その2
部屋の外の気配が遠ざかるのを確認して、俺は自室のドアをあけた。サンドイッチが盆に盛りつけてある。――このサンドイッチというのは、昼食で、よくメアリー様が口にしているものだった。オードブルとメインディッシュを一度に食べられる画期的な料理で、携帯するにも便利なのだという。人間とはおもしろい発明をするものだ。
部屋に持ちこみ、俺はチキンコンソメスープを飲みながら課題をこなすことにした。
「よし、これで終了だな」
サンドイッチを食べ終わるころ、課題も終了した。あとは普段と同じように武の鍛錬をして、風呂に入って歯を磨いて寝るだけである。風呂というのも、人間の風習を俺が真似したものだった。俺たちなど、燃え盛る炎のなかに飛びこんで、十分も寝転がっていれば簡単に汚れを落とせるのだが、人間はそうもいかないらしい。
「驚いた。魔界に戻っても、人間と同じ生活を演じているのですね」
サンドイッチの盆を部屋の外に置き、そのまま鍛錬室へ行こうとした俺の背後から、知らぬ声がかけられた。しかも、俺のいた部屋のなかからである。何者!? 反射で身構えながら、俺は部屋のなかへ目をむけた。
そこに、知らぬ女が立っていた。銀色の髪をした、エルフのように整った顔をしている。だが、エルフではなかった。
「――ふむ」
後ろ手に部屋のドアを閉めながら、俺は少し目を細めた。
「人間ではないな。天界からの使いか」
俺の言葉に、女が笑いかけた。
「ご名答。すぐにわかる相手は話が早くて助かります」
よくわからんことを言ってきたが、俺は無視して首をひねった。参ったな。俺の手足は女を傷つけるためについているわけではない。
「ちょっと待っていろ。いまから部下を呼ぶ。何が目的でここへきたのか、説明はそのときにしてもらうぞ」
いきなりやってきたのだ。正式な訪問でもあるまい。休戦協定があるからことを荒立てようとも思わんが、この件は元老院経由で天界のお偉方にも聞いていただこう。考える俺の前で、女が笑いながら手を左右に振った。
「いま、どれだけ声を上げても、この家の従者はここにきませんよ?」
「なんだと?」
おかしなことを言う。俺は女から目を離さないようにしながら、全身の五感と六感に集中した。――なるほど、時空凍結の法をかけているのか。たとえ俺がこの屋敷をバラバラに消し飛ばしたとしても、使い魔たちは絶命したことにも気づかず、永遠に働きつづけるだろう。
「これはずいぶんとおもしろいことをするものだな」
俺は女を見ながらうなずいた。
「この場で訊いておこう。何ゆえにここへきた? 俺は天界や人間界の連中と結んだ休戦協定を守ってきたつもりだったんだが」
「ああ、ご心配なく。私だって平和が一番だと思っていますよ」
言って女が近づいてきた。笑顔のまま、軽く会釈する。
「とりあえず、自己紹介をさせていただきます。私は女神の眷属で、シルヴィアと言います。以後、お見知りおきを」
「俺はエイブラハム・フレイザーと言う。魔将軍フレイザー家の家督を継ぐものだ」
「ええ、存じております。実は、エイブラハム様に聞いていただきたいことがありまして。それで今日、ここへきました」
「天界側からの連絡はなかったはずだがな」
「それなんですけれども。これは、こっそり教えるべき話じゃないかと思いましたので。少し前に、ほかの方に同じような件で話をしたら、大変に驚かれましたから。その辺のことを考えまして。今回、ちょっとした失礼を」
「ふむ」
俺は女――シルヴィア殿を見ながら腕を組んだ。嘘をついているようには見えない。
「いいだろう。では、その要件というのを話してもらおうではないか」
「では失礼して」
シルヴィア殿が右手を上げた。そのまま俺に近づいてくる。――どういうわけか、武の心得のある俺が動けなかった。
「ちょっと思いだしてもらいます。実は、あなたの前世のことなんですけどね――」
笑顔で言いながら、シルヴィア殿が俺の額に右手の人差し指を当てた。
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