第59話 引火
「一人も逃がすな! 皆殺しにしろ! 最後にちゃんと殺すなら女は好きに犯して構わねえ!」
「「おおおっ!」」
紛争地帯から北へ進んだところにある小さな貴族領で、ある村を襲撃しながらゴズリングは子分たちにそう怒鳴った。
盗賊へと堕ちたゴズリングの隊は、その後も似たような境遇にいた敗残兵を集め、今では200人近い規模の盗賊団へと成長していた。
それだけの大所帯を食わせ、支えるには、旅人やら行商人やらをちまちまと襲っているだけでは叶わない。ここ最近は手っ取り早く、村を襲撃して丸ごと占領するようになっている。
荒くれ者の集団をまとめ上げるためには、彼らに十分な食料と、酒や女といった娯楽を与えなければならない。
また、自分たちの存在がロードベルク王国に知られて討伐されるのを少しでも先延ばしにするためにも、襲った村人は口封じとして可能な限り皆殺しにしなければならない。
傭兵時代のゴズリングは決して残忍な人間ではなかったが、今では子分たちに罪のない村人を殺すよう命じ、彼らが女を犯すのを許し、ときには自分も殺しや強姦の快楽に溺れた。
そうした刹那的な快楽を味わえば、捨て駒にされ、根無し草の盗賊へと堕ちた鬱憤を一時だけでも晴らせると気づいてしまったのだ。
村を襲って暴虐の限りを尽くし、食料をはじめとした物資を奪い、それらを消費しながら次に襲う村を探す。
それをくり返しながら、ゴズリングたちは北へ、北へと進んでいた。
・・・・・
「とりあえず、搾る前に細かく砕いた方がよさそうだよね、何となく」
「そうですね、私もそう考えていました」
季節は夏。実験畑から大豆を収穫したクリスティは、ノエインの立ち合いのもとで大豆油を作る実験に臨んでいた。
収穫した大豆の多くはさらなる作付けに回されるが、油作りに早く取り込んでみたいというノエインの判断もあり、一部の大豆から実際に油を搾ってみることになったのだ。
「オリーブから油を搾る際にも一度細かく刻むのが一般的でしたね」
「えっ、マチルダ様、オリーブ油を作ったことがあるんですか?」
マチルダから経験談が出てきたことが意外だったのか、クリスティは目を見開いた。
「僕とマチルダはオリーブ栽培が盛んな王国南部の出身だからね」
「ノエイン様の専属奴隷になる前、屋敷の作業場でオリーブから油を搾る作業を手伝わされたことが何度かあります。子どもの頃に殴られながら教え込まれた技術はなかなか忘れるものではありません」
さらりと辛い過去を語るマチルダにやや慄きつつも、クリスティはマチルダのアドバイスを受けながら油作りを進める。
粉砕した大豆を圧搾機――オリーブ圧搾用の道具をわざわざ王国南部から取り寄せたものだ――に入れ、ゆっくりと時間をかけて圧力をかける低温圧搾の技法で潰す。
すると、圧搾機の下にセットした器の中に、搾られた大豆油がじわりと垂れ落ちてきた。
「おお……やった」
「で、できました……ちゃんと油ができました……」
自領での油作りがついに叶ったノエインと、実験畑を熱心に手入れしながら大豆を育てたクリスティ。2人は子どものように目を輝かせながら、流れ落ちてくる油を見つめている。
そんな無邪気な主人と奴隷仲間の表情を横目に見て、マチルダはクスッと小さく笑みを浮かべた。
やがて圧搾が終わり、器の中にはサラッとした油が溜まる。
「これ、今日の夕食で使おう。調理場に持って行ってメイドたちに頼もう!」
「アールクヴィスト領で採れた初めての油ですもんね! それも搾りたてですよ! 絶対に美味しいです!」
オリーブの栽培ができない王国北部では動物性の油を料理に使うのが一般的だが、そうした油はクセが強く味わいも重い。搾りたての植物油を料理に使うなど、今までなら叶わなかった贅沢だ。
「ノエイン様、この搾りかすは予定通り家畜の飼料に使うということでよろしいでしょうか?」
圧搾機を上げながらマチルダが問いかける。圧搾機の中には、油を搾られてカラカラになった大豆のかすが残っていた。
「ああ、それがあったね……うん、油分が抜けたとはいえ、栄養が豊富な大豆を捨てるなんてもったいないからね。そうしよう。今日の分はとりあえずうちの軍馬たちに」
「かしこまりました。厩番の奴隷に申しつけておきます」
・・・・・
クロスボウの量産やさらなる大豆の栽培も進められ、難民の流入によって人口もさらに増え、全てが順調に進むアールクヴィスト士爵領。
しかし、その平穏を脅かす不安の種が領外から近づいてきた。
「盗賊?」
「はい、それもとんでもない規模の……噂では200人近い盗賊団とも言われてます」
そんな話をノエインに聞かせるのは、アールクヴィスト領へとたびたび行商に訪れているフィリップだ。
かつてロバに荷車を牽かせて徒歩で行商に来ていたフィリップは、今では馬一頭立ての荷馬車に乗って来るようになった。服装も以前より立派なものになり、羽振りの良さを隠そうともしない。
行商で儲かっているだけでなく、アールクヴィスト領の情報をケーニッツ子爵に伝えて金をもらっていることは明らかだが、逆にこうして領外の情報を持ち込んでもくれるため、ノエインはフィリップと未だに良好な関係を保っている。
そんな彼からもたらされたのが、この盗賊団の噂だった。
「それはまた凄まじい数ですね……ですが、それほどの盗賊団がいたら領地を荒らされる貴族たちが黙っていないでしょう。それに王国軍が出張ってもおかしくないはずでは?」
「それが、その盗賊団は西の紛争の敗残兵が前身になっているらしくて……ベテランの傭兵が率いているのでなかなか手強く、領主貴族たちも自領から追い払うことしか考えていないそうです」
確かに、戦い慣れた200人もの盗賊ともなれば、中小の貴族領軍では手に余るだろう。せいぜい領外に追いやるのが関の山だ。
「それに、王国軍は紛争に付きっきりです。西のランセル王国だけでなく、東のパラス皇国ともずっと紛争が続いていますから……国境の維持と王領の防衛で手一杯でしょうね」
「そうなると、盗賊団の討伐に兵が出されるまではまだ時間がかかりそうですね……」
「ええ。そもそも王国軍がこの件で動くつもりはないのでは、とも噂されています。盗賊団が自然消滅するのに任せるのではないかと」
フィリップの話を聞いて、ノエインは少し顔をしかめる。
200人規模の盗賊団とて、行く先々で貴族の領軍に追い払われ、各領地をたらい回しにされていれば、いずれはジリ貧になって壊滅するだろう。
しかし、それが果たされるまでに一体どれだけの被害が民衆に広がるのか。それを想像すると、領民を愛する領主としては面白くはない。
「その盗賊団は今どの辺りにいるか聞いていますか?」
「それが……王国南西部で発生して、この王国北西部へとじわじわ北上しているそうです。それもあって、アールクヴィスト閣下のお耳にも入れさせていただければとこうしてお伝えした次第でして」
「なるほど……感謝します。おかげでこちらも盗賊に備えることができますよ」
「いえ、お役に立てて何よりです。アールクヴィスト閣下にも、この領の皆さんにも、私は随分とよくしていただいておりますから」
本心から感謝を伝えたノエインに、フィリップも商人としての顔ではなく、一人の男としての表情でそう返す。
その後、今日の商売を終えて帰っていくフィリップを見送るノエインに、一緒に話を聞いていたペンスが言った。
「ノエイン様。フィリップの言ってた盗賊、うちに来たらまずいですね」
「そうだね。うちは北西部でも最果ての領地だ。もし盗賊が来たら逃げ場がない……とりあえず、ダミアンにクロスボウの量産を急がせよう。数も10挺と言わずできるだけ多く。しばらくはクロスボウ作りに専念させる。僕の奴隷も出来るだけ多く彼の手伝いに回そう」
盗賊が必ず来ると決まったわけではないが、襲撃されてから準備をしていては間に合わない。
今のうちから領の戦力を増強することをノエインは決意した。
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