第161話 雨を毒に変える土
朝、小鳥たちのさえずりで目が覚める。
ルーリアは身支度を整えた後、フェルドラルやセフェルと一緒に、花畑やミツバチの巣箱を見て回る。
それからガインたちと一緒に朝食を取り、セフェルにその日の仕事を頼んで学園に向かった。
学園では菓子、料理、農業の順で授業を受け、放課後の部活に少しだけ参加して、帰宅する。
帰ってから余裕があれば、魔虫の蜂の巣箱も見て回った。
今まで森で、のんびり気ままに過ごしてきたルーリアにとって、この規則正しい生活は慣れるまでが本当に大変だった。今でも時々、午後の授業中に睡魔に襲われている。これが非常に手強い。
ある時には干し草の上で眠ってしまい、もふもふな動物たちに埋もれてレイドに助けてもらう、なんてこともあった。
そんな慣れてきた日課から外れた、ある日の放課後。
この日は授業が終わってもすぐには部活に行かず、ルーリアとレイドは農業学科の学舎に残っていた。
「じゃあ、二人とも付いて来て~」
コルジ先生の案内で向かった先は、学舎の中にある鍵の掛かった保管庫。ここには農薬や毒物などの危険物や、それに関する資料が置かれている。
この中にある物は、農業をする上で必要となった生徒にだけ、先生が付き添う形で使用や閲覧を許可しているそうだ。
「レイドから申し込みがあった毒物は、残念ながら持ち出し禁止だよ。そこの作業台の上でなら、いろいろ試してもいいけど。絶対に直接、触っちゃダメだからね~」
簡単に注意事項を口にしながら、コルジ先生がルーリアたちの前に二つの瓶を置く。一つには土、もう一つには透明な液体が入っていた。
「今回は見るだけだから、時間はそうかからない」
「あっそう。じゃあ、終わったら声をかけて~」
コルジ先生は保管庫の出入り口にある机に向かい、椅子に座るなり、ぐーすか寝てしまった。やる気のなさがすご過ぎる。危険物があるのに、生徒だけで放っておいていいのだろうか。
そんなことはさておき、レイドはさっそく二つの内、土の入った方の瓶を手にする。
ルーリアは目を瞬いて、瓶の中身を見つめた。
「これが……レイドの言っていた毒ですか?」
「ああ。ただし、毒と言っても普通の毒じゃない。上手く説明は出来ないが、この土のように見える物は毒であり、生き物でもあるんだ」
「えっ? 毒なのに、生き物?」
じっと目を凝らすが、土はピクリとも動かない。ごくごく普通の茶色い土に見える。
「えっと、これが、生きているんですか?」
「ああ。その辺は説明するより見た方が早いだろう」
レイドは慎重な手つきでフタを開け、持ってきていた草を一本摘まんで瓶の中に入れた。
すると、土がもぞもぞっと動き出し、草を器用に呑み込んでいく。
「あ、食べ……てる? 少しだけ、土が増えたような?」
「植物を取り込むと、その分だけ増えるんだ」
石や金属には反応しないらしい。
たぶん動物も取り込むだろう。と、レイドは苦い顔をする。有機物を食べて、増える土。
確かに生き物のように見えなくもない。
「毒は、どんな毒なんですか?」
そう尋ねると、レイドはもう一つの瓶を手に取った。無色透明な液体が不気味に揺れる。
「それを見るなら、こっちだ」
レイドはその液体の瓶に、先ほどと同じように草を一本入れた。
草の先端は液体に触れた途端、色が若緑から茶褐色へと変わり、まるで枯れ草のように
「……かなり強い毒ですね」
無色透明で、無味無臭。
もし人が何も知らずに、この液体に触れたり、口にしてしまったら……と、レイドは言葉を濁す。きっとこの枯れ草と同じようになってしまうのだろう。恐ろし過ぎる。
一応、早い処置であれば、解毒薬や解毒魔法は効くそうだ。
「この液体は、この土に触れた水が変化した物なんだ。もっと分かりやすく言うなら、この土に雨が降れば、それが全てこの毒液となる」
それを聞いて、ルーリアはゾッと肌が粟立った。
「……雨が降る度に、毒が広がっていくということですか?」
「そうだ。どんなに取り除いても、この土はまた増える。広い範囲の土を、一粒残さず全て取り除くなんてことは不可能だからな。雨が降れば、その度に毒が植物を根絶やしにする」
レイドは忌々しそうな顔で、瓶に入った土と液体を睨みつけた。
「…………根絶やし……」
植物の育たない土地がどうなってしまうかなんて考えるまでもない。人どころか、どんな動物でも生きていくことは不可能だろう。そこに毒も広がっているというのなら、尚さらのことだ。
「……ルリは、この毒について何か知っているか?」
真剣な目で尋ねられ、ルーリアは力なく首を振る。見たことも、聞いたこともない。
「だろうな。それなら、ここで見たことは忘れてくれ。これ以上、この件にルリを関わらせるつもりはない」
「……その毒は、今はどれくらい広がっているんですか?」
「それは……オレにも分からない。故郷を離れて、だいぶ経つ。もしかしたら、オレの知っている故郷はもうないのかも知れないが」
レイドは伏せるように視線を遠くに投げた。
けれどそれも一瞬のことで、すぐに気丈な顔をルーリアに向ける。それは無理をして作ったものではなく、とっくに覚悟を決めているような顔だった。諦めていない、強い光を宿した目だ。
「それでも、オレのやることに変わりはない。ルリ、間違ってもお前は気にするな。これはオレの問題なんだ。ルリが背負うことじゃない」
保管庫を出た後、レイドはもう一度、ルーリアに毒のことを忘れるように強く言った。
「でも……」
「でもじゃない。本当なら見せるつもりもなかったんだ」
言葉の通り、レイドはルーリアに毒の話をしたがらなかった。けれど、ルーリアが無理を言ったのだ。もし自分が知っている毒であれば、解決法が分かるかも知れないと。
かなり迷った末、レイドは今回、毒の正体を見せてくれた。ほんの少しでも得られる情報があればと、そう思ったのだろう。結果として、ルーリアは何の役にも立てなかったのだが。
「返事は?」
ルーリアが忘れるとも言わず、何も反応を返さずにいると、レイドはぽんぽんと軽く頭に触れた。
「…………はい」
渋々といったルーリアの返事に、レイドはふっと微笑む。
「よし。コルジ先生に言っても無駄だからな。ルリには見せないように頼んでおいた」
「……っむぅ」
先手を打たれてしまった。ルーリアは頬を膨らませ、聞こえないように文句を呟く。
「レイドって、やっぱりちょっとお父さんに似てるんですよね」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ、なんにも」
レイドはいつもの顔に戻り、ルーリアも出来るだけ表情に出さないようにした。
レイドの抱えている問題は、ルーリアが思っていたよりも深刻で大きい。忘れるように言われても、そんなことは出来るはずがなかった。
その日の帰宅後。
ルーリアは自分の部屋にあった本と、エルシアの工房にあった本をいくつか引っ張り出した。
レイドが見せてくれた毒についての記述がないか、片っ端から調べていく。
エルシアの工房の本については、ルーリアよりもフェルドラルの方が詳しいので、一緒に探すのを手伝ってもらっている。セフェルは古い文字が読めないから、ベッドの上で丸まっていた。
実物を見た感じでは、毒と土、それぞれの対処法が必要なように思えた。レイドの故郷の、どれだけの土地が毒に侵されているのだろう。
ルーリアが不思議に感じたのは、毒に侵されている土地の話を、ガインからもユヒムからも聞いたことがないことだった。
魔虫の蜂蜜は解毒薬としても使われている。
もしどこか特定の地域で大量に消費されているのなら、話題に出ないはずがなかった。
「……レイドは遠い国の人なのでしょうか」
ケテルナ商会もビナーズ商会も、世界中に店がある訳ではない。関わりが全くない国では、薬も売りようがないのだ。
「これも違う」
パラパラと、ページを急いでめくっていく。
ルーリアはもう少しで眠る時間だ。
毒について載っていそうな本を探していくけど、それらしい記述はなかなか見つからなかった。
……残念だけど、今日はここまで。
そう思って、しおりを挟んで本を閉じる。
とそこへ、フェルドラルが本を持ってエルシアの工房から出てきた。
「姫様。もしかしたら、これではないでしょうか?」
それは、いろんな地域の珍しい生き物について書かれた本だった。その中の一節に、土の魔物の記述があったのだ。
「……リンチペック。あの土に名前があったんですね」
特徴などは、レイドが見せてくれた物と一致する。記述にはこうあった。
リンチペックは土に似た姿の地属性の魔物である。動植物をエサとして増殖し、水を得ると強い毒を発生させる。自身以外の生物を死滅させ、その地を占有する。
物理、魔法による攻撃は効果が薄く、場合によってはそのせいで飛散し、分布域を広げてしまうこともある。発生地域は、魔族領の南西部にあるフェアロフローである。
「魔族領の、魔物……」
毒には持続性があるから、一度汚染されてしまうと、ずっと土地に残り続けてしまうらしい。
どんな切っかけで、リンチペックはレイドの故郷に広がってしまったのだろう? レイドの故郷は魔族領の近くにあるのだろうか?
「何か、弱点、は……」
これからというところで、急に眠気が襲ってくる。
「姫様、今日はもうお休みになられてください。続きは、また明日なされば宜しいですわ」
「……は、い」
ルーリアは大人しくベッドに横になった。
温かい毛布に包まれると、途端に意識が深く沈む。
……毒の正体は、魔族領の魔物。
それが分かっただけでも、大きな一歩を踏み出せたような気がして。
この日からルーリアはレイドに隠れ、少しずつリンチペックについて調べていくようになった。
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