たダントだが、今では領軍兵士たちのまとめ役となっていた。


「なるほど、ダントか……護衛としての実力は申し分ないね」


「ああ、それに他の兵士の見本になれるようにと、軍人としての振る舞いや言葉づかいも俺が叩き込んでる。あいつはもう田舎の農民じゃない。立派な士官だ」


 ユーリがそう断言する。横でペンスもそれに頷いた。


「二人ともダントがおすすめみたいだけど、リックの方はどうなの?」


「あいつも申し分なく士官を務められるくらいに優秀だが、どちらかというとクロスボウやバリスタの射撃班長としての能力を開花させてるからな。あいつにはこのままその方面に経験を積ませたいし、領に残らせたい。隊の責任者として俺たちが勧めるのはダントの方だ」


「そっか、ユーリたちがそう言うならダントで決まりかな」


 領軍の運営実務についてはユーリたちに一任しているノエインだ。兵士たちのことは彼らが一番知っている。その彼らが言うのなら間違いないだろう。


・・・・・


 夏も後半に差しかかり、冬撒きの麦の収穫や納税が終わって、ノエインが王都へと発つ日が来た。


 今回はマチルダ、クラーラ、護衛隊長のダントと数名の兵士、御者のヘンリク、世話係としてメイドのキンバリーが同行する。総勢は10人以上になるが、これは大きな行事へ向かう下級貴族の一行としてはごく普通の規模だ。貴族の旅は人手と金がかかるものである。


「ノエイン様……いえ、士爵閣下。このダント、護衛隊長として身命に代えても閣下と奥方様をお守りいたします」


「よろしく頼む。君の働きに期待しているよ」


 びしっと敬礼しながら覚悟を示すダントは、ユーリたちの言う通り立派な士官であった。そんな彼にノエインも領主として言葉を返す。


 間もなく出発ということもあって、部下たちもノエインの見送りに集まっていた。


「帰りはなるべく急ぐけど、一か月半は領を空けることになるから。僕たちが留守の間はよろしくね、ユーリ」


「お任せください閣下。領主代行として全力を尽くします……まあ、こっちは何事もないだろう。心配するな」


 ノエインもクラーラも領を空けるとなれば、最高責任者になるのは従士長のユーリだ。


「いいですか、メアリー、ロゼッタ。屋敷の主である領主ご夫妻が不在になるとはいえ、屋敷ではダミアンさんやクリスティも暮らしていますし、従士の方々の出入りもあります。従士長様も執務室へ毎日ご出勤されるでしょう。気を抜かず仕事に励んでください」


「分かってますっ、メイド長!」


「お任せください~」


 ノエインたちの傍らでは、領主夫妻の世話係として同行するキンバリーが残るメイド二人に訓示を与えていた。それに二人もしっかりと応える。


「……それじゃあそろそろ出発しようか」


「はい、ノエイン様」


「はい、あなた。参りましょう」


 マチルダが馬車の扉を開け、そのまま彼女に促されてクラーラが馬車に乗り、ノエインも続く。その際に御者を務めてくれるヘンリクに声をかけた。


「ヘンリク、長旅になるけどよろしく頼むね」


「分かりましただ、ノエイン様」


 愛嬌たっぷりに笑って答えるヘンリクにノエインも微笑むと、馬車に乗りこんで座席に座った。その後はキンバリーが、最後にマチルダが乗車し、扉を閉めてノエインとクラーラの向かい側に座る。


 クラーラとマチルダによると、道中では交代でノエインの隣の席に座ると決めているらしい。


 部下たちに、そして領民たちに見送られ、アールクヴィスト士爵家の一行は王都へ向けて出発した。


・・・・・


 ロードベルク王国は王都と各地域の中心都市が大きな街道で結ばれており、それぞれの街道には建国初期に英雄的な働きをした諸侯の名がつけられている。


 ノエインたちは一度ベヒトルスハイム侯爵領の領都ベヒトリアまで移動した後、ベヒトリアと王都リヒトハーゲンを結ぶラディスラフ街道を進んでいた。


「……ここまでに通った街や村だと、戦争の影響はあまり見られないんですね」


「そうだね。僕たちが北西部と中央部を繋ぐ主要街道を通ってることもあるんだろうけど」


 アールクヴィスト領を発っておよそ一週間。今日泊まることになった都市の、一フロアを丸ごと借り上げた小さな宿の一室で、クラーラとノエインはそんな会話を交わす。


 王国南西部では分かりやすく治安の悪化した地も多かったが、王国中央に続く大きな街道沿いは栄えやすいということもあり、今回のノエインたちの道中では悲惨な光景は特に見られない。


 それでも食糧や金属製品は値上がりしているので各家庭レベルでは困っている者も多いだろうが、少なくとも路頭に迷う者が続出するほどの事態には至っていないようだった。


「出征のときに通った南西部の方だと、やっぱり目に見えて治安が悪化してるところも多かったよ……ねえマチルダ?」


「はい。浮浪者や孤児が路上に座り込み、市場が閑散としているような光景も見ました」


「そうですか……どうしようもないこととはいえ、多くの人が不幸になっているのは悲しいですね」


 クラーラも貴族として教育を受けているので現実を理解してはいるが、それでも民の不幸を憂いてしまうのは本人の優しい気質があってこそだろう。


「ジャガイモが国の各地に広まっていけば、この状況も改善されるんだろうけどね……だから、他地域の民とはいえ、彼らのために僕たちにできることが皆無ってわけじゃないよ」


「……それなら、よかったです」


 ノエインの慰めに少しほっとした表情を見せるクラーラ。


 実際は、戦略物資になり得るジャガイモの独占を、北西部閥が早々に止めることはない。王家にまで秘匿することはないだろうが、他の地域閥には進んで広めようとはしないだろう。


 なので、他地域にジャガイモが広まるとしても年単位の時間がかかる。ノエインも当然それを理解しているが、あえて今そこまでをクラーラに語ることはない。


「この調子なら、王都には予定より少し早く着くかもね」


「ええ、私も王都は久々なので、楽しみです」


 やや暗くなった空気を払おうとノエインが話題を変えると、クラーラも努めて声を明るくしてそう返した。


・・・・・


 また一週間が経ち、道中何事もなく一行は王都へと到着する。


 王都リヒトハーゲンは、人口15万を抱える王国最大の都市だ。王城や大小いくつもの館を擁する広大な王宮、宮廷貴族たちの屋敷や有力地方貴族たちの別邸が並ぶ貴族街、全国規模の大商会の本拠、さらには無数の工房や商店、宿や家々が立ち並び、その威勢は他のどの都市をも凌駕する。


「……」


「驚いたかい、キンバリー?」


「……はっ、し、失礼いたしました」


「あはは、いいさ。王都を見るのは初めてだっただろうからね」


 馬車の窓の外に広がる光景を見て、珍しく呆けた顔をしていたキンバリーにノエインは言った。生まれは田舎の町娘である彼女にとって、巨大な王都はまるで異世界のように映っていることだろう。


「僕たちにとっては3年半ぶりの王都だね、マチルダ」


「はい。ノエイン様がアールクヴィスト領へと移動される際に立ち寄って以来です」


「あのときはまだ先行きが見えない不安もあったけど、王都滞在はけっこう楽しかったよね」


 15歳で成人するとともに生家から縁を切られたノエインは、マチルダとともに南東部から自領のある北西部まで生まれて初めての旅をした。馬型ゴーレムの引く荷馬車に揺られながらの旅だった。


 その際に王都を経由し、当時は真冬だったこともあって数週間ほど滞在したのを二人とも思い出す。


「私は幼い頃、お父様が社交で王都へ行かれる際にお願いをして連れて行ってもらったことが二回ほどあるだけですが……大人になってあらためて来ると、その栄えぶりがどれほど凄まじいか実感できますね」


「自分たちが領地を運営する身になると、特にね」


 王都の熱量にやや気圧されたような表情のクラーラの言葉に、ノエインも微苦笑を浮かべて賛同した。


 そうして話している間にも、護衛のダントたちに先導された士爵家馬車は王都内の大通りを進んで貴族街に入り、ノエインたちの滞在先――ケーニッツ子爵家の王都別邸へと到着する。


 新興の下級貴族であるノエインは、当然ながら王都に別邸など持っていない。貴族街にはノエインのような貴族のための高級宿もあるが、せっかく義理の父であるアルノルドの屋敷があり、泊まってはどうかと彼に言われたことから、厚意に甘えることにしたのだ。


「ノエインさん、クラーラ。長旅で疲れたでしょう。お部屋の準備はできているから早速お入りなさいな」


「ありがとうございます、エレオノール様」


「お世話になります、お母様」


 屋敷でノエインたちを出迎えたのは、アルノルドではなく妻のエレオノールだった。地方有力貴族であるアルノルドは、繋がりのある宮廷貴族への挨拶回りなどで忙しく不在らしい。


 こうして、およそ二週間の旅を終えたノエインたちの王都での社交が始まる。

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