休息と対話

 ことの始まりは、二人がエヴンズベルトから逃亡して三日目のこと。


 

「ねえ、さっきの村でやっぱり宿取ろうよ」


 魚に串を通し終わったカレンが、振り返ってロイスの様子を見た途端に顔を曇らせ言った。

 それにロイスが首を小さく振って答える。

 カレンはさらに顔を曇らせると、ロイスのそばにやってきて、ロイスの顔を覗き込む。カレンの表情は、不安というより心配気であった。

 

 場所は森の中のわずかに開けた場所。

 二人は焚き火を囲んで野宿の準備をしていた。   

 とはいえ、地面に木を組み火を灯した後は、ロイスはひたすら巨木にもたれかかって休息をとっていて、カレンは近くの川で取ってきた魚を焼いているだけ。寝るためのテントがあるわけでもなく寂しい物。

 それが不満なのではない。別に野宿することはカレンにとってはそれほど負担ではなかった。しかし、ロイスの体には負担がかかる。それもこんな簡易的な物では。

 カレンは、ロイスのことが心配だった。

 

 昼は姿を隠して小さな村から村へ渡るという方法でひそひそと動き、夜は消耗した魔力を回復させるために泥のように眠る。そんな生活をロイスはこの三日繰り返している。

 理由は魔力不足。これに尽きる。神聖都市エヴンズベルトでおこなった大規模な魔術によって、ロイスはひどい魔力欠乏に陥っていた。

 消費した魔力の回復には睡眠と食事と休息が基本。かといってエウンズベルトのそばの街で呑気に寝ているわけにはいかない。できるだけ早くエヴンズベルトから離れるべきであった。だから昼間はひたすら進むことになったのである。

 これにはカレンも同意である。しかしならばせめて。

 

「ちゃんとベッドで寝た方が回復早いって」

 

 夜はしっかり休息をとってほしい。

 カレンはひたすらロイスにそう言い続けてきた。実際ロイスの回復は遅く、三日目にしてまだ青白い顔をしている。

 正直手配は小さな村までは及んでおらず、大きな街によらなければ済む話だった。

 村でも快適な生活はできるだろうと予想できたし、先程通ってきた小さな村の宿なら安心して眠れるだろう。だからカレンの主張は間違ってはいないのだが。


「……野宿の方が慣れているからいい」

 

 だから宿は取らない。ロイスはその主張を曲げなかった。

 

 うそつけ。とカレンは内心で思う。

 カレンは気づいていた。ロイスがどこで誰に会っても相手を警戒していることも、頭では安全だろうとわかっているのに、宿の人を疑ってかかり、身を預けられないでいることも。


 ──そんなに人を信用できないんじゃ生きるの大変だよ。

 

 カレンがそんなふうに思っていることに気づいているのかいないのか、ロイスは静かに目を閉じて、巨木によりかかった。

 

「気にしすぎだ。だいぶ回復してきてる。近いうちに飛ぶこともできるだろうよ」

 

 飛ぶ。とはつまり転移のことだ。


「でも、飛ぶのは少し控えるって言ってたよね」

 

 昨日そう言っていたではないか。とカレンが尋ねて、ロイスもそうだったな、と思い出すように頷いた。

 

「万全になるまでは飛ばないつもりなのはそうだな。徒歩で進めるだけ進んでおきたいし」

 

 こうして転移について話しているのは、すでに目的地がきまっているからだ。

 二人は今、ロイスが魔界の本を送った隠れ家を目指していた。


「思ったより消費が激しいのね」

 

 思わずと言った様子でカレンが呟く。表情は変わらず心配そうに歪んでいた。

 うなずきを繰り返すカレンに、ロイスは白い顔をしたまま首を傾げた。


「魔族はそうでもないのか」


 魔界にいれば魔力は大量に存在しているし、それを取り入れて身体強化すら可能とする魔族だ、魔力の欠乏など、縁の遠い話なのではないかと思う。

 仮に大技を使って欠乏状態になっても、回復は早そうだ。

 先日カレンが暴走したあとも、魔力の消費による疲れをカレンは見せなかった。それほどの魔力量を保持しているのか、魔族とはそういうもので、欠乏しない生き物なのか。


「どうなんだろう、わからない」


 しばらく悩んでいた様子のカレンは、ストンとロイスの隣に腰を下ろすと、首を降って答えた。

 ロイスは沈黙を返す。


「魔族は、蓄えられる魔力量がやっぱり多いんだと思う。だから多分、消費してもそこまで動けなくなるようなことはないのかなって。それに多分すぐ戻ると思うんだよね。魔界って魔力が人間界よりずっと多めに充満しているし。魔力なくなるとそもそも体を動かすのが億劫になるし。それは人間界にきてわかったことではあるんだけど……」

「……多分とか思うとか、そんなんばっかりだな」

 

 思わずロイスが突っ込む。

 うっ、とカレンが口籠もった。

 

「ずっと思ってたんだが、もしかしてお前……魔術、使えないのか?」

 

 再びカレンが黙り込んだ。

 相変わらず誤魔化す時の癖か、あちこちに目を走らせるカレンをロイスはじっと見つめる。

 彼女のこうした行動に対しては、意外と真っ向勝負がいいらしい。じっと見つめていると、おずおずと言葉が出てくることがある。


 今回もそのくらいの話題だったらしい、カレンがボソボソと小声でワケを話し始めた。


 

「つまり、お前の力が暴走することを危惧して遺跡に閉じ込められていた間、魔術に触れることも禁止されていた、と」

「……うん」

「魔術の本が大量にあった気がするんだが……」

「あれはすごく昔からあるみたいで、パパもあるの知らなかったんじゃないかなーと」


 整理整頓されて並んでいたのはカレンが大切にしていたからだという。


「退屈を紛らわせるのには、本って良いじゃない?」

「それはわかるがな」


 ロイスは、何度聞いても不思議な話だと思っていた。

 魔王は、暴走するからといって娘を平気で幽閉するような奴には思えなかったのだ。

 明らかな親ばかであった魔王がそうしたというならば、そうしたければならない理由があったということなのだろうが、暴走するから。という一言ではいまいち納得しかねた。

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