第224話 枯渇寸前と反省


「リューズベルト! お前はルリに魔虫の蜂蜜を飲ませていたのではなかったのか!?」


 食ってかかるようなセルギウスを初めて目にしたリューズベルトは、驚いた顔をして軽く目を瞬いた。クレイドルから向けられている目も、どこか険しい。


「いや、顔色や呼吸が落ち着くくらいには飲ませたつもりだが?」


 切迫した顔の二人が何に追い立てられているのか分からず、リューズベルトは不思議そうに首を傾げる。


「魔虫の蜂蜜を飲ませた上で眠っているんだから、あとは回復するだけだろう?」

「それだけでは足りないから困っている」

「……足りない?」


 普通、魔力は眠っている間に回復する。

 自分の処置に間違いを見い出せないリューズベルトは、セルギウスの言葉を理解できなかった。

 エーシャが用意した最高品質の魔虫の蜂蜜しか使用したことのないリューズベルトは、他の蜂蜜と効能に差があることを知らない。もちろん、ルーリアの呪いについても知るはずがない。


「リューズベルト、どのようにして飲ませていた? 急いで教えて欲しい」


 セルギウスはガインがベンチに置いた魔虫の蜂蜜の瓶を手にして持ってきた。この蜂蜜であれば、減っていく魔力よりも回復する魔力の方が量では上回る。

 普段の冷静な態度からかけ離れた慌てた様子のセルギウスに、リューズベルトも思わず圧倒された。


「どうって、ガラスの容器に入れて、水と……」

「ガラスの容器? それは先ほどルリがいた部屋にあるのか?」


 話を聞きながら、すぐに駆け出そうと足の向きを変えるセルギウスにリューズベルトは「あ……」と、表情を曇らせる。


「……いや。容器はオレが割ってしまった」

「──!」


 そう言われて思い返せば、あの部屋の床には何かの破片が飛び散っていた。

 行き場を失うセルギウスの横で、ガインとフェルドラルの会話を見ていたクレイドルは、リューズベルトの言葉に納得したような顔をした。


「あぁ、それであの二人も、どうやって飲ませるかで揉めてたのか。フェルは口移しで、とか無茶なことを言っているようだが」

「口で……?」


 セルギウスは真剣な表情で手にしている蜂蜜の瓶に視線を落とした。


「…………それしか方法がないのなら」


 思い詰めた顔で、そう口にする。

 なまじ冷静な口調に聞こえるだけに、本当にやり兼ねないとクレイドルは感じた。


「落ち着け、そして待て。それは駄目だろう」

「なぜだ?」


 即行、止めに入ったクレイドルをセルギウスが睨む。


「……なぜだって。お前、本気か?」

「この中では、それが一番ルリへの負担が少ない」

「は? それはどういう意味だ?」


 セルギウスは何かを言おうとしたが、一度口を噤み、煮え切らない顔で再び口を開いた。


「では、どうしろというのだ?」

「いや……。それは、その、もう一度そのガラスの容器を探しに行くとか」

「そんな余裕はないだろう?」


 そんな言い合いをしていると、セルギウスが蜂蜜の瓶を手にしていることに気付いたガインが愕然と目を見開く。


「なッ!? お前ら、何をしようとしている!?」

「そちらこそ、こんな時に何を躊躇っている? ルリの魔力は残り少ない。一刻の猶予もないと言うのに」


 真剣にルーリアのことを心配して言い募るセルギウスに、ガインも反論できずにぐっと奥歯を噛みしめる。だからと言って、ガインの中でそれは到底許せることではなかった。


「だ、だが、ルー……、ルリと、その……俺は認めんぞ!!」


 自分でルーリアの魔力を回復するでもなく、人にもさせない。そんなガインの歯切れの悪さに、セルギウスは焦れた。


「ではせめて、魔力供給の出来る者はいないのか? 頼む、急いでくれ!」


 魔力供給は誰にでも出来ることではない。

 それこそ血の繋がりがあるような、似た魔力を持つ者に限られる。と、そこでガインは動きを止めた。


「……いる。いるじゃないか!」


 すぐにガインはベンチに寝かされているルーリアを抱きかかえた。掛けてあったクレイドルのマントがベンチに滑り落ちる。


「フェル、シロを西の屋敷へ呼び出してくれ。俺はルリを連れて、そこへ向かう」


 その一言で、フェルドラルは全てを察して頷いた。学園からユヒムの屋敷まで少し距離はあるが、地下通路を使えばガインの足ならすぐに着く。

 フェルドラルは荷物から小さな袋を取り出し、その中にあった小さな欠片をルーリアの口の中に入れた。


「これは姫様が蜂蜜を固めて作った飴のような物です。こうしておけば屋敷までは十分に持つでしょう」

「そうか、助かる」

「では、先に向かってください。わたくしは連絡を入れた後に参りますわ」


 ガインは頷き、リューズベルトたちに向き直った。


「娘は連れて行く。目を覚ましたら詳しい話を聞くつもりだが、娘のために尽力してくれていたのなら礼を言う。ありがとう」


 三人からの返事を待つこともなく、大切そうにルーリアを抱え、娘を心配する父親の顔となったガインは素早くその場を去った。

 その後を追うように、荷物を持ったフェルドラルもその場から離れる。


 嵐のように過ぎ去るガインたちを見送り、正門に向けていた視線を戻した三人は肩の力を抜いて大きく息を吐いた。


「……これでひとまず安心、か?」


 ベンチに残された自分のマントを手に取り、クレイドルは肩にかける。


「……あ」


 セルギウスの手には、返しそびれた魔虫の蜂蜜の瓶があった。


「済まないが、明日ルリに返しておいてくれないか」

「そういや、二人は明日から謹慎処分だったな」


 少し気まずそうな顔のセルギウスから瓶を受け取り、クレイドルは苦笑いを浮かべた。

 どうして二人がこんな所で剣を抜いていたのかは知らないが、勇者であるリューズベルトのふてくされた顔は年相応らしくて妙におかしかった。


「リューズベルト、気にするな。ちょっとした休みだと思えばいい」

「…………」


 クレイドルのかけ声にリューズベルトからの返事はなかったが、三人はそろってその場を後にした。



 ◇◇◇◇



 次の日の農業学科の授業時間。

 ルーリアは自分が眠ってしまった後のことをクレイドルに尋ねた。


「父親には聞かなかったのか?」

「それが、それどころじゃなくて……」


 今日は朝からガインの質問攻めに遭った。

 ガイン自身が学園にいたのは、ほんのわずかな時間だったため、ルーリアが眠りに就いた後のことで知っていることはほとんどなかった。


 ──昨日。


 眠っている者は転移させられないため、ガインはルーリアを抱え、急遽ユヒムの屋敷へ駆け込むことになった。

 魔力不足の状態で眠りに就いてしまったルーリアのため、エルシアが呼ばれることとなり、そしてひと晩中、魔力供給をすることになった。ガインもずっと起きていて、それに付き添っていたという。


「大変、申し訳ございませんでした」


 その話を疲れた顔のガインから聞かされたルーリアが、寝起きのベッドの上で両親に向かって土下座をしたのは数時間前のことだ。

 それと突然押しかけることになったから、ユヒムやフィゼーレを初め、バタバタさせてしまったルキニーたち使用人にも誠心誠意、謝っておいた。


 それからは、魔力不足になるまで無理をしたことを叱られ、誰に何をどこまで話しているのか根掘り葉掘り聞かれ、ちゃんと余裕を持って帰ってくるように説教され、フェルドラルではなく自分が付き添い人として付いて行こうかと提案するガインを必死に止め、と。

 とにかく、いろいろと大変だった。


「リューズベルトとセルが神様から園則違反を言い渡されて、謹慎処分になったという話は聞いたんですけど」

「ああ。今日は二人とも来ていない」


 午前の軍事学科の授業の時にウォルクスと話をしたクレイドルは、少しだけ聞いたことを教えてくれた。


「……じゃあ、リューズベルトは昨日帰ってから、ずっと部屋にいて出てきていないんですか?」

「ウォルクスはそう言ってたな。話しかけても返事がなくて、食事も取っているのか分からないそうだ」

「……そんな……」


 みんなからも話を聞いたけど、分かったのは誰もリューズベルトとまともに会話が出来ていない、ということだけらしい。

 今日は一人で寄宿舎にいるから、さすがに何かは食べていると思うけど、とウォルクスは心配していたそうだ。リューズベルトは塞ぎ込むと気持ちの整理がつくまで何もしなくなり、そうなるとウォルクスでもお手上げになるという。何とも困った勇者だ。


「ウォルクスは『自分の手でルリを攻撃してしまったことが相当大きかったんだろうな』と、シュトラ・ヴァシーリエでのことが原因だと思っているようだったぞ。ルリに気にしないように言っておいてくれ、って言われたんだが」


 本当の原因はそこだけじゃないんだろう? と、クレイドルの目は語っていた。けれど、こちらから詳しく話そうとしない限り、クレイドルは深く踏み込んではこない。その気遣いに心地好さを感じながら、そう話すということは、ウォルクスはリューズベルトの本当の気持ちに気付いていないことが多いのだろうな、と心配になった。


 リューズベルトは自分の手首にあったお守りをたまたま目にして、少しでも父親のことを知ろうと思い、謹慎処分になる覚悟で剣を抜いた。

 ウォルクスが知らないくらいなのだから、きっとリューズベルトは誰にもそのことを話していないのだろう。

 エグゼリオに向けて勇者の力を使ったから謹慎処分になったのだとウォルクスは思っているみたいだし。


 癒部に様子を見に来たせいで巻き込んでしまったセルギウスには、本当に申し訳ないことをしたと思う。本当ならリューズベルトのあの剣は、自分に向けられていたものだったのだから。

 きっとリューズベルトは、セルギウスを巻き込んだことでも自分を責めているのだろう。

 それで食事も取っていないと言うのなら、自分に出来ることは──。



「……せめて、リューズベルトに料理くらいは届けたいですね」


 放課後となり、ルーリアがポツリと呟くと、リュッカはその声に飛びついた。


「じゃあ、一緒に行くぅ~? 今日は買い物に行くからぁ、あたしも早く帰ろうと思ってたんだぁ~。おチビちゃんにまで心配かけてるって分かればぁ、勇者ちゃんもちょっとは部屋から出てくるんじゃないかなぁ~?」

「えっ? 行くってどこへ?」

「そうだな。ルリ、良かったら顔を見せてやってくれないか? ルリの元気な姿を見れば、リューズベルトも安心するだろうから」


 引きこもり中のリューズベルトに困っていたウォルクスは、リュッカと一緒に寄宿舎へ行き、声をかけてやって欲しいと頼んできた。


 勇者パーティの寄宿舎に……。


 また昨日みたいなことになったら、とも思ったけれど、今日はフェルドラルも側にいる。

 魔力も回復しているから、もし剣を向けられたとしても逃げるくらいは出来るだろう。

 それに、自分でもリューズベルトとは、一度しっかりと話をしてみたいと思っていた。


「……分かりました。リュッカ、お願いしてもいいですか?」

「もちろん。いいよぉ~」


 こうしてルーリアは、リュッカと共に勇者パーティの寄宿舎へと向かうことになった。


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