その3

「どういうことでしょうか?」


「言葉通りの意味だ」


 オーガスト様が、なんだか複雑そうな顔で俺を見た。――オーガスト様のこんな表情を見るのは、俺もはじめてだった。


「明日、その人間のもとへ行って、もう少し決闘を延期してもらうように言って、あとは魔界へ帰ってきてくれぬか? それで百年も静かにしていれば、その決闘の相手も勝手に死ぬ。最初はその人間も、あいつは魔界へ逃げ帰った等、あざけりの言葉を吐くだろうが、耳をふさいでおけばいいだけの話だ。先に死ぬ連中に好きにものを言わせるくらいの自由は与えてやってもいいだろう」


 オーガスト様の言葉を聞き、俺は少し考えた。


「なるほど。つまり、この私に、事実上の負けを選択しろとおっしゃるわけですか」


「それならば怪我もするまい」


「お話はわかります。そうすれば、確かに無益な血も流れないでしょう。そこまでは認めます」


 俺の言葉に、またもやオーガスト様はうなずいてくださった。さきほどの苦い表情が、見慣れた笑顔に戻っていく。


「ただ、それは我ら魔族のとるべき行為ではないですな」


 つづけて言う俺に、笑顔になりかけたオーガスト様の表情が硬直した。


「どういうことかね?」


「決まっております。私は明日、あの男と決闘をするという約束をしました。だったら、それは何があっても守らなければならないはず。我らは過去、ずっとそのように人間たちと接してきました。だから人間たちも私たちを信用して、羊皮紙の契約書にサインをしたのです。そして私たちは、天界に異議を唱えさせぬ、正式な交渉という形を通して人間たちの魂を得てきたのではないですか」


 俺は、かつての魔族の行動を口にした。こんなこと、説明するまでもあるまいに。俺の言葉に、オーガスト様が眉をひそめる。


「それは――」


 何か言いかけ、オーガスト様が口をつぐんだ。目に宿る感情が、その通りだと認めている。


「その魔族の、しかも魔将軍の血筋であるこの私が約束を破ったとなれば、今後、どのような人間も、我らの言葉に耳を貸すことはなくなるでしょう。最悪の場合、魔族の公約は信用ならんと言いだし、むこうから休戦協定を破ってこちらへ侵略してくる危険すらあります。個人的な決闘という範疇に収まる話ではなくなるのですよ」


 ここで言葉を区切り、俺はオーガスト様を見つめた。オーガスト様からの返事はない。


「さらに言うなら、この私の誇りが撤退を許しません。私は魔将軍の血筋です。前線で猛威を振るってこそ、名乗れる称号でありましょう。敵から背をむける卑怯者と謗られるくらいなら、私は自分から死を選びます」


「――ふむ」


 俺の言葉に、少ししてからオーガスト様が返事をした。


「素晴らしい言葉だ。正直に言うが、敬服したよ」


「あ、いえ。敬服などと」


「私の心からの感想だ。なるほど、君は魔将軍の跡継ぎとしてふさわしい。自らの誇りだけではない。魔族の行く末も見据えてものを言っている。これほどの男に成長するとはな。いや、惜しい」


 最後の言葉が俺にはひっかかった。惜しいとはどういうことだ? 不思議に思う俺の前で、ふたたびオーガスト様が口を開いた。


「では、べつの質問をしよう。君の家柄は魔将軍だ。ならば、元老院の命令には従う。これは基本ではないかな」


「もちろんです。元老院あっての魔王軍ですから。私の一族は、魔王軍の指導者をまかされているだけに過ぎません」


「ふむ。それはわかっているか。では、さきほどの話をくりかえそう。私は君に、決闘を先延ばしにして欲しいという提案をした」


 ここまで言い、オーガスト様が軽く息をついた。次の瞬間、いままでとはまったく違う目つきで俺を睨みつける。


「今度はべつの形でものを言おう。これは命令だ。明日の決闘は先延ばしにしたまえ」


「――なんですと?」


 一瞬、俺は何を言われたのか理解できなかった。


「聞こえなかったのか? 決闘を先延ばしにしろと言ったのだ。強調するが、これは命令だ」


「――なぜに、そのようなことをおっしゃるのです? あの男と私の決闘の、何がそこまでご不満なのですか」


「君は知らなくていい話だ」


「理由もお教えくださらずに負け犬の汚名をかぶってこらえろとおっしゃるのですか。オーガスト様らしくもない。せめて、納得のいく理由をお教えくださらなければ、その命令は聞くこと、相成りません」


 いつの間にか、俺はソファから立ち上がっていた。いくらオーガスト様の命令であれど、こんな理不尽な話を受け入れる訳にはいかない。反抗する意思を剥き出しにする俺に、オーガスト様も立ち上がった。


「とてもいい魔力だ」


 鋼の輝きのような眼光を放ちながら、オーガスト様がつぶやいた。


「本当に、あと百年も鍛え上げれば、誰もがひれ伏す、素晴らしい魔族になると私も思う。しかし、この歳で決闘とは。それで手足を失うことになるのは実に惜しい。君も、そう思わないか?」


「誇りを失うよりはましでしょう」


 俺は左手で自分の右腕を叩いた。


「たとえこの腕を切り落とされることになろうと、私は決闘に赴きます。そもそも、私は魔将軍の家柄ですが、いまはまだ、その跡を継いではいません。これは軍ではなく個の戦い。誰に何を言われる筋合いもないと思いますが」


「のぼせるなよ小僧!」


 いきなりの怒号だった。同時に、すさまじい魔力が重圧として俺に押し寄せてくる。反射で両腕を十字受けの形にとりながら、俺は目を細めてオーガスト様を見た。


 もう、その顔は、友好的な笑みをむける、かつてのオーガスト様のものではなかった。


「いや、小僧ではなく、小娘だったか。いままで魔将軍の血筋として、形の上では礼儀を尽くしてきたが、ここまで勘違いをするとはな」


 言いながら、オーガスト様が冷徹な視線を俺にむけた。


「ただの人間が」


 俺は重要なことを思いだした。


 シルヴィア殿と同じで、オーガスト様は、俺の前世を知っていたのだ。


「おまえの身体は無傷のままいただく」


 オーガスト様が言うと同時に、その巨大な右手を俺にむけた。


 その直後、俺の視界は真っ黒に染め上げられた。

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