第2話 好奇心も気から落ちる

「おかしいな、確かにこの辺りであってるはずなんだが?」


 翌朝、電車から降り、休憩を挟みつつ徒歩で行きながら、父が書いてくれたスナックのある場所の地図と、今の現在地を当てはめて見るが、ここにはそれらしき建物は見あたらない。


 そればかりか、曇り空の昼過ぎの周囲は赤茶けた剥き出しの土壌と寂しい情景にくるまれ、まるで、遠方から来る客を阻むかのように、無数の瓦礫がれきの山々がところ狭しと積んである。


 ここはタンスや冷蔵庫、テレビなどの壊れて動かない廃棄品等を処分する埋め立て地のようだ。


「もう、お母さん。またこんなところにいたのね」


 ふと、背後から届いてくる少女の声。

 俺はこの声に聞き覚えがあった。


「あっ……?」

「あんドーナツ?」


 その少女が言葉を詰まらすと、俺も負けじと少女の言葉をしりとりのように追いかけた。


「……えっ、信じられない。にゃ、にゃんでこんなところに私のファンがいるのよ!?」


 ──やっぱりそうだ。


 制服姿で、髪はボサボサでメイクはほとんどしてなく、大きな丸い眼鏡をかけてはいるが、長年の経験上、後黒佐間音ごくろさまね本人に間違いない。


 その佐間音が俺の眼前に人指し指を突き立て、慣れた足さばきで、ズカズカと男の領域に踏み入る。


 長い黒髪からふんわりと漂う蜜柑みかんのようないい香りのシャンプーが鼻をくすぐる。

 今、その人気アイドルと間近で対面しているんだ。


 さらに、いつもメディアにいて握手会でもないと手が届かない距離なのに今だけは彼女を一人で独占している。


(しかもプライベート姿の佐間音だぞ……)


 俺は少しばかり、心地よく甘い洋菓子に酔ったかのような余韻よいんに浸っていた。


「──いい? 私と約束してにゃん。私とあなたはここで会わなかったと」

「はあ、いきなりなんだ?」

「いきなりもにゃにも、こんな人気のない所に来たあなたが全部悪いから」


 一方的に責められ、タジタジに怖じ気づく俺。

 この娘、周りに人がいないせいか、見かけによらず強情だな。


 これが彼女の本性か。


「──何、どうしたの、佐間音。あら、その男の子は彼氏さんかい?」


 そんな勘違いからの喧騒けんそうの間に割り込んでくる杖をついた一人の年配の女性。


「違うわよ。ただの知り合い。

──もうお母さん、いつまでも若くないんだから、休憩時間くらいゆっくりとってよ」

「ごめんね。何か落ち着いて居られなくて」

「それでも休む。疲れを顔に残さないの!」

「はいはい、いつもながら厳しい娘だわね」


 佐間音の言葉とは裏腹におばさんは温かく微笑みながら杖を握り直し、俺と自然に目と目が合う。


「──あら、まあ。君、もしかして金一太郎きんいちろう君が写真で見せてくれた息子の廼士ないしちゃんかしら? 大きくなったわねえ」

「いかにもそうだが」


「そーだがじゃないにゃー!」


 俺たちの間に挟み込むかのように毛嫌いをあらわにする佐間音。


「まあまあ、佐間音、いいじゃないの。あっ、申し遅れたわね。私は佐間音の母親の雪枝ゆきえと申します。以後お見知りおきを」


 そんな娘とは正反対な対応をする母。


 しかも端から見たら娘に負けず劣らずのモデルのような美しい顔つきと服の上からでも分かる爆乳の持ち主。


 あの男極まる父さんが鼻の下を伸ばすのも分かる気がする。


「じゃあ、廼士ちゃん。特別に私の職場を案内するわね」

「えっ、この近くに店があるんですか?」

「まあ、昼間も影に隠れ、人目を忍んだ地下にあるからね。この辺は立地条件が最悪だから。じゃあ、佐間音、案内してあげて」


「はーい……」


 何だよ、そのRPGの街のような舞台設定は。

 さぞかし、店内はランタンが煌めくお洒落な店なんだろうな。


「もう、どうしてこうなるにゃん……」


 ブツブツと文句を呟く佐間音を後目に、俺はワクワクしながら目的地へと足を運んだ。


****


『ゴオオオオー!!』


 物凄い轟音と一緒にベルトコンベアに流れて行く、大量の細長いうまい棒のようなお菓子たち。

 

 そこは俺の今までの常識を打ち破る光景が漠然ばくぜんと広がっていた。


「……もしや、スナックバーって?」

「そう、バーを製造している工場のことにゃん」

「……な、じゃあ、君のお母さんは?」

「数年前に病気で亡き父に代わって工場を切り盛りしている、スナックバーの工場長ママにゃん」


 俺はその場でギャグ漫画の王道の表現のようにスッ転ぶ。


 昨日までウジウジと悩んでいた己が悩ましい。


 俺は飲み屋のママの娘なりに苦労しているんだなと感じていたのに。


 本当に取り越し苦労だな……。


「……いてて。おお、洒落にならんジョークだな。じゃあ、ここで深夜に働けない理由は?」

「そんなことも知らないの? 未成年者は労働基準法で午後10時以降の勤務は認められにゃいにゃ」

「あああ、それもカルチャーショック!?」


「……じゃあ、あの紛らわしい携帯ライターの店紹介は何だよ」

「ああ。あれを見たのね。あれはスポンサーで、売り上げ向上のための広告みたいなものにゃん。モウレツとかシャレを書いていたら何か楽しくなってきちゃって♪」

「あああ、これこそが何もかも都合よく回りめぐる世界。世の中は、なんて上手くできすぎているんだー!?」


 一体、俺は何がしたかったのかと佐間音を差し置いてしゃがみこみ、頭を抱え込む。


「じゃあ、君のママが俺の父さんにあげたお年玉は?」

「ああ、それなら私の家の廊下であなたのオジサンが帰るさい、すれ違った時に私からぶつかるふりをして回収したにゃ。お母さん優しすぎるからね」


 佐間音が灰色のピチピチなレギンスパンツのポッケから出した一枚のポチ袋を俺にヒラヒラと見せつける。


「分かったかにゃん。これに懲りたら無意味な貧乏アイドルの追っかけとか止めて、真面目に生きるにゃん」

「嫌だ。今さら考えを変えられるか。俺の思いは君一筋と決めているんだ」

「私はあなたのことを何とも思ってにゃいのに?」

「だったらこれから好きにさせてみせる」

「にゃにを言ってるの?」

「明日から俺もここで働くよ。そして君のことを振り向かせてみせる」

「……はあ、強情な人ね。真っ当な道を教えてあげているのに、ファンの癖に何様のつもりかしら。もう好きにするにゃん」

「ああ、そうさせてもらうさ」


 今、俺と彼女とのハチャメチャ生活の不乱な幕の火蓋ひぶたが切って落とされるのだった……。


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