猶予と休息

 ふと、背後から視線を感じて、ロイスは眉を寄せた。視線の主はわかっている。

 つい先ほど魔界から連れて帰ってきた一人の少女。

 一通り本を投げ入れたところで、ふりかえる。

 

「おい」

「なに?」

 

 キョトンと少女、カレンは首をかしげた。

 

「何、じゃない。いつまでそこにいる気だ。もう取引は成立しただろ」

「そうなんだけど……私人間界のことよく知らないし。折角せっかくだから、ロイスについていこうかなって」

「…………」

 

 ロイスは無言でカレンを見つめた。カレンも変わらずロイスを見つめてくる。

 

 たしかに、魔界のことを人間がろくに知らないように、魔族が人間界を知らなくてもおかしくはない。

 が、この少女を連れて歩くのは正直危険だ。

 何せこの家出娘のパパとやらが追いかけてくるのだから。

 どうにかこの少女を追い払いたいところ。


 ロイスは最後の本を黒い球体の中に入れると、クロスさせていた指をほどいた。

 黒い球体はちぢんでいくように小さく小さく中央に集束して行き、そして点となって姿を消す。

 カレンが「ほー」と声を上げた。


「すごいなぁ。やっぱりロイスって魔術師としては優秀よね。今のも【収納ラーガ】の応用でしょ。応用をするのもすごいけど、いろんな術をここまで色々使いこなすのはそうとう訓練しないと」

めてもなにもしないぞ」

「バレたか」

 

 ぺろりと少女は舌をだして笑う。

 イタズラ娘が、と思いつつ、ロイスはカレンを凝視ぎょうしする。

 やはりどこかに行く様子はない。

 本当にロイスについてくるつもりがあるらしい。

 ロイスはため息を吐き出してカレンと向き直った。

 

「そもそもどうして家出なんかしたんだ」


「……そうね、パパが過保護すぎて?」

 

 さっと目をらしてカレンがいう。


 ──本心か?


 何かを隠しているのは間違いないが、そう言うことを読み取る技術はロイスにはない。

 ただ胡乱うろんな視線を隠すことなくカレンをじっと見つめる。その圧に気圧されつつも、カレンは口を開くつもりはないらしく、余所見を続けている。

 

「父親が追いかけてくるんだろう」


「うん」


「一緒にいたら俺まで迷惑を被るわけだが?」


 冷たい言い方だったが、カレンはしずかに首を振った。


「それは平気」


「なんで」


「大丈夫なものは、大丈夫なの」


 と説明する気なしの返事がかえってくる。

 微妙に青筋が浮かんだことに彼女は気づいたのか及び腰でロイスを見上げた。


「本当に大丈夫。えっと、多分追いかけてくるまでには時間がかかると思う」


「ならなんであっちで急かしたんだよ」


「それは……だって魔界だし」


「だから?」


 再び目を逸らす動作をして、沈黙がかえってくる。

 

 ──目を逸らす時は嘘をついている時……あるいはなにかを誤魔化そうとしている時

、か。

 

 どうにも言いたくないことはいわないように心がけているのだろう。

 それはそれで結構なことだが、巻き込まれた形のこちらとしては、イラつく態度だった。


「……家出先が人間界なのは何故だ」


「……興味があって」

 

 とまたもや目を逸らす。

 これはうそだ。

 なんとまあわかりやすい嘘つきだろうか。

 ハキハキとした性格をしているくせに、嘘をつくときは言いよどむ。目が泳ぐ。視線が合わない。

 ロイスは大仰おおぎょうにため息を吐き出した。

 

 この少女は嘘でできている。そう思えるくらい嘘が。そして言っていないことが多すぎる。

 信用も信頼も到底無理だ。

 そして人に本当のことを言わせるのは簡単ではない。それは魔族も同じである。


 仕方がない。


「猶予はあるんだな」


「うん」


 即答が返る。

 目を見て答えるところをみるに、これは嘘ではない。

 ならばいい。


「勝手にしろ」

 

 ロイスはぶっきらぼうに突っぱねた。

 これで彼女は勝手についてきてしまうだろう。しかしそれはそれ。ロイスも勝手にするまで。さっさと適当なところで転移でもしていてしまえばいいのだ。


 ロイスとしては、そう簡単にホイホイと転移は使いたくはなかった。魔力の消費が激しいからだ。

 今日はくのは無理でも、明日。魔力を回復させた明日なら。

 この際しかたがない。そう思って「ふー」と息を吐く。

 と、そこでカレンが唇を尖らせた。

 

「一応言っておくけど、女の子をこんな知らないところに連れてきておいて、隙をみて逃げようとしないでよ」

「……」

 

 言い方に不満はあるが、まさにその通りのことを考えていたとは言い難い。

 

「やっぱり考えてたんでしょ! わかりやすいのねロイスは」

 

 ──お前にだけは言われたくない。

 

 ロイスはカレンを睨む。カレンはというと、にっこりとそのかわいらしい顔に笑顔を浮かべて。

 

「まさか、放置していくほど嫌な男じゃないわよね」 

 

 と一言。

 結局勇者と別れても、ため息は尽きないのだった。

 

 ◇ ◇ ◇

  

 いやいやながらロイスはカレンを連れて村に入ることにした。


 目的は食料の確保と休息だ。


「この村に泊まるの?」

「ああ」


 追われているのに? そんな疑問が聞こえてきそうな声音に苦笑する。

 カレンの言葉を信じる理由はないが、信じるなら、カレンのパパとやらがくるまでには時間があるらしい。

 それなら。


「転移魔術は魔力の消費が激しいんだ。猶予があるなら、一度眠って体力回復させるのも有りだろう」

「なるほどね。それはそうかも」


 気軽な答えが後ろからかえってくる。

 勝手にしろと言った手前、勝手についきているのをとがめるつもりもない。明日転移するときに置いていけばいい。それまではそばに連れていてもいいだろう。


 ロイスは今日何度目かもわからないほど繰り返したため息を吐き出した。


 結局、完全に放置していくことは、ロイスの性格上できないのだ。

 優しいとか、そういうことではなく、ロイス自信は自分のことを打算的であると思っていた。

 魔族の少女をぽいっと放り投げたとして、人間に見つかって殺されでもしたら後味が悪い。それ以上に、ロイスの名前を出されたら面倒極まりない。最悪、魔族と繋がっているとうわさをたてられて、魔族嫌いの教会に敵視される可能性もある。そうなると、街によっては立ち入りもできなくなるから困る。

 ただ、そういう理由だ。

 

 ──そうに決まっている。


 ロイスは自分に言い聞かせるように心のうち側でそうつぶやいていた。

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