第91話 祭りの前の静けさ


 火蜥蜴サラマンダーのレシピのお守りは、基本的に火属性で防御と反撃を兼ね備えた装飾品となっているらしい。

 その後も黙々と調合を続けたルーリアは、指輪、首飾り、髪飾りを作り上げた。


 慣れない火属性の調合が続いたため、魔力はかなり減っている。瓶からすくった魔虫の蜂蜜をスプーンごと、ぱくっと口に入れた。

 魔力回復は何回目だろう。くらっとするから、軽く魔力酔いを起こしているようだ。

 一つでも多くのお守りを作っておきたいから、つい気持ちが焦ってしまう。


 シャルティエが訪ねてきたことをセイラが報告に来たのは、そんな時だった。


「姫様、調合よりシャルティエとの約束をお選びください。試験が終わるまでですと、今日が最後となるのですから」


 今日が最後。これからしばらくは一緒に菓子作りが出来なくなる。心配そうな顔をしたフェルドラルにそう言われてしまえば、ルーリアは部屋を出るしかなかった。



 調理場でルーリアが来るのを待っていたシャルティエは、顔を見るなり眉を寄せる。


「……ルーリア、なんか無理してる? 少し疲れた顔してるよ?」


 ひと目でバレてしまった。

 自分ではいつも通りの表情をしているつもりだったのに、シャルティエは本当によく見ている。


「大丈夫です、無理はしていません。それより、シャルティエにこれを……」


 ルーリアは作ったばかりの指輪を一つ、シャルティエに渡した。


「これは?」

「ジュリスの指輪というお守りです。危険な目に遭いそうになった時、この指輪を相手に向けると炎が守ってくれます」

「えっ。どうしてそんな物を?……何かあるの?」

「これは念のためです。わたしが心配性なだけですから。安心させるためだと思って着けてもらえると嬉しいです」


 シャルティエはしばらく指輪を眺めた後、右手の中指にはめてくれた。指に通すと少し大きめだった指輪が縮み、ピッタリとはまる。


「まさかこれ作ってて疲れてる、とか言わないよね?」

「そんなことありませんって。大丈夫です」


 まだ疑いの残るような目で見ていたけれど、ルーリアがエプロンを着け始めると、シャルティエは持ってきた食材を調理台の上に並べていった。


「今日は何を作るんですか?」

「チィリーナのベニエだよ。ベニエは油で揚げたお菓子のことね」


 取り出したのは、小粒の丸い赤い実。


「チィリーナは冬に採れる珍しい果物なの。ダイアランとマリクヒスリクの沖合にある小さな島で採れるんだけど……」

「おきあい? 小さなしま?」

「んー、ルーリアは海って知ってる?」

「はい。本で読んだことはあります。確か、地面が尽きる所にある、たくさんの水のこと……ですよね?」


 疑問形なルーリアの返事に、シャルティエは少し困ったような微妙な笑顔になった。

 シャルティエがこの顔をしているということは、今のルーリアには説明が難しいということだ。


「海は口で説明するより見た方が早いと思う。今度、島と一緒に写真か何かで教えてあげるね」

「はい」


 外の世界のことは、まだまだ知らないことの方が多い。ルーリアはシャルティエと話すことで、たくさんのことを覚えている最中でもあった。


「あの、シャルティエ。そういえばわたし、明日のお祭りのことも神様のレシピのことも、よく知らなくて……。良かったら教えてもらえますか?」


 チィリーナの実には真ん中に種がある。

 掘り出すように種を外しながら、ルーリアは尋ねた。

 菓子作り中は話をしていても手は動かす。

 シャルティエの監督の元、そのクセはしっかりと身についていた。


「神様のレシピの課題発表は、通称『創食祭そうしょくさい』って呼ばれてて、学園の中でも創部そうぶ食部しょくぶが主役となるお祭りなの」


 ……そう、ぶ? しょくぶ?


「え? すみません、シャルティエ。学園って、そもそもどういう所なんですか? その、部って?」

「……まさかとは思うけど、ルーリアは学園のことを何も知らないで試験を受けるつもりだったの?」


 シャルティエから呆れた顔を向けられ、ルーリアは思わず「うっ」と声を漏らす。


「……ごめんなさい。ずっと試験を目標に頑張ってきたシャルティエには申し訳ないのですが、この話は本当に急に決まったことで……」

「やっぱり。いきなり試験を受けるって聞いたから変だと思ったよ。何があったの?」


 シャルティエに話していいのか少しだけ迷う。


 ……でも。


「わたしはシャルティエには隠し事をしたくありません。すぐに信じてもらうのは難しいかも知れませんが、わたしの話を聞いてもらえますか?」


 手を止めて見つめるルーリアにシャルティエは小さく頷き返す。


「わたしには噂じゃなくて、本当に何かの呪いが掛けられているそうなんです。そして一昨日、それを解くためには明日のお祭りに参加することと、学園の菓子学科に入学する必要があると分かって……」

「えっ? んんん~? 呪いと……学園?」


 話の繋がりが見えないとシャルティエは首をひねる。それはルーリアも同じ気持ちだった。


「どうしてその二つの条件が必要なのか、わたしにも分かりません。それに呪いを解くためとは言え、わたしの行動はシャルティエのように真面目に頑張ってきた人には、ふざけているように映ってしまうかも知れなくて……」


 ずっと勉強をしてきた訳でもないし、経験だって全く足りていない。そんな自分が試験に割り込もうとしているのだ。怒られて当然だと思う。


「別にいいんじゃない? 理由なんかどうでも。試験だって実力がなければ、どんなに立派な言い訳を並べても受かることなんてないんだから」


 嫌われるかも知れないと俯いていたルーリアに、シャルティエは軽い声をかける。


「ルーリアは考え過ぎだよ。人生なんていつどんな風に転ぶのか、きっと神様にだって分からないんだから。自分がやれるだけやって勝ち取ったものは、誰が何と言おうとその人のものなんだよ。ウチのお父さんだって、そうやってタルトのレシピを勝ち取ったんだから。偶然とかまぐれとか、言いたい人には言わせておけばいいんだよ」


 シャルティエから出された力強い言葉に、ルーリアは目を瞬かせた。シャルティエは、どうしてそんな風に強い言葉を口に出来るのだろう。

 シャルティエの言葉の中には、自分たち家族がそうであったという実感のこもった思いが込められていた。


「…………シャルティエ」


 友達からのまっすぐな言葉が胸を熱くさせる。

 ルーリアはシャルティエの言葉で背中を押され、勇気をもらったような気がした。

 見とれているようなルーリアの視線に気付いたシャルティエは、少し照れた顔でパタパタと手を振る。


「じゃ、じゃあ、何も知らないルーリアに学園のことを説明してあげる」


 シャルティエはチィリーナの赤い実を10個並べ、その内の2個を少しだけ離した。


「えーと、学園を運営しているのは神様ご本人。在学期間は春からの1年間。学園には全部で10学部あって、神様のレシピの試験で入学者を決めるのは創部と食部の2学部だけなの。他の8学部は一般応募で選考されるんだよ」


 ……10の、学部? そんなにたくさん?


「え、てっきり料理とお菓子だけかと……」

「それじゃ学園じゃなくて、ただの料理学校になっちゃうじゃない。創部は鍛冶と木工、食部は料理と菓子って、それぞれ2学科ずつあるの」


 シャルティエは少し離した2個のチィリーナの下に、さらに木の実を2個ずつ置いた。

 鍛冶、木工、料理、菓子、と。


「じゃあ、試験は4種類の課題があるということですか?」

「そういうこと。わたしたちが受けるのは、その中の菓子学科ね」


 ルーリアが話に付いてきているか確認しながら、シャルティエは説明を続ける。


「各学科の課題で最優秀に選ばれた人には、在学中は特待生として学園内でいろんな権利が与えられるの」

「え? レシピの権利だけじゃないんですか?」

「それだけじゃないよ。例えば、他の学科の授業も自由に受けられるの」

「……他の?」


 ルーリアの目は8個のチィリーナに向けられた。そこへシャルティエがまた木の実を並べていく。


「政部には政治と経済学科。理部の薬学と調合。衣部の裁縫と装飾。軍部の軍事と情報。芸部の音楽、絵画、その他の芸術関係。法部の法律と裁判。癒部の医療と治癒魔法。住部の農業と建築。学園には全部合わせて10学部、21学科あるんだよ」

「……なッ!?」


 に、21学科!?


 衝撃の事実にルーリアは言葉を失くした。

 そんなに学ぶ種類があるなんて。

 もしかしなくても、自分はとんでもない所に挑もうとしているのではないだろうか!?


「どの学科も年齢制限はないから、小さな子供からお年寄りまでいるの。どの種族の人でも入園できるんだけど、やっぱり人族が多いかな?」

「……うぅっ。シャルティエェ~……」


 どう考えても大勢の人が集まる場所としか思えない。そんな中に自分が入って行くなんて、想像しただけでルーリアはとてつもない不安に襲われた。


「よしよし、大丈夫だよ。ルーリアが小さいからって、誰もイジメたりしないって。学園で揉め事を起こしたら、神様に即行で退学させられちゃうんだから。きっと変な人はいない!…………はず」


 語尾よわっ!

 思わず心の中で突っ込んだ。


「か、各学科には、どれくらい人がいるんですか?」

「それが決まってないの。多い時もあるし、少ない時もあるんだって。お父さんが通ってた時の菓子学科は20人くらいだって言ってたかな」

「……20人」


 ルーリアはそっと息を吐いた。

 それくらいなら、まだどうにか耐えられる。


「でも他の学科は多いところだと毎年300人は超すみたいだよ」

「は……ぅ!?」


 一度安心させといて落とすシャルティエ。

 ルーリアは真っ青な顔になった。


「もうっ、そんな顔をしなくても大丈夫だって。そんなに心配ばかりしてたら来年の春まで持たないよ?」


 そう言いながら、シャルティエは量り終わった材料をボウルに入れ、ルーリアの前に差し出した。


「はい。混ぜる練習、練習。ルーリアは余計なことを考えないで、今は練習あるのみだよ」

「……うぅっ、は、はい」


 シャルティエの言う通りだ。

 今は余計なことを考えない方がいい。

 ルーリアは泡立て器で一生懸命に材料を混ぜた。初めてタルトを作った時から比べると、だいぶ手の動きも慣れてきていると思う。


 チィリーナの種を抜いた空洞の部分に木の実を詰め、木の串に3個ずつ刺していく。それに衣をたっぷり付け、熱した油でカラッと揚げた。

 仕上げに真っ白な粉糖をかければ……チィリーナのベニエの完成だ。甘い香りに食欲がそそられる。


「美味しそう~」

「ふふ~ん。冬らしいお菓子で良いでしょう?」


 ルーリアとシャルティエは、さっそく紅茶を淹れて試食した。フィゼーレは仕事で、フェルドラルとセフェルは三階の部屋にいるから二人だけだ。


「んん~。これ、甘酸っぱくて美味しいですね。中に詰めた木の実がよく合っています」


 本当は揚げ立てを食べるのが寒い日のお薦めらしいのだが、猫舌なルーリアは少し待ってから頬張った。


「でしょう? 美味しいんだけど、チィリーナはなかなか手に入らないからねー」

「そうなんですか?」

「まぁ、いろいろとね。採取するのが難しい果物らしいよ。でも、チィリーナを他の物に代えれば、いろんなベニエを楽しめると思うから、良かったら試してみてね」

「分かりました。ありがとう、シャルティエ」


 それから少しだけ明日の話をして、シャルティエは帰って行った。

 明日からは、この調理場に来てもシャルティエはいない。そう思うと寂しいような、少し切ない気持ちになった。



「姫様、お迎えにあがりました。少しだけですが部品を作っておきましたわ」


 シャルティエと菓子作りをしている間、フェルドラルとセフェルは部屋に残り、調合を続けてくれていたらしい。


「……フェルドラル、セフェル。ありがとうございます」


 二人にチィリーナのベニエを渡し、ルーリアは眠る直前まで調合を続けた。


 明日はいよいよ、祭りの日だ。


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