第4話 やり残した小さな想い
入学式の桜が散っていて、更に男女が向き合う姿に告白かと思う生徒もおり、窓から何人か覗いている。
そんなことも気にならないくらい緊張してしまっているので、俺にとっては周りの生徒など空気と同じだった。
向かい合ったちーちゃんは、鈍感なのか天然なのか、男子に呼び出されて二人きりの状況に危機感も高揚感もなく、無垢な笑顔でこっちを見ている。これから起こることに期待している目だ。
夢なんだから思い切って告白してもいいんだけどな。何故か圧倒される夢の中でも告白という行為が怖い。現実ではないと考えていても、振られるということに恐怖する自分がいる。
「えっと……その……」
これは夢だ。だから告白なんてしても、なにもリスクがない。
拳をぎゅっと握りしめて、瞼を強く閉じる。
だから思い切って……
「その、連絡先交換しないかな?」
あれ、なに言ってんだ俺。
告白をするつもりが、心の奥底でやはり弱気になっていたのだ。最後の最後でひよってしまった。怖くなった。
その勇気を振り絞った言葉もすぐには返答が来ず、ちーちゃんの顔は何か考える深刻な顔をしていた。眉間にしわが寄っている。
さっきまで恐怖などないと息巻いていたのだが、その表情を見て慌てて言う。
「いや、その、これから三年間高校生活送るんだし、なにか情報交換できたらなって、昔遊んだ仲だし……」
下心がないですよと言わんばかりの陳腐な言い訳のようになってしまった。今ここでどう思われてもいいと思ったはずなに、リスクを恐れてしまった。この世界の自分に申し訳ないと、また自分の心配をしてしまう。
その言葉を聞いていたのかはわからないが、ちーちゃんは何か閃いた表情に変わる。
「あ、ゆきちゃんだ」
「え?」
小さく指を差して笑顔で言った。
状況が上手くつかめずに呆然としていると、ちーちゃんは一歩近づいてきて言う。
「なーんだ、そっかそっか、さっきから私のことちーちゃんって呼ぶし、どっかで会ったことあったかなって考えてたんだけど、なかなか思い出せなかったんだよね。今日お母さんが言ってたの、今思い出したよ」
「え、あ……」
さっきまで、そして、高校を卒業してから持っていたイメージ以上に明るい話し方に驚いてしまった。想像以上におしゃべりな子だった。
俺はこの子を何も知らなかったんだ。小さい頃のイメージだけを持って、何もしないで高校を卒業して、今更会いたかったなんて。
その状況に圧倒されていると、ちーちゃんはポケットから携帯電話を出した。
「今朝、お母さんがね、友達の子供が二人同じ高校に入ったから、仲良くしなさいねって言ってたんだよね。その一人がゆきちゃんだ」
手に持った携帯電話よりも、ずいっと近づいてくる顔に目がいってしまう。
「え、おお……」
俺は聞かれないことをいいことにか、家ではちーちゃんとよんでいたのだが、まさか、向こうも昔のあだ名で呼んでくれていたとは思わなかった。
自分から頼んだのだが、いつの間にか向こうのペースになっていて、見る人によっては告白させられた様子に見えるんじゃないだろうか。
片方がメールアドレスを教えメールと電話番号の交換を済ますと、ちーちゃんは笑って言った。
「じゃあ明日から三年間よろしくね」
少し顔を寄せて言ったその言葉は艶やかに聞こえてしまい、心が打たれるようだ
鼻先の近くで揺れる髪の香りに意識を奪われつつも、言葉を返す。
「うん、じゃあ、また明日」
そのまま横を通り過ぎていき、駆けて行った。さっき言っていた、待たせている友達の元へと向かったのだろうか。
その後姿を見て、達成感というか、心にあった靄がなくなった気がした。十年とちょっと前、俺が勇気を踏み出さなかったばっかりに、この笑顔が見られなかったのだ。
別に他意はない。ただ、仲良く友達のように高校生活を送れればと今になって思い返してしまう。たった一言、ただそれだけでちーちゃんと今でも仲良く友達としていられたんじゃないかとさえ思う。それを十年経った今、思い返すなんて。
緊張して震えていた身体が少しずつほぐれていく。
数十メートル離れた先でもう一度振り返って、手を振ってくれた。ほんの少しの勇気を振り絞るだけで、違った未来が待っていたのかもしれない。
正直、今がどう変わってたかなんてわからない。そこまで未来は変わらなかったかもしれない。それでもここで連絡先を交換することで、友達になったという過去は今でも消えなかったはずだ。
その場で立ち尽くしたまま目頭が熱くなり涙がこぼれた。それは当然、連絡先を交換できたことではない。あの時、入学式で話さなかったことが、ここまで後悔をしてしまうのだろうかという、まるで現実のような熱くなる感情に包み込まれていく。
俺は手のひらで目元をこすった。夢の中とはいえ学校内で涙を流す姿を他人になんて見られたくない。真っ暗になった目元を数回擦って手を離す。
差し込んでくる光に何か遠くへ飛ばされていくような感覚に陥ってしまっていた。
ふわふわと浮遊した気持ちになった時、そこで目が覚めた。
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