第40話 お風呂だよ! 全員集合①

 アールクヴィスト士爵領の領都ノエイナから南西に少し進むと、川にぶつかる。


 開拓の初期から水源として活用され、ノエイナの村内に井戸が掘られてからもきれいな飲み水の供給場所として重宝されているこの川。今ではノエイナから川まで続く道もしっかりと整備され、荷車などを使って一度に大量の水を運ぶこともできるようになっている。


 冬が明けてすぐにノエインが取り組み始めたことのひとつに、この川の周辺の開発があった。


 川があれば水車小屋を建て、小麦の粉ひきに水車の力を活用できる。春になって小麦の収穫が始まったアールクヴィスト領にとって、水車小屋は必要不可欠な施設になるだろう。


 鍛冶師の作業場も川辺に作ると都合が良い。領都ノエイナにまだ鍛冶師はいないが、「作業場付きで移住できる」と宣伝すれば移住希望者も現れるかもしれない。


 そしてもうひとつ、豊富な水源があれば浴場が作れる。ノエインは水車小屋や鍛冶場とともに、領民たちのための公衆浴場の建設を進めさせていた。


 浴場は構造がシンプルなこともあり、複雑な設備を必要とする他の施設に先駆けて完成したのだった。


「立派な浴場が建ったねえ。広さだけならちょっとした都市の公衆浴場なみだよ。ね、マチルダ?」


「はい、ノエイン様。素晴らしい出来です。領都ノエイナが文明的な地である象徴と言えるでしょう」


 一度に最大20人ほどまで入れる規模の浴場を視察しながら、ノエインははしゃいでいる。マチルダもそんなノエインに付き添いながら肯定する。


 この世界の都市部では公衆浴場が住民たちの娯楽のひとつとなっているが、貧しくて小さな村などでは浴場の建設は叶わない。


 その結果「浴場があるのは文明的な都市である証」という風潮が生まれていた。この理屈から言えば、まだ人口100人に届くかどうかという領都ノエイナも、規模は小さくとも立派な文明都市ということになる。


 これもラピスラズリ鉱脈という資金源があるアールクヴィスト領だからこそできる投資である。


「これで領民たちの衛生面も健康面も大きく改善される。幸福度も高まるだろうし、労働生産性も上がるはずだよ」


「領民の幸福と領内の経済を思ってこれほど大きな投資をなさるとは、さすがはノエイン様です」


 キヴィレフト伯爵家で軟禁生活をしていた頃、さまざまな書物の中で入浴の効果について言及されていたことをノエインは覚えていた。


 入浴をすれば疲労を回復しやすい、風呂で体を清潔に保てば病気にかかりにくくなる、都市に浴場を作ったら労働者たちの働きが良くなった等々。


 医学書から昔の為政者の手記まで、古今東西のどんな書物も「お風呂はいいもの」と口を揃えて主張していたのである。


 ノエイン自身も入浴の効果はこれまでの人生で数えきれないほど体感している。だからこそ、領民たちもその効果を享受できるようにと浴場を建設させたのだ。


 都市部の公衆浴場に倣って一応は入浴料金を取るが、その額は1回1レブロ。これなら誰もが定期的に利用できるだろう。現在の利用人口を考えると赤字だが、浴場自体の儲けは度外視でいいとノエインは考えていた。


・・・・・


「……やっぱり風呂は良いな、生き返る」


「分かります、ほんとそんな感じですね」


 お湯に体を沈めて呟いたユーリに、先に浸かっていたバートがそう同意した。


 浴場の風呂焚きまでなかなか人手を回せないので、今のところ入浴できるのは男女それぞれ週に1回だけ。なので、浴場が稼働する貴重な日には誰もがこうして入浴に訪れる。


 交代制で20人ずつの入浴。これだけの人数が同時に入れば広い浴室も混み、相当に賑やかになる。この日も湯気の立つ浴室内は、男たちの話し声に包まれていた。


「そういえばバート、お前、レトヴィクの女たちから随分とモテてるらしいじゃないか」


「……そんなこと誰から聞いたんですか」


「領民の男どもが羨ましそうに話してたぞ」


 男が浴場に集まって身も心もリラックスすれば、話すことは決まっている。


 既婚者は妻の愚痴や惚気、独身者はどんな娘が好みだの誰を狙っているだのといった話題である。


「傭兵時代からお前は女に困ってなかったからな。都会を訪れるたびに愛人を作っちゃあチヤホヤされてやがった……それが今は貴族に仕える従士だ。ますますモテるだろうよ」


「ははは、まあ確かに言い寄ってくれる娘は多いですが……結婚相手を探すとなれば簡単じゃないですよ」


「なんだ、もう女遊びは辞めるのか?」


「俺ももう20代半ばになりますからね。せっかく従士になって自分の農地まで持ったんですから、早いとこ身を固めたいです」


「そうか、お前もそんなことを考える年になったか……」


 傭兵団は大きな家族のような側面も持つ共同体だった。孤児だったところを傭兵団に拾われたバートは、ユーリにとっては年の離れた弟のようなものだ。


 まだ年端もいかない小僧の頃から見てきたバートが真面目に結婚相手を探しているなどという話を聞くと、感慨深いものがある。


「何人もいる女の子の中から結婚相手を決める基準って、どうすればいいんでしょうかねえ」


「随分と贅沢な悩みだな。自慢か?」


「いやいやそんな……逆に俺はずっとマイのこと一筋だった従士長が羨ましいですよ。傭兵団にいた頃から夫婦みたいなものだったじゃないですか」


「そりゃあ、まあ、な……」


「あれ? 照れてるんですか?」


「うるせえ、ぶん殴るぞ」


 大先輩かつ上司であるユーリを生意気にもからかうバートに、当のユーリもぶっきらぼうな言葉とは裏腹に気安い口調で言い返す。


「でも真面目な話、結婚相手の決め手ってどうすればいいんですかね?」


「そうだなあ……とりあえず顔だけで選ぶのは悪手だな。逆に自分を顔だけで選んでくる女も駄目だ。今は若いからいいだろうが、お前だってそのうち老けるし、太ったり禿げたりするかもしれないんだからな」


「まあ、それはそうでしょうね」


「将来年を取ったとき、相手がでっぷり太っちまっても愛せるか、そして自分がくたびれたジジイになっても愛してもらえるか……そうなっても幸せに暮らしてるお互いの姿を想像できるような相手を選べ」


「……分かりました、参考にさせてもらいます」


 ユーリがそう言うと、バートは真面目な顔で頷いた。


「ってことは、従士長も結婚前はでっぷり太って老けたマイを想像してみたんですか?」


「当たり前だ。俺はマイがオークみたいなおばはんになっても喜んで抱けるぞ?」


「それは……愛の力ですね」


「おう、それが本物の愛ってやつだ」


 従士も、領民も、それぞれが仲の良い者と思い思いに語らいながら、公衆浴場の時間は流れていく。

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