第114話 結末

 フレデリックが「持ってあと2日」と語ったまさにその2日後の午後、戦いの終わりは突然に訪れた。


 バレル砦の防衛部隊がこれまでと同じようにランセル王国軍と矢の応酬をくり広げていたところ、物見台で周囲の様子をうかがっていた見張りの兵士が叫んだのだ。


「南より騎兵部隊が接近してきます! 数はおよそ200!」


 それを聞いたフレデリックは訝しげな表情を浮かべ、城壁の上に上がる。ノエインもマチルダを伴ってそれに続く。


「敵の増援か? にしてもなぜ騎兵部隊がこんなところへ来る?」


 野戦では騎兵突撃が勝敗を決することもあるが、攻城戦においては騎兵を多く揃えても効果は薄い。それが200もこの場に来るのは不自然だ。


「いえ、あれは……おそらく味方ですな」


 城壁の上で獣人たちを指揮していたユーリが、フレデリックにそう返す。


 その言葉通り、騎兵部隊は勢いを殺すことなく走り続けており、砦の前に布陣したランセル王国軍へ突撃しようとしているようだった。対するランセル王国軍も、慌てたように迎撃準備をしている。


「何だと!? ……確かに味方だな。先頭を駆けるあの鎧はマルツェル伯爵閣下のものだ」


 フレデリックも目を凝らして騎兵部隊の方を見ながら言った。


「ということは……」


「……ああ。我々の勝ちだ」


 北西部閥が誇る生粋の武人であり、上級貴族であるマルツェル伯爵は当然ながら本隊に配置されている。その彼が隊を率いて要塞地帯を走っているということは、南の平原でくり広げられていた主力同士の戦いは既に終わったということだ。


「皆の者! 味方の援軍が来たぞ! 我々の勝ちだ!」


 フレデリックが砦の中に向けて叫ぶ。すると、兵士たちはこれまでで最も大きな歓声を上げる。砦が揺れるのではないかと思うほどの大声だ。


 一方のランセル王国軍は、もはや砦の攻略どころではない。慌てた様子で撤退準備をしながら、隊列の南側に位置する兵士たちは騎兵部隊に向けて散発的に矢を放ち始めた。


「味方の突撃を援護しろ! 敵にクロスボウの矢を浴びせてやれ! もう残りの矢を惜しむ必要はないぞ!」


 その指示を受けて、獣人たちは嬉々としてクロスボウを構え、残りわずかな矢を撃ち尽くす勢いで射撃を開始する。騎兵部隊に対応しようとするランセル王国軍の邪魔をするように矢が敵陣を襲う。


 さらに、砦の門が開かれてバリスタからも矢が飛ぶ。通常弾も残りの爆炎矢も惜しみなく放たれる。


 こうした妨害に阻まれて、ランセル王国軍は突っ込んでくる騎兵部隊への対応が遅れる。弓兵の抵抗は散発的なものにしかならず、盾や槍を並べて壁を作ることもままならない。


 それから間もなく、フレデリックが射撃中止の命令を下す。その直後、敵陣の横っ腹に騎兵部隊が突入した。


 200の騎兵が質量の壁となってランセル王国軍を押し潰す。増援に増援を重ねて1500を数えるまでに膨れ上がっていた軍勢も、ろくに戦列も組んでいない歩兵ばかりでは騎乗突撃を受け止められるわけがない。


 騎兵の蹂躙を受けたランセル王国軍は、物資も、武器すらも放り捨てるようにして這う這うの体で逃げていった。


 ロードベルク王国軍の騎兵部隊がそれを深追いすることはない。敵の壊走を見届けた200の騎兵は、そのまま砦の門の方へと馬を進めた。


 彼らが入場できるように、ノエインは領軍兵士に命じて門の前に設置したバリスタを移動させる。そこへ騎兵部隊が堂々の入場を遂げる。


「マルツェル閣下! 助太刀に感謝いたします!」


 騎兵たちの先頭に立って砦の中に入ったマルツェル伯爵に、防衛部隊の代表としてフレデリックが声をかける。


「お前は……ケーニッツ卿の嫡男か。そう言えば王国軍に所属しているのだったな。ここの配置だったか」


 フレデリックを見下ろしながらマルツェル伯爵が言った。ただ高価なだけでなく実用品としても上質なのが分かる板金鎧を纏った伯爵は、鋭い目も合わさっていかにも歴戦の武人らしいオーラを放っている。


「マルツェル閣下、ありがとうございます。おかげさまで命が繋がりました」


 フレデリックに続いてノエインも彼に近づき、礼を述べる。


「……ちっ。貴様もここの配置か。別に貴様を助けるために来たわけではない。ベヒトルスハイム閣下の命だ」


 ノエインを見たマルツェル伯爵は舌打ちをして、露骨に顔をしかめた。


「もちろん理解しています。ですが私も命を救われたことに変わりはありませんので」


「……相変わらずだな、貴様は。戦場にまで奴隷を連れおって」


「恐縮です」


「褒めてはいないぞ」


 面倒そうに吐き捨てて愛馬から降りたマルツェル伯爵は、ノエインとは話したくないと言わんばかりに顔を逸らしてフレデリックの方を向いた。


「先にも言ったが、ベヒトルスハイム侯爵閣下の御命令でバレル砦へと救援に参った。本隊の戦闘が長引いたためどうなっているか心配していたが……十分に持ちこたえたようだな。貴殿らの奮戦に敬意を表する」


「はっ。あらためて感謝申し上げます……我々が持ちこたえたのは、ノエイン・アールクヴィスト士爵閣下による戦術と、一騎当千のご活躍があったからこそです」


 敬礼しながらフレデリックが言うと、マルツェル伯爵は少し驚いたように、思わずといった様子でノエインを見やる。ノエインの後方に控えるゴーレムを見て、納得したような表情に変わる。


 ノエインは何やら嬉しそうな目でマルツェル伯爵を見る。


「……そうか。アールクヴィスト卿。よくやった」


「お褒めに与り光栄です」


 渋々といった様子で賞賛を送ったマルツェル伯爵は、ノエインがニッコニコで敬礼してきたのを見て後悔したように顔をしかめた。


「本隊の戦いが長引いた件だが――」


「はっ。おおよそのことは、戦闘の中で捕らえた敵より聞き出しました」


「そうか。ならば説明は不要だな。敵は野戦陣地を構築し、姑息にも時間稼ぎに徹していたが、ロードベルク王国軍の本隊は圧倒的な戦力で着実に敵の抵抗力を削り、ついにはこれを打ち破った。その後、要塞地帯への救援の先鋒として、我ら騎兵部隊が来たのだ」


 マルツェル伯爵によると、今頃は他の砦にも救援や、敵に占拠された砦には攻略部隊が向かっているという。


「砦を奪った敵も、本隊が敗れたとなればろくに抵抗もせず逃げ出すだろう。これで戦は終わりだ。お前たちも引き上げる準備を……いや、まずは休め。追加の食糧ももうすぐ届くはずだ」


 疲弊した様子のバレル砦防衛部隊を見回して、マルツェル伯爵はそう言った。


・・・・・


 周辺の警戒や戦場の後片付けを救援部隊に任せ、バレル砦の防衛部隊は実に一週間以上ぶりのまともな休息に入る。


 マルツェル伯爵の言葉通り、その日のうちには輜重隊によって食糧も届き、久々にまともな量の食事をとることも叶った。


「……生き残ったね、マチルダ」


「はい、ノエイン様」


 腹を満たし、贅沢にもお湯で全身を拭いたノエインは、そう言いながら本部建物の自室でベッドに倒れ込む。


 戦闘中はできるだけ起きてゴーレムを動かさなければならなかったので、ゆっくり寝転がるのも久しぶりだ。


 同じようにお湯で全身を清めてベッドの端に腰かけたマチルダの手を引いて抱き寄せると、自分が今この世で生きているのだという実感を彼女の体温から得ることができた。


 戦場にいる限り恋人としてマチルダに触れることはしないと決意していたノエインだったが、その夜は少し公私混同をして、彼女を抱き締めて眠った。

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