第85話 披露宴
ロードベルク王国の風習では、庶民の結婚はあっさりとしたものだ。
せいぜいが身内やご近所さんを集めて宴会の席を用意する程度。信心深い者は、最寄りのミレオン聖教会で司祭に簡易の儀式を執り行ってもらう。
しかし、貴族同士の結婚となれば話は別だ。教会では略式でなく正式な婚姻の儀式を執り行い、その後は縁のある貴族たちを招いて披露宴を開くことになる。
ノエインとクラーラの結婚も例外ではない。午前中は親族であるアルノルドとエレオノールとともにレトヴィクの教会を訪れ、厳かに儀式を執り行ってもらった後、正午からは晴れて夫婦となったことを披露するため、ケーニッツ子爵家の屋敷で祝いの席を設ける。
北西部の重鎮の一人であるケーニッツ子爵の娘と、新興の有力貴族であるアールクヴィスト士爵の結婚ともなれば、披露宴の規模はなかなかに大きい。参列者として北西部閥の主だった貴族や、ケーニッツ子爵家の寄子となっている下級貴族たちが、総勢で数十人も集まっている。
急ぎ決まった結婚ということもあって、当主の都合がつかず来られない家もあった。その場合はその妻や子どもが名代として参列している。
「アールクヴィスト卿。そしてクラーラ嬢。この度の卿らの結婚、誠にめでたく思う」
「御祝いの言葉を賜り恐悦至極に存じます、ベヒトルスハイム侯爵閣下」
「私どもの披露宴にお越しいただき、心よりお礼申し上げます」
披露宴が始まってまず行われるのは、参列者たちによる本日の主役への挨拶。数十人の参列者から次々に祝いの言葉を贈られ、一人ずつに謝辞を述べるため、新郎新婦にとってはなかなかにきつい挨拶マラソンになる。
祝いの挨拶は家格順に行われるのが基本であるため、最初に言葉を交わすのはこの場で最も爵位の高いベヒトルスハイム侯爵だ。
侯爵からかけられた祝いの言葉に、ノエインは落ち着いた表情で、一方のクラーラはやや緊張した面持ちで応える。
「つい先日、卿らが婚約したという話をケーニッツ卿から聞いたばかりだったのにな。それから幾月も経たずに結婚とは驚いたぞ」
「私たちの我が儘で急な結婚となり、ご列席いただいた閣下にもご迷惑をおかけしたことと思います。申し訳ありません」
「よい。思い立ったらすぐに動く行動力もまた若者の特権よ。それに、歴史ある大貴族家と将来有望な若手貴族が結びつくのは北西部閥の盟主としても喜ばしいことだ……此度の卿らの結婚を聞いて、先を越されたと悔しがっている者もいるだろうな」
からかうように笑うベヒトルスハイム侯爵。
自分の娘をノエインにくっつけてアールクヴィスト家と親類になり、あわよくば北西部での存在感を高めようと考えていた中小貴族は多いだろう。彼らにとって、ノエインとクラーラの突然の結婚は寝耳に水だったはずだ。
二人の急ぎ足の結婚をアルノルドが許可したのは、他貴族の茶々入れを受ける前にとっとと婚姻を成立させてしまいたかったという思惑もおそらく含まれている。
「まあ何だ。結婚を急ぐほど関係が良好なのは喜ばしいことだ。貴族家当主とその妻として務めを果たすことはもちろんだが、夫婦として仲睦まじくな」
一人目があまり挨拶で時間を取るのもよくないと考えたのか、ベヒトルスハイム侯爵は最後にそう言うとその場を離れた。
次に祝辞を述べにきたのは、マルツェル伯爵の名代の青年。伯爵の長男だという彼は、父親に似て鋭い目をしたいかにも武人らしい男だった。
しかし、マルツェル伯爵ほど保守的な人物ではないのか、横にクラーラを、後ろにマチルダを従えたノエインを見ても露骨に不快感を表すことはなく、無難に祝いの言葉を述べて離れていく。
彼によるとマルツェル伯爵は多忙のため息子を名代に寄越したとのことだが、単に自分と会うのが嫌だっただけではと思ってしまうノエインだった。
その後に三番手として続いたのが、王国北西部と中央部を繋ぐ要所に領地を構えているシュヴァロフ伯爵だ。
「昨年末の晩餐会以来ですな、アールクヴィスト卿。そしてクラーラ嬢も、あなたがまだ幼い頃にお見かけしたことがありますが、とてもお美しくなられた。この度のお二人のご結婚、同じ北西部閥の同志として嬉しく思いますぞ」
伯爵は柔和な笑みを浮かべて、貴族としては格下にあたるノエインとクラーラに対しても丁寧な口調で祝辞を送る。
「温かいお言葉をいただき感謝申し上げます。若輩の身ではありますが、今後も北西部閥の一員としてこの地の発展に貢献できるよう尽力いたします」
「私も、貴族の妻としてはまだまだ未熟ですが、夫を支えていけるように努力します」
「これは頼もしい。私のような年寄りが力になれることがあれば、いつでも何なりとご相談ください」
そう優しげに言うシュヴァロフ伯爵。しかし、王国中央部の貴族や商人と巧みに渡り合い、北西部の経済を支えてきた人物であるためか、その目にはこちらを深く見通すような静かな迫力がある。
同じ派閥の味方として頼もしく、しかし底知れない恐ろしさも感じられる彼の視線を、ノエインは少し緊張しながらもしっかり受け止めるのだった。
・・・・・
その後も参列者の挨拶が続き、順番としては半ば頃にやって来たのが、ノエインの心からの友人と呼べる人物だった。
「アールクヴィスト卿、それに奥方も、この度は結婚おめでとう」
「オッゴレン男爵閣下! お久しぶりですね、ご列席いただきありがとうございます」
「いやいや、友である君のためなら馳せ参じるのは当り前だよ」
小太りの腹を揺らし、人の良さそうな笑顔を見せるオッゴレン男爵。その後ろには以前の晩餐会でも連れていた猫人の奴隷ミーシャが立ち、さらに男爵の横には彼に勝るとも劣らないふくよかな中年女性が並んでいる。
「アールクヴィスト卿、紹介するよ。私の妻のバネッサだ」
「初めましてアールクヴィスト閣下。夫からお話は伺ってますわ」
「お初にお目にかかります。ご夫妻揃ってのご列席、感謝いたします」
貴族の結婚披露宴では、当主かその妻、あるいは兄弟や嫡子の誰か一人が参列すれば失礼にはあたらないとされている。
一度会っただけのノエインの披露宴にわざわざ夫婦で参列するのは、よほどの友好の証と言えるだろう。
「晩餐会から帰って以来、夫が何度もあなたの話をするものですからねえ。どんなお方か一度お会いしたくて私まで参列させていただいたんですのよ」
そう話しながら笑うオッゴレン夫人と横に立つ男爵は、とても夫婦仲が良さそうに見える。男爵が愛玩奴隷のミーシャを連れているにも拘らず。
よく見ると、オッゴレン男爵は左手の薬指に同じ結婚指輪を二つ付けている。そして、夫人とミーシャの指には指輪が一つずつはめられていた。
ノエインが彼らの指に視線を向けている一方で、オッゴレン男爵も同じようにノエイン、クラーラ、そしてマチルダの指を見る。
「……ふむ、やはりアールクヴィスト卿も私と同じようなかたちで妻と奴隷それぞれに愛を示したのだね」
「それでは、オッゴレン閣下も?」
「ああ、もう10年以上前になるな……私が成人する前から連れていたミーシャと、成人後に出会ったバネッサ。二人ともに平等に愛を誓うため、それぞれに同じ指輪を贈ったのだよ」
「そうだったのですか……」
懐かしそうに昔話を語るオッゴレン男爵に、ノエインは深く共感しながら頷く。
獣人奴隷を愛し、一方で貴族として妻を迎える男がたどり着く愛の証明方法は、時と場所が違えど同じようなものらしい。
「それからも、私とバネッサとミーシャは仲睦まじく暮らしている。なあ、二人とも?」
「ええ、私にとってミーシャは妹のようなものですし、一緒に夫を支える同志でもありますのよ」
「旦那様と奥様に可愛がっていただき、ミーシャは自分が世界一幸せな奴隷だと感じております」
男爵の問いかけに満面の笑みを浮かべて応える夫人とミーシャ。
ミーシャの「世界一幸せな奴隷」という言葉を聞き、マチルダがピクッと耳を揺らして反応したのがノエインには気配で分かった。対抗心を抱いたのだろうか。
「私とクラーラとマチルダも、あなた方のように幸せな関係を育んでいけるよう努めます」
「ああ、君たちがそうなるよう願っているよ。今は紛争やら何やらで情勢も少しばたついているが、落ち着いたらぜひアールクヴィスト領に遊びに行かせてくれ」
「もちろんです閣下。心よりお待ちしています」
似たもの同士で話が盛り上がってやや長くなったものの、ノエインはこのようにオッゴレン男爵との挨拶を終えた。
・・・・・
「アールクヴィスト卿、クラーラ。疲れたであろう」
ようやく挨拶合戦を終えたところに、新婦の両親としてこちらも貴族たちとの挨拶に追われていたアルノルドとエレオノールがやって来た。
「ええ、さすがに……」
「これほどお礼の言葉をくり返したのは人生で初めてです……」
主役としてにこやかに挨拶をしていると、否が応でも精神を消耗する。さすがのノエインも顔には疲れの色が浮かび、隣のクラーラは脳内で「お礼申し上げます」がゲシュタルト崩壊を起こしていた。
疲れた様子の若い二人を見て、ベテランの貴族夫婦は揃って苦笑する。
「新郎新婦が挨拶疲れを起こすのは、貴族の披露宴ではよくある光景だな」
「挨拶も終わったことですし、クラーラはご婦人方と少し話しに行きましょうか」
「ま、まだお話ししないといけないのですか? お母様」
「大丈夫、私が傍についていますから。あなたはワインを片手に笑っていればいいわ……アールクヴィスト閣下、クラーラをお借りしますね」
「……ノエイン様、行ってまいりますね」
「分かりました。それではまた後で、クラーラ」
エレオノールに引っ張られていくクラーラを見送り、ノエインは酒の杯に口をつけて息を吐いた。
「……クラーラは君と一緒にいると楽しそうだ」
アルノルドがぼそりと呟く。
「はい。おかげさまで、心を許してもらえていると思います」
「あの子も貴族の娘に生まれた以上、結婚に政治的な色が絡むのは避けられなかったが……結果的に幸せそうでよかったよ」
白く華やかなドレスに身を包み、婦人方に囲まれて話すクラーラ。その様子を少し寂しげに眺めていたアルノルドは、表情を引き締めるとノエインの方を向いた。
「アールクヴィスト卿……いや、ノエインよ。あらためて頼む。クラーラをどうか幸せにしてやってくれ」
「……お任せください、アルノルド様。クラーラのことは必ず私が守り、幸せにすると約束いたします」
・・・・・
披露宴の翌日には、ノエインとクラーラはアールクヴィスト領へと発つ。この日からクラーラは慣れ親しんだ実家を離れ、ケーニッツ子爵家の娘ではなく、アールクヴィスト士爵家の夫人として生きていくのだ。
アールクヴィスト家の専用馬車に乗り、半日ほどの行程を何事もなく進む。
午後に到着した領都ノエイナでは、手の空いているほぼすべての領民が道の傍に集まり、領主の妻を出迎えた。
農民も、職人も、商人も。平民も奴隷も。男も女も子どもも。誰もが頭を下げる中を進み、馬車はアールクヴィスト家の屋敷へとたどり着く。
そこには従士が全員並び、自分たちの仕える主の妻を歓迎した。
「我ら従士一同、クラーラ様の御輿入を心よりお慶び申し上げます。アールクヴィスト家の御為に今後とも忠節を尽くし、身命を賭してお仕えしてまいります」
従士長であるユーリが、その場に並ぶ全員を代表して述べる。
「ありがとうございます。アールクヴィスト家の一員として、皆様の忠節にお応えできるよう私も全力を尽くします。皆さん、これからどうかよろしくお願いいたしますね」
そう言葉を返すクラーラの表情は、以前にアールクヴィスト領を訪れたときとはまったく違う、自信と幸福感に満ちた晴れやかなものだった。
★★★★★★★
以上までが第三章になります。ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
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