第214話 見納めの楽園


「出来ました。クレイドル、口を開けてください」


 甘い香りを漂わせ、グラスを手にしたルーリアがにこやかに顔を覗き込んでくる。


 ~~っ! 本っっ気で勘弁してくれ!


 口を閉じて逃げ出そうとしたが、風で押さえつけられ身動きが取れない。風魔法は自分でもそこそこ鍛えたと思っていたのに、びくともしなくて愕然とする。

 これで半分とか、ルーリアの母親はどれだけの魔力の持ち主なんだ!?


「オレのことは放っておいていい! 風を外すんだ、ルーリア!」


 ここまで来ると意地だ。絶対に自分で飲む。

 だが、少し強めの口調で言ってみても、回復薬を飲ませるのが自分の役目とでも思っているルーリアは、全く引かなかった。


「倒れるくらい魔力が失くなっているのに、ちゃんと回復もしないなんて。クレイドル、あんまり子供っぽいことをしないでください」

「子供のお前にだけは言われたくない! いいから風を退かせ、ルーリア!」


 感情を消した低い声で一喝する。

 本気で怒っていると分かる声と鋭い視線にルーリアがビクッと肩を竦めると、風は一瞬で消え去った。

 グラスを横に置き、ルーリアは視線を彷徨わせて長いまつ毛を伏せる。「……ごめんなさい、でも」と、消え入りそうな声で呟き俯いた。


 自分で怒鳴っておいて気まずくなる。

 ルーリアに対してこんな声を出したのは初めてだった。

 伝えたいことが伝えられず、情けない姿を見せてしまったことに苛立ち、打ち明けられない自分の気持ちを誤魔化すように八つ当たりをして。

 自分の不満をルーリアにぶつけるなんて、我ながら最低以外の言葉が見つからなかった。


「…………わたしだって、好きで子供でいる訳じゃないのに……」


 まずい。そう思った時には手遅れだった。

 ルーリアの瞳から、ポタポタッと大粒の涙がこぼれ落ちる。

 心の底から、自分を殴りたいと思った。


 ルーリアはあの頃から何も変わっていない。

 自分に出来ることを探し、疑うことなくそれを実行する。純粋にただ、人のためにと。それなのに、オレは……。


 ──どっちが子供だ。


 魔力が回復しても、こんなことでファウリー・クアンドを使う訳にはいかない。自力でどうにかするしかない。


「……ルーリア」


 まだ少し堅い声をかけ、身体を起こしてルーリアの方を向いて座り直す。

 その周りだけ、澄んだように透き通って見えて息を呑んだ。ルーリアは歩く練習をしていた時のような、清楚なイメージの白いワンピースドレスを着て座っている。


「……済まない、ルーリア。今のは言い過ぎた。オレは、お前に余計な心配も手間もかけさせたくないだけなんだ」


 いつもなら心の奥底に押し込めるような言葉が口をつく。人の泣き止ませ方なんて自分が知るはずもない。こんな時にどう話せばいいのかも、分かるはずがなかった。


「…………わたしが心配するのは、迷惑ですか?」


 ルーリアは濡れたまつ毛をかすかに震わせ、涙で潤んだ瞳でまっすぐに見つめてきた。


「──ッ!!」


 その泣き顔で、その姿のその台詞は反則だろう!?


 反射的に動きそうになった身体を、無理やり押し留める。こんな簡単に理性が吹き飛びそうになるなんて、自分で自分が信じられない。

 ルーリアにそんなつもりがないのは言われなくても分かっている。分かってはいるが、そんな顔で見つめられたら、オレは──……。


 深く息を吐き、感情と衝動を抑えた。


「迷惑じゃない。だが、ルーリアに心配をされたい訳でもない。オレはお前に守られたいんじゃない。お前を、守りたいんだ」


 やっと言えた言葉は、自分でも情けないくらい告白のようなものになっていた。いくら動揺していたとはいえ、口走ってから後悔と居た堪れなさが募ってくる。


「……わたしを、守る……?」


 ルーリアは涙に濡れた瞳を瞬かせ、その意味を尋ねてくる。その姿を直視できなくて、どこに目を向ければいいのか迷っていると、ルーリアはそれを不思議そうに見て軽く首を傾けた。その仕草に合わせ、艶やかな黒髪がさらりと白い肌に流れる。強く、手を握りしめた。


 ……なんて生殺しだ。


「オレは何ものからもルーリアを守りたいと思っている。お前の役に立ちたいと、そう願っている。誰のためでもなく、オレ自身がそうしたいんだ」

「……ありがとう、クレイドル。でも、ちゃんと自分を大切にしてくださいね。わたしだって、クレイドルの役に立ちたいと思っているんですから」


 本気で心配しているのだと分かる目を細め、ルーリアはグラスをそろっと差し出してきた。受け取って鼻先に近付けると、甘酸っぱい果実の香りが辺りに漂う。

 ひと息に飲み干して見せると、ルーリアは満足げに微笑んだ。魔力回復薬としては優秀だが、やはり甘い。


「その、飲めない訳ではないんだが、出来たら、もう少し甘くない方が助かる」


 苦笑いにもなっていない顔を向けると、ルーリアは放課後に覚えた味の好みを思い出すように頬に手を当てた。


「あ……、そうですよね。そこまで気が回りませんでした。それなら、」


 せっかく作ってくれた薬の味に文句をつけるなど、余計なことを言ってしまったかと思ったが、良いことを思いついたような顔でルーリアは革袋をこちらに差し出した。


「あの、デルフィニアのお酒を出してもらえますか?」

「あの酒を?」


 真っ先に出てきたのが、最近覚えたデルフィニアの酒だと言うのなら、ルーリアの思いつく甘くない飲み物は少ないのかも知れない。さすがに果実酒と果物のジュースしか知らない、なんてことはないと思うが。


 それに、ここに来るのも今日で最後だ。

 飲み納めになると分かっているから、デルフィニアの酒を数本取り出した。

 いつもなら暗くなってから飲んでいたが、今日はもういいだろう。せっかくだから、味を忘れないように飲んでおきたい。


「……お酒、今から飲むんですか?」


 こくりと小さくノドを鳴らし、物欲しそうな顔でルーリアが見てきた。前々から思っていたが、もしかして酒が好きなのか?


「ルーリアも飲むか? 最後だから飲んでおこうかと思ったんだが」


 そう尋ねると、パアァッと晴れやかな良い笑顔が返ってきた。


「はいっ」


 即答だった。どんな笑顔なんだ、それは。

 さっきまで泣いていたくせに、と軽く笑いが込み上げてくる。


「たぶん、そろそろ薬が切れると思います。お酒は着替えた後にもらいますね」


 いそいそと元の姿に戻った時の準備を始めるルーリアを、チラリと横目で見る。どうせなら、この姿のルーリアと酒を交わしてみたい。


「酒を飲むのはいいんだが、こう明るい内に子供の姿のルーリアが飲むのは、どうにも落ち着かないな」


 気になって純粋に酒を楽しめない、とルーリアの反応を窺う。さすがに露骨だっただろうか。


「えっ、あ、うーん。言われてみればそうですよね。じゃあ、薬を飲んでおきます」


 ルーリアは革袋から若返りの薬を取り出すと、迷うことなくそれを口にした。大人ルーリアが15分、仕切り直しとなる。


「……」


 そんなに酒が飲みたかったのか。

 言い出した自分が突っ込むのも何だが、悪酔いしそうな飲み方だな。いいのか、それで。


「もうそろそろ、夕日の時間ですね」


 ルーリアと同じ方向に目を向けると、周りの景色はいつの間にか柔らかな金色の光に包まれ、波を照らす暖かな光がきらきらと煌めき始めていた。

 そこへルーリアの鼻歌が聞こえてきて、デルフィニアの酒と蜂蜜をグラスに注いでいる姿が目に映る。

 砂時計の砂が落ちていくように感じるその景色を、瞬きするのも惜しむようにクレイドルはじっと見つめていた。


 ……ここは、本当に楽園だった。


「今度は大丈夫だと思います。どうぞ」

「あぁ、ありがとう」


 自分もルーリアのグラスにデルフィニアの酒を注いで渡す。


「ありがとうございます。ところで、クレイドルはどうしてそんなに魔力不足になっていたんですか?」


 金色の光を映した瞳でルーリアが尋ねてくる。

 こうして見ると、本来の瞳の色によく似ているな、と思いながら適当な言い訳を考える。


「軍事学科の授業で少し無理をしただけだ。大したことじゃない」

「無理って。そんなことをしたら、また癒部に運ばれちゃいますよ?」


 その言葉で、春先にあった嫌な光景が頭をかすめた。思わずピシッと身体が強ばる。


「それだけは全力で断る」

「あの中で何があったのか、そろそろ教えてください」

「それも断る」

「えぇー、意地悪ですね」


 ルーリアは呆れた顔で軽く笑い、酒の注がれたグラスに視線を移した。酒の色と香りを楽しむように、口をつけずに酒面を見つめている。


 ふと、自分の腰に着けたお守りに目が留まった。

 ルーリアが店の入り口で渡してきた、パラフィストファイスの還印に似た、炎の刻印入りのお守りだ。


「そういや、ルーリア。これのことなんだが」


 お守りを軽く手で持って見せると、「あ、忘れてた」と言って、ルーリアは小さく笑う。


「それ、クレイドルが教えてくれたパラフィストファイスの還印とデキーラオの髪飾りを改造したお守りなんです。一度しか使えないと思いますけど、強力になっているはずですよ」


 ルーリアはなんてことない口調でサラッと告げてきたが、思わず耳を疑った。


「お守りを改造って、お前……」


 普通、調合のレシピを改造しようとするヤツなんていない。完成したレシピは、それをそのまま使い回すのが一般的だ。

 エルフは手先が器用だと聞いたことはあるが、これもその範疇はんちゅうなのだろうか。

 最近、ルーリアは何でも改造しようとする鍛冶学科のドルミナと仲良くしているらしいが、あれは例外だ。


「そのお守りは、レイドが……クレイドルが危険な目に遭っても必ず切り抜けられるように、って思って作ったんです。改造くらい、いくらだってしますよ」


 一瞬だけ、ルーリアの瞳が鋭く光った気がした。まるでその濃い金色の中に、奥底の見えない強い意志を宿したかのように。

 ルーリアは酒を傾け、それを隠すように、ふふっと無邪気に微笑んだ。


 人を助けるためなら、自分の生命でさえ躊躇わずに犠牲にする。即座に人の役に立つ方を選ぶ。

 ルーリアは誰に対してもこうなのだろうか。


 だとしたら危うい。

 クレイドルはたちまち焦燥感に駆られた。


 ……ルーリア自身が、危うい。


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