第122話 ぬくぬくで幸せな香り
フェルドラルは原因が分からないと言っていたけれど、ルーリアには少しだけ気がかりなことがあった。それを確認するため台所へと向かう。
あれは、普通の『茶』じゃなかった。
薬草茶でもないし、香草茶でもない。
飲んだ後に、強い酒に酔ったような感覚があったのだ。
ルーリアはまず、茶葉の棚を調べた。
特に変わった物は見つからない。
ここじゃないとなると他は……って、まさか!
ルーリアはミルボラを入れた瓶を探した。
最後に置いたはずの場所になかったからだ。
よく探してみると、ルーリアが置いた所とは違う場所にその瓶はあった。
「あぁっ! やっぱり!」
ミルボラがごっそりと減っている。
どうやらエルシアは、これを茶葉と間違えて使ってしまったようだ。
ミルボラの実は茶葉と違ってとても堅い。
熱湯を注いでも、恐らく色は出なかったはずだ。だからエルシアは、ついつい大量のミルボラを使い、偶然にも濃いミルボラ液を作ってしまったのだろう。
ということは、ルーリアもガインもミルボラの実でおかしくなったということになる。
虎は……やっぱり猫なのだろうか?
「こんな小さな実で……」
思わず口に出して呟くと、
「んふ。それが原因でございますか」
誰もいなかったはずの場所から声がして、ルーリアはビクッと振り返った。
そこには、面白い玩具を見つけたような笑みを浮かべた、少し怖い雰囲気のフェルドラルが立っている。
「あ、あの……フェルドラル?」
いつの間にかルーリアの手元からは、ミルボラの瓶が消えていた。
「セフェルには、わたくしから渡しておきますわ。それと『これ』はわたくしが預からせて頂きます。使い方を間違えますと危険なようですので」
「えぇっ!?」
フェルドラルが持っている方が危険だと思うんですけど!?
ミルボラの瓶を指先でクルッと回し、フェルドラルは妖しく微笑んだ。
その後、深く眠ってしまったガインが目を覚ますまでには、丸一日かかった。
ルーリアが飲んだミルボラ液はひと口だけだったが、ガインはカップ一杯分を飲んでしまっている。その分、効き目が切れるまで時間がかかったようだった。
深く眠っているガインを二階の部屋に運ぶ前。
ルーリアはエルシアと一緒にガインを枕にして、暖炉の前で昼寝した。このことは二人だけの秘密だ。もふもふとふわふわで、最高にぬくぬくな寝心地だった。
そして、ガインが起きた後。
今回の件について、ルーリアは原因を詳しく聞かれることになったのだった。
「昨日のことだが。エルシアに聞いても、何があったのか答えようとしない。ルーリアは何か知っているか?」
お母さん……逃げましたね。
わたしだって説明が苦手なのに。
と、話が終わるまでルーリアを逃がす気のないガインの前で肩を落とす。
「え、えっと。昨日、お父さんはお母さんが作った物を口にして、それで寝込んでしまったんです。だから、お母さんは言い辛かったんじゃないかと……」
エルシアが作った物、と聞いた瞬間、ガインは妙に納得した顔になった。
その存在を匂わせただけで黙らせてしまうなんて。エルシアの手料理とは、どこまで凄まじいのか。
「………………そうか……」
そう呟いてため息をつくと、ガインはそれ以上、何も言ってこなかった。一応、嘘はついていない。
◇◇◇◇
それから数日が過ぎ、スッキリとした笑顔のシャルティエが家を訪ねてきた。
「この前は急にごめんね。でもルーリアのお蔭で、悩んでいた一番の問題が解決したよ。本当にありがとう」
「え? え?」
会うなり両手を握られ、身に覚えのない礼を伝えられた。何の話かと問えば、詳しくは言えないという。とにかくルーリアに何かを助けられたらしい。
「あと、はいこれ。スイリーケの精油。調べてみたら、ちょっと珍しい花だったみたい」
「あ、ありがとう、シャルティエ」
……これが、お父さんの好きな香り。
小瓶を開けると、清涼感のあるスイリーケの香りが広がる。果物で例えるなら、まだ若い緑色の柑橘類の果実のような、そんな香りだ。
この爽やかな香りが好きで、ルーリアはスイリーケを花畑で育てていたのだ。この花から採れる蜂蜜は、ほんのり酸味があってコクがある。花畑一面に広がる黄色と火色も、彩りが鮮やかで美しかったことを思い出した。
「ねぇ、せっかくだから、さっそく作ってみたら?」
「そうですね」
香水は一種類の精油だけで作るよりも、何種類か合わせた方が香りに
どれと組み合わせようか悩んだ末、ルーリアは二種類の精油を足すことにした。
一つは、さっぱりとした柑橘類の果実、キューズの香り。もう一つは、雪解けに咲く花びらの多い白い花、ハプルーの香り。
それらを混ぜて、ガイン用の香水を作ることにした。
「……こんなものかな」
さっそく試香紙に一滴垂らし、香りを嗅いでみる。
……うん。スッキリしてて、爽やかで。
でも芯があって、しっかりとしている。
「こんな感じでどうでしょう?」
「……うん、いいと思う。男の人がつけていても気にならないくらい爽やかだし。良い香りに仕上がったね」
香水に詳しくなくても、蜂蜜や旬の果物の匂いを嗅ぎ分けるくらい、シャルティエは優れた嗅覚の持ち主だ。笑顔で合格点をもらえて、ルーリアはホッとした。
「問題は……お父さんがこれを使ってくれるかどうか、ですね」
「あー、それは分かる。興味のない人に香水って薦め辛いもんね。ガインさんて、こういうの好きな人なの?」
「そういった話は今まで聞いたことがないです。受け取ってもらえるか、ちょっと不安になってきました」
ガインが好きか嫌いか。そこまで考えていなかった。香水の話はまだ何もしていない。それに、どうやって渡そう。
「姫様はなぜ、ガインに香水を作ろうと思われたのですか?」
部屋の片隅で本を読んでいたフェルドラルから、そんな質問が飛んできた。
「それは……お父さんが心配だからです。少しでも危険な目に遭わないようにって思って……」
「それでしたら、素直にそのまま『心配だから』とお伝えなされば、ガインは受け取りますわ。姫様からの贈り物でしたら、尚さらです」
「……そうですか?」
人に何かを贈る時って、自分が満足するだけじゃダメな気がするから難しい。……喜んでもらえるだろうか。
「大丈夫だよ、ルーリア。一生懸命作ったんだから。ガインさんなら受け取ってくれるよ」
「……そう、ですね。シャルティエにも手伝ってもらったんですから、ちゃんと渡したいと思います」
そして後日、ルーリアは決意を固め、ガインに香水を渡すことにした。
「あ、あの、お父さん。ちょっといいですか?」
「ん? 何だ?」
外の見回りから帰ったガインにモジモジしながら声をかける。
「あの、これ……お父さんの好きそうな香りで作ってみました。良かったら使ってください」
思いきってガインの手の平に香水の小瓶を乗せた。淡い緑色の液体にガインが小首を傾げる。
「これは何だ?」
「香水です」
「……香水」
「お父さん用に作ってみました」
ガインは何とも言えない微妙な顔で小瓶を見つめていた。その表情は、ひどく戸惑っているように見える。
「…………その、……何だ」
「はい」
「……俺は……。いや、何でもない」
ガインは何かを言いかけて止めた。
その様子を見ていたフェルドラルが、笑いを堪えるように口元に手を当てる。
「姫様、香水を渡す理由を教えてあげませんと。ガインは遠回しに自分が匂うと言われていると思っているようですわ」
「えっ、あ、違いますよ!?」
ルーリアは慌てて護身用に作ったのだと、香水についてガインに説明した。
「あと、お父さんは良い匂いですよ。背中に乗っているとポカポカして眠たくなるような、春のお日様の下にいるような、安心する良い匂いがします。わたしは大好きです」
つい勢いで余計なことまで言ってしまった。
少し照れた顔をするガインに釣られ、ルーリアも頬を赤く染める。
「ありがとう、ルーリア。大切にしよう」
「……えっと、大切にしなくてもいいので、ちゃんと使ってくださいね?」
それもそうか、とガインは苦笑いした。
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