第166話 初夏の吹雪


 舞台上から、ほとんどの生徒が下りたのを見て、ダジェット先生が声をかける。


「クラウディオ! セルと対戦するなら、シュトラ・ヴァシーリエを使用しても構わんのだぞ?」


 その声を耳にしたクラウディオは一瞬だけ考えるように上を見て、それから首を横に振った。


「いや、今日はいいや。決着がつかなかった時が面倒だ。あれ、対戦が長引いても途中で止めらんないから不便なんだよなー」


 シュトラ・ヴァシーリエは基本的に、どちらかが戦闘不能になるまで続く。だから実力が近ければ近いほど、いつまでも対戦が終わらないらしい。地味に辛そうだ。


「実戦だと、ケガをしても無かったことにはならないからな。そこだけ忘れるなよ」

「へーい。先生、開始の合図だけ頼むー」

「おう、任せろ」


 そうしたやり取りの後、舞台の中央でセルとクラウディオが向かい合う。セルは黒剣を手にしているが、クラウディオは手ぶらだった。


「武器はどうした?」

「ちゃんとあるぞ。丸腰ではないから安心しろ」


 クラウディオは両手で拳を作り、胸前で力強くかち合わせた。


「そういえば獣人だったか」

「おうよ」


 体格差があるから、遠目だと大人対子供のように見えてしまう。セルはいつものように静かに剣を構えた。


「では……始め!」


 ダジェット先生のかけ声と同時に、舞台の上は真っ白な濃い霧のようなものに包まれ、何も見えなくなってしまった。


「ねぇ、ルリ。どうしてセルがクラウディオと対戦してるの? 何かあったの?」


 観戦席に戻ってきたナキスルビアが、不思議そうに尋ねる。みんなも舞台の方から戻ってきたようだった。

 何もするつもりはないけど、こうなってしまうとシェーラの方が人質みたいに見えてくる。


「何かあった、って、どうしてですか?」


 今は部活の時間だから、二人が対戦をしていてもおかしくないのでは? と、首を傾げて聞き返す。


「ロリちゃんは知らないかもしれないけど、クラウディオは今まで、部活で対戦をしたことがないんだよ」

「えっ、そうなんですか?」


 言われてみれば、あんなに背の高い人が部活にいたら、嫌でも目についていただろう。ルーリアはクラウディオを見た覚えがなかった。


「クラウディオは獣人グループの中でも五本の指に入るくらい強いって言われてるけど、よく授業をさぼってるから、ランク自体は下の方なんだ」

 

 クラウディオは日頃から周りに、『面倒だから、ままごとみたいな対戦はしたくない』『自分より強そうなヤツとしか戦いたくない』と、こぼしているらしい。そのため、ランクも下級プレアビス予備グーフルを行ったり来たりしているそうだ。


「あ、だからセルからの申し込みを喜んで受けていたんですね」

「セルからの申し込みってのも、また珍しいわね。初めてじゃないかしら」


 そんな会話をしていると、舞台上の真っ白なモヤの中から空に向かい、ひと筋の黒い光が走った。その黒光は、ねじれた糸束が解れるように螺旋状に広がり、一瞬で白いモヤを吹き飛ばす。綺麗さっぱりと視界が開けた。

 黒光を放ったのがセルで、舞台上を白く覆っていたのがクラウディオだったようだ。


 舞台の上には大きな氷柱がいくつも立ち並び、床面も完全に凍りついていた。

 先ほどまであった白いモヤは、空気との温度差で出来た冷気らしい。二人が立っているのは、まさに極冷の氷の舞台。こんな光景は真冬でも見たことがなかった。


「なっ、何ですか、あれ!?」

「戦いやすいように、クラウディオが足場を変えたんだろう。氷上戦が得意だと聞いたことがある」


 シェーラを警戒するように一瞥し、レイドはルーリアの隣に並んだ。シェーラの横には、フェルドラルが腕を組んで立っている。


 石舞台の上では剣のぶつかり合うような音が響き、二人の攻防が激しさを増していた。

 クラウディオは両手の先が黒い鉤爪かぎづめとなり、それがそのまま武器となっているようだ。よく見ると、頭には白くて小さな獣耳が生えていた。大きな身体なのに、ちょっと可愛い。


「氷の上なのに、クラウディオの動きは安定してるわね」

「あんなに速く動いていても、全然、滑らないみたいですね」


 クラウディオは靴を脱ぎ捨て、裸足になっていた。足の指先にある鋭い爪で、ガッチリと氷を捉えているようだ。


 パッと見ただけだと、クラウディオがセルを追いかけ、一方的に攻撃を繰り出しているように見える。だけど、セルはその攻撃を全て涼しい顔で受け流し、息を切らすこともなく避けきっていた。


「クラウディオの攻撃が当たらない!? それよりも、あの重さの攻撃を受けて剣が折れないなんて……!」


 シェーラが驚いた声を上げる。


「確かにクラウディオの攻撃は速さも重さもある。普通の剣なら、とっくに折れているだろう。だが、それに耐え得る剣を持ち、攻撃を見切られていたら話は別だ」


 誰に言うでもなく、リューズベルトが舞台に目を向け口にする。

 クラウディオは、あの手この手で攻撃を仕掛けるも、それらを全て綺麗にかわされ、素直に驚いた目でセルを見ていた。


「うっわ、これも駄目か。あんた、いったい何者なんだ?」

「名なら、先に名乗ったはずだ。もう忘れたのか」


 セルは今までの対戦でも、出来るだけ相手に傷を負わせないようにしてきた。そんな中でのクラウディオの発言に、ハッとした顔になる。


「……どこかで頭でも打って……」

「そういう意味じゃねぇ。本気で心配そーな目で見てんじゃねぇよ。なんか腹立つな」


 クラウディオの両手の鉤爪かぎづめは、刀を何本も束ねたような斬撃を生み出す。太くて硬い氷柱も、難なく切り裂く鋭さだ。

 広い石舞台を二人が駆け抜けると、氷柱が崩れ落ち、その度に氷の粒が白い冷気を放っていた。


「うらァッ!!」


 クラウディオは息つく暇も与えないようにセルに迫り、次第に辺りの景色を雪原のように変えていく。攻撃から巻き起こる風圧に細かい氷の粒を加え、激しい吹雪をまとうように舞台上を包み込んでいった。

 初夏なのに、闘技場の中には、ひんやりとした冷気が広がっている。真っ白な雪の結晶が、ひらりとひとひら、観戦席にいるルーリアの所まで舞い降りてきていた。


「氷の粒を刃に変えたのか。美しい技だな、悪くない」


 クラウディオはセルの周りに飛び散っていた氷の粒を、切れ味の鋭い細かい刃に変えていた。

 透明な氷の粒は見えにくく、太陽の光を反射して目をくらます。それを風に乗せ、ものすごい速さで群れ飛ぶ蜂のようにして、セルを襲わせていた。

 しかし、かわされた上に褒めるような感想まで述べられてしまい、クラウディオは微妙な顔となる。


「くぅ~、いちいち鼻につくヤツだな。お上品に『美しい』なんて言われちまったら、こっちがゾワッとするわ」

「そうか、それは済まない」


 高速で動いていた氷の粒は、セルが手をかざしただけでピタッと止まった。急に時間を止められたように、氷の粒が宙に浮いている。

 そして、セルの手の動きに合わせ、残らず床面に落とされた。パラパラと氷の粒が足元に散る。


「なッ!?」


 まるで時の魔法でも使われたかのような光景に、クラウディオは驚きの声を上げた。

 だが、地上界で時の魔法が禁忌となっていることは周知の事実だ。すぐに他の可能性を考える。


「空気を逆行させたのか?」

「私は魔法を使っていない」

「……もしかして、魔術か?」

「さあな」


 魔法と魔術は根本が違う。何も道具を用いずに身一つで魔術を使える者は、そうそういるものではない。クラウディオは改めて、セルの底知れなさに触れたような気がしていた。

 それに、観戦席にいた時のような刺々しい殺気を、舞台に上がってからは一度も感じていない。


「あんたは攻撃しないのか? このままだと、いつまで経っても終わらないぞ」


 対戦が始まってからこれまで、セルはクラウディオの攻撃を避けるだけで、自分からは手を出してきていなかった。

 こいつはもしかしなくても、相手を見誤っていたかも知れない、とクラウディオは心の中で舌打ちをする。


 こいつは戦いを好んじゃいない。

 あくまで嬢ちゃんから自分を引き離すために、対戦をけしかけてきただけだ。戦う気のないヤツとの勝負ほど、つまらないものはない。

 それに気付いてしまったクラウディオは、一気にやる気を削がれた。盛大なため息が漏れる。


「……ルリの時間も残り少ないな」


 セルの呟きは誰にも届かないものだった。


「あ? 何か言ったか?」

「いや。そう長引かせるものでもないな、と言っただけだ」

「じゃあ、何かやって見せてくれ。言っとくが、俺は頑丈だぞ」


 やる気を失くしたと言っても、ただで負けてやるつもりはない。クラウディオは拳を握り、セルに向かって構えた。


「そうか」


 セルも黒剣を構え、その剣刃に黒光をまとわせていく。両者ともに、この一撃で終わらせようとしている雰囲気だった。


「では、行くぞ」

「うっし。来いや!!」


 セルが目にも止まらない速さで、黒剣を振り抜く。剣刃から放たれた鋭い斬撃を、クラウディオは胸前で交差させた鉤爪かぎづめで受け止めていた。真っ向からの力比べだ。


「うおぉおおぉォオ~~~!!!」


 バチイィィ──ッ!! と、大きな音を響かせ、弾かれた斬撃は観戦席の端に当たり、近くにいた数人を吹き飛ばして、壁の一部を壊していた。


「わぁお、面白いくらい吹っ飛んでるぅ~」

「わわっ! た、大変っ!」

「大丈夫だよぉ、ほらぁ~」

「……あ」


 すぐに嬉しそうな顔をした癒部の生徒たちが走り寄って行った。何というか、ご愁傷さまと言いたい。


「……っおいおい、嘘だろ。あんた、本当に何者なんだ?」


 クラウディオは驚愕の表情で、セルを見つめていた。硬度が自慢の鉤爪かぎづめにヒビが入ってしまっている。


「だから、先に名乗っ…………本当にどこかで頭でも打ったのか?」


 セルは本気で心配そうな目を向けた。


「……その目は止めろ。マジで傷つく」


 クラウディオはグシャグシャグシャッと、乱暴に頭を掻いた。獣人化は解かれ、最初に見た人族のような姿に戻っている。


「あー、くそっ! もういい、今回は俺の負けだ!!」


 クラウディオは脱ぎ捨てていた靴を拾い、観戦席の方へと駆け上がってきた。

 まっすぐルーリアの所へ来たものだから、レイドが庇うように半歩前に出る。セルもすぐに観戦席に戻ってきた。


「嬢ちゃん、今回は大人しく引き下がるが、嬢ちゃんを諦めた訳じゃないからな。日を改めて、また来る」

「……えっ」


 クラウディオはそれだけ言い残すと、シェーラを連れて闘技場の外へ出て行ってしまった。


 結局、何だったのだろう?

 詳しい話も聞けなかったから、クラウディオが何をしに来たのか、分からず終いだった。


「ルリ、先ほどは済まない。ケガはなかったか?」


 ついホッと息をつきそうになっていたけど、セルの声で我に返る。問題はまだ終わっていない。今度こそ、聞かれたことにきちんと答えなければ。


「はい、大丈夫です」


 ルーリアは気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりと深呼吸した。


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