閑話10・神殿の後始末―後


 地上界であれば、まだ薄暗い早朝と呼べる時間。隠し森の朝とは違う陽の光の眩しさで目を覚ます。

 神殿界においては下働きの者や使用人たちが動き始める時間だ。


 真っ白な天蓋付きのベッドの中、ガインは腕の中にある温もりを確かめるようにエルシアを背中から抱き寄せた。

 目の前にある白金プラチナ色の長い髪に顔をうずめる。こんなことは二人だけの今しか出来ない。


「…………ガイン?」

「起こしてしまったか、済まない」

「いいえ。ちょうど起きなければと思っていましたから、大丈夫です」


 身体の向きをガインに向け直したエルシアは、美しい顔立ちの中に濃い疲労の色をにじませていた。

 体力は回復できても、精神的な疲れまでは癒せていないことがよく分かる。


「昨日の夜に地上界へ戻ったそうですが、リューズベルトには悪いことをしました。こちらの都合で長く神殿に留めてしまいましたから」

「まだ信用できる者が少ないからな。悪いが、そのお蔭でこっちの情報収集は大幅に進んだ」


 そう言いながら、ガインはサイドテーブルの上にある報告書の束に目を向けた。

 自分がエルシアの護衛として離れられない分、リューズベルトやキースクリフには苦労をかけたが、神敵以外の厄介者たちの洗い出しはあらかた終わっている。


「それにしても、成人して間もないリューズベルトに、本家や分家の者たちが娘や孫娘を娶らせようとしていると聞いた時は自分の耳を疑いました」


 リューズベルトは今年で16歳となり、人族の国では成人として扱われている。

 あれほどエルフの純血に拘っていた者たちがリューズベルトを婿に迎え入れたいと、見事なまでの手の平返しをしてきたのだ。婿というところが実に陰気くさくてミンシェッド家らしい。


「それだけ、お前との繋がりは得にくいと周りから思われているのだろう」


 ミンシェッド家の者が勇者をないがしろにしないようにと、エルシアはリューズベルトを我が子同然であると公言した。

 そのため、少しでもエルシアから気に入られたいと思う者たちにリューズベルトが狙われることになったのだ。

 親などに命じられ、死を覚悟した形相で「妻にして欲しい」と言ってくるエルフをどうにかしてくれ、とリューズベルトは困り切った顔で言っていた。


「リューズベルトでそれですから、ルーリアの存在が知られたらどうなるか、考えたくもありません」

「……そうだな」


 思わずそろって、ため息がこぼれる。

 その話を聞いたキースクリフは面白がり、リューズベルトに余計なことを言っていた。


「エルフは美女ぞろいなのに断るなんて勿体ない。ちょっとだけ付き合ってみればいいのに」

「オレはそんなことを望んでいない」

「ふーん。そんなにエルフが嫌なら、さっさと他の女の子と既成事実でも作っちゃえばいいじゃん」

「……は? 何を言って……」


 驚いて目を見張るリューズベルトに無責任男代表のキースクリフは語る。


「エルフは気位が高いから、婚姻した人族の男の第二夫人になりたいなんて言わないと思うよ。えーと、リュッカちゃんとナキスルビアちゃんだっけ。どっちかに擬似婚か妻役を頼んでおけば?」

「なっ、誰がするか!」


 突拍子もないことを提案してくるキースクリフを、信じられないといった目でリューズベルトは睨む。


「あれ、勇者ってば意外と真面目? もしかして、どっちも可愛くて選べないとか?」

「馬鹿か!? そんな目でパーティメンバーを見る訳ないだろ! そもそもリュッカは未成年だ!」

「あー、そうなんだ。あんなに胸がおっきいのにね。で、リューズベルトはどっちが好みなんだ?」

「……っ!」


 話が通じないと感じたリューズベルトは、キースクリフを攻撃してもいいか? という殺気のこもった視線をガインに向けた。

 その時ガインは笑顔で大きく頷いたのだが、残念なことにキースクリフは未だ健在だ。


「……もしあの後もリューズベルトにリュッカたちの話を続けるようでしたら、私はキースクリフを全力で排除するつもりでした」

「あれは……済まない。今度よく言い聞かせておく」


 キースクリフがリュッカたちを覚えていて、話題に出してくるとは思っていなかった。

 ガインも力ずくでキースクリフを黙らせるつもりでいたのだが、リューズベルトが自分で攻撃したことであやふやになっていた。


 怒りを堪えた顔のエルシアは暗い陰を目元に落とし、静かに口を開く。


「……リューズベルトの母親は、リュッカの父親に殺されたのです。私はまだ、リュッカの存在も許せていません」

「だが、リュッカの生命を救うと決めたのはリューズベルトだろう?」

「それはそうですが……」


 リュッカの父親は先の神兵招集の折、リューズベルトの手によって神敵として討伐され、リュッカは親の記憶の一切を消去された。

 リュッカの父親が金欲しさで人狩りに手を出し、狙われた他人の子供を庇ったリューズベルトの母親が生命を散らしたのだ。

 実の親の仇の子であり、本来であれば連座で処分される予定だった娘を仮の妻になど、冗談でも口にしていいことではない。


「キースクリフも事情を知っていれば、口に出すことはなかったはずだ。あれは俺の伝達不足だ。済まん」

「ガインのせいではありません。私も注意が足りず、神殿ではリューズベルトに不快な思いをさせてしまいましたから」


 今回の神敵討伐が終わりに差しかかった辺りから、エルシアにミンシェッド家の者の中から本夫を選ぶべきだという話が持ち上がり、その話を口にする者たちをリューズベルトは侮蔑の目で見ていた。

 自分の父親が母親を大切にしていた姿を覚えているから、ミンシェッド家の節操のなさに嫌悪感を持ったのだろう。


「神に招集されたとは言え、今の神殿はリューズベルトにとって居辛い場所だっただろうな」

「ええ。今日からまた学園へ通うと言っていましたから、少しは気が休まると良いのですけれど」


 リューズベルトの話は一旦置いておき、報告書にあった内容へと話題を移す。


「例のヤケドの男の話だが……」

「何か分かったのですか?」


 リューズベルトから報告があった時、もしかしたらイエッツェではないかとエルシアも疑っていた。


「神殿界をくまなく捜索させたが、その後の足取りは掴めなかったそうだ」

「……そうですか」


 本人を見たことがないリューズベルトがイエッツェに気付かないのは当たり前のことだが、ヤケドの男が地下牢にいた当時、屋敷の捜索に同行していた獣人の騎士たちにも匂いの嗅ぎ分けや見分けはつかなかったそうだ。


 神敵の討伐が済んだ今、地上界へ繋がる門は普通に開かれている。すでにどこか遠くへ逃げられたと思って間違いないだろう。

 神兵招集の最中は神敵の討伐が最優先とされたため、イエッツェの捜索にそこまで人員を割けなかったことが悔やまれる。


「仮にイエッツェを捕らえることが出来たとしても、神敵であったゴズドゥールと違い、完全に葬り去ることは出来なかったと思う。恐らくだが、口を封じることも出来ずに閉じ込めておくしかなかったから、ゴズドゥールも鎖に繋いで地下に隠しておいたのだろう」


 そんなヤツを野放しにしておくのは危険だが、今はどうしようもない。


「もしまたイエッツェが神殿に現れることがあれば、その時は確実に捕らえたいと思う」

「それでしたら、この屋敷や神殿の結界も少し手直しした方が良さそうですね」

「あぁ、その辺りはエルシアに任せる。あのバカ息子のせいで少し予定は狂ったが、神兵招集の結果だけ見れば、神の望み通りになったと言えるだろう」


 出来ればゴズドゥールにこそ簡単に死ねない呪いでも掛け、自分の犯した罪をそっくり同じように突きつけてやりたかった。

 ついそんな不満を顔に出すと、エルシアは手を伸ばし、労るようにガインの頬を撫でる。


「いつも私のわがままに付き合わせてしまってごめんなさい。ルーリアにも寂しい思いをさせて……」

「お前を支えると決めたのは俺の意思だ。一人で背負い込もうとするな」

「ふふっ。ガインはどんな時も私の意見を尊重してくれるのですね。一族の男たちとは大違いです」

「当たり前だ。惚れた女の望みも叶えられないなら傍にいる意味がない」


 エルシアの腕を引き、細い身体を自分の腕の中に閉じ込める。頭の上に顔を寄せると、小さく「ガインがいてくれて本当に良かった」と声が返ってきた。


「そういえば、ルーリアからセフェルの下で働く妖精を雇いたいと話があった。ヨングを通して探しているらしいから、ユヒムの屋敷を経由して隠し森に連れてくることになるはずだ。忙しくなる春までに人手を増やしたいそうだから、そっちの準備を頼む」

「分かりました。セフェルと同じような許可証をいくつか作っておきますね。……それにしても、ルーリアは魔虫の蜂蜜屋として随分としっかりしているのですね」


 感心した顔で目を瞬かせるエルシアに、ガインは苦笑いを向ける。


「しっかりしているように見えてもルーリアはまだ子供だ。たぶん周りがいろいろと助言しているんだろう。アーシェンが張り切っていたからな。神殿内が落ち着いて家に帰れるようになったら、今までの分もルーリアを甘えさせてやってくれ」

「……ルーリアは私のことを母だと思ってくれているでしょうか? いつも他ばかりを優先するひどい親だと思われているのではないでしょうか?」


 自分のしてきたことを振り返り、もしまた同じ選択を迫られたとしても、結局は同じ道しか選べないと、エルシアは長いまつ毛を伏せた。


「それは俺も同じだ。父親らしいことが出来たかと問われれば、自信を持って首を縦に振ることは出来ない。だが、何度同じ選択を繰り返したところで、俺が出す答えは同じだ。エルシアとルーリアがいない人生は俺には考えられない」

「…………ガイン」


 出来ることなら、ルーリアにそこまで嫌われていないのだと、昔の自分に教えてやりたい。

 あれだけ泣かれて嫌われていなかったのだ。

 ルーリアがエルシアをひどい親だと思っているはずがない。


「俺たちが思っている以上に心の優しい子に育っている。ルーリアなら大丈夫だ」

「……はい」


 そうであって欲しいと願うように瞳を揺らし、エルシアは淡く微笑んだ。


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