第34話 冬の日常②

「よし、一旦止めだ」


「はい」


 ユーリが木剣を下ろしてそう指示を出すと、マチルダも戦闘靴を履いて振り上げていた足を下ろした。


 場所はノエインの屋敷の庭。ユーリは2週間ほど前にマチルダから「ノエイン様をお守りするためにも、より実践的な戦い方を身に着けたい」と相談され、こうして毎日のように彼女に手ほどきをしていた。


 これもラピスラズリ原石の採掘作業が休みで、仕事の少ない冬だからこそできることだ。


「今の私の戦い方はどうだったでしょうか」


「これまでの中では一番良かった。だがまだ『相手を攻撃すること』に意識を寄せ気味だな。最初にも言ったが、お前が身に着けたいのはノエイン様を守るための護衛術だろう? それならまず相手を自分の後ろに通す隙を与えないのが最重要だ。突破されたら相手の剣が直接ノエイン様に向けられてしまうんだからな」


「はい」


 真摯な表情でユーリの話を聞くマチルダ。


「だから、自分から攻勢に出てまで相手を倒そうとするな。いざというときのお前の役割は、他の従士が援護に回るまでノエイン様に敵を近づけないことだ。相手を倒せるに越したことはないが、ノエイン様の傍を離れてまでやることじゃない」


「……分かりました。攻撃は一切考えないつもりでやってみます」


「ああ、お前の場合はそれくらい極端な方がいいだろう」


 獣人としての生まれ持った才や勘に頼るマチルダの戦い方は、どうしても攻撃に寄りがちになっていた。技術や身体能力そのものは十分以上のものを持っているので、ユーリが行うのは彼女の戦闘スタイルを護衛向きに矯正することだけだ。


 幸い、彼女はかなり飲み込みが早いので、この調子なら冬が明けるまでにノエインの専属護衛としてどこに出しても問題ないレベルに達するだろう。


「少し休憩したらまた模擬戦だ」


「はい、お願いします」


・・・・・


「緊張しすぎるな、もっと力を抜け。でないとお前の緊張が馬にまで伝わってしまうぞ」


「う、うん……」


 マチルダに戦い方を教えた後、ユーリはノエインに馬の乗り方を教えていた。これも最近の彼のルーティンワークになっている。


 これまで荷馬車を引くための駄馬しかいなかったアールクヴィスト士爵領だが、冬になる直前に軍馬の購入が叶ったのだ。貴族領なのに騎乗戦闘に使える馬が1頭もいないというのはかなり問題のある状況だったが、ようやくそんな状況も解消できていた。


 ところが、次にまた新たな問題が起こった。「ノエイン馬に乗れない問題」である。


 ノエインは子どもの頃からずっと実家の離れに閉じ込められて暮らしていたので仕方のないことではあるが、いくらなんでも現役の領主が馬に乗れないのはまずい。


 領主であるということは軍人であるということであり、戦場では指揮官であるということだ。ゴーレムを使って戦えるノエインはわざわざ騎乗戦闘を行う機会はないだろうが、行軍などでは馬を使うし、領外の人間の手前、どうしても馬に乗るべき場面もあるのだ。


 なので、傭兵団の幹部として騎乗戦闘の経験も持つユーリが、ノエインに馬の乗り方を指導していた。


 ノエインもマチルダも主従そろってユーリに師事している状態だが、優秀なマチルダと違ってノエインの方は覚えが良いとは言えない。頭はいいはずだが、根本的な運動神経が悪いのだ。


 それでも、要領の良さもあって、最初よりは相当に上達している。この分ならごく普通の行軍をこなしたり、儀礼の場で最低限の格好をつけたりできる程度には馬を操れるようになるだろう、とユーリは考えていた。


「はあ、持ち主の僕がこんな調子じゃ馬に申し訳ないな」


「どうせ普段は俺や従士連中が使うんだ。ちゃんと操って走らせてやるからお前は心配するな」


 せっかくの軍馬を厩で飼い殺しにするのも勿体ないので、普段はユーリやペンス、ラドレー、バートあたりの馬に乗れる従士連中が仕事の上でこの馬を活用する予定である。


 なので馬を気の毒に思う必要などないのだが、領主である自分よりも馬を借りる従士たちの方がよほど乗馬が上手いことに、複雑そうな表情を見せるノエインだった。


・・・・・


 ペンスにはユーリのように大勢の兵を引っ張るカリスマ性があるわけでもなければ、ラドレーのように頑強で戦闘向きの肉体があるわけでもなければ、バートのように人好きのする整った容姿があるわけでもない。マイのように面倒見がいいわけでもない。


 その一方で、特に不得意なこともない。戦闘も、部下への指示出しも、人付き合いも、事務などの机仕事も、それなりにこなせる。


 なので彼は、領内の治安維持や領民たちの賦役の監督をはじめ、幅広い仕事をこなしていた。冬になる前には、領都ノエイナの入り口の詰所で移住を希望する難民への対応なども行っていた。


 その小器用さを買われて、今ではユーリに次ぐ従士副長のようなポジションになっている。


「ペンスさん、井戸を使う順番で喧嘩が起こっちまってるんで来てください」


「おう、すぐに行く」


 領民たちからそう声をかけられれば、治安維持担当として現場に出向いて仲裁し、ノエインが領主として裁きを下すような大事になる前に収める。


「ペンスさん、ここの木柵の設置はこの方向で進めればいいですかね?」


「あ~、もう少しこっちの方向に向けて建てていった方がいいな」


「分かりました、そうします」


 賦役作業の日には、現場で領民たちを監督する。


「おいリック、槍の振り方はもっとこうした方がいい」


「はい、ありがとうございますペンスさん」


 盗賊襲撃などの非常時に備えて領民の男たちで定期的に行う訓練でも、指導役を務める。


 際立った技能や才能があるわけではないが、今やアールクヴィスト領のスムーズな運営においてなくてはならない中間管理職。それがペンスという男だった。


・・・・・


「――それじゃあ、春の小麦の収穫量だとまだギリギリ領内の自給自足は叶いませんか?」


「そうだな。ただ、次の春植えのジャガイモが収穫を迎えれば食用としても十分な量になるだろうから、それも併せれば来年は完全な自給自足が叶うのではないかな?」


 ノエインの屋敷、居間のテーブルの端で、エドガーはアンナとそう話し合っていた。


 元々は村長家の継嗣として農村の運営を学び、現在はアールクヴィスト領の農業担当を務めているエドガーは、農地の現状を見てはこうして財務担当であるアンナと話し合う機会がある。


「それならよかったです。ノエイン様もきっと喜んでくださいますね」


「ああ、開拓2年目で十分な量の食料を生産できるようになるなんて、凄いことだよ。これもジャガイモのおかげだな」


「エドガーさんが農業担当として力を奮ってるおかげでもありますよ」


「そんな、私なんて……だが、そう言ってもらえると励みになるよ」


「うふふ、よかったです」


 話しやすい、とエドガーは思う。


 元々が村長家の出身で今は従士という身分にいることもあり、他の農民たちは部下に近い存在だ。彼らとは受けてきた教育も違う。あまり気安く接してばかりもいられないし、なかなか友人という間柄にはなれない。


 ユーリをはじめとした元傭兵の従士たちとは普通に仲もいいが、これまでの生き方が違いすぎる以上はどうしても共通の話題が少ない。


 その一方で、アンナとは話しやすい。お互い平和な世界で生きてきた人間だし、同じ従士という立場で、同じくらいの教養がある。


 自然と、この話し合いの時間はエドガーにとって楽しみのひとつになっていたし、見ている限りはアンナもこの時間を楽しんでくれているように思える。


 この日もそんな話し合いを楽しみ、少し名残惜しさを感じつつもエドガーは屋敷を後にした。

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