第78話 美味しい魔王を作るには


 つい魔王なんて言ってしまったものだから、シャルティエが可愛らしく首をひねっている。


「ま、まぁ、大きな果物……なんて、はは」


 って、そんなことより。


「この果物がどうしてこの季節に!? これで作られたタルトを食べて、わたしはその美味しさに衝撃を受けたんです。料理やお菓子作りに興味を持ったのも、この果物のタルトがあったからで……。これは何ていう名前なんですか?」


 ルーリアは食いつくようにシャルティエに尋ねた。


「これはツィーリーハピアで採れる、シュファルセックっていう夏の果物なの。お店でタルトとして売られるのは夏から秋なんだけど、ルーリアが一目惚れしてくれたって聞いて。今日は商品開発用に取っておいた分から特別に持ってきちゃった」


 そう言って、シャルティエはパチッと片目を閉じる。


「えっ、夏の!? 今は冬ですよ?」


 驚くルーリアに、シャルティエはいたずらっぽい笑みを返した。


「お菓子作りに時の魔術具を使ってはいけない、なんてルールはないよ」

「……っ! さ、さすがシャルティエ」


 そうだった。シャルティエはお菓子作りに、平気で魔虫の蜂蜜を使ってしまう子なんだった。時の魔術具を使うことを躊躇うはずがない。


「……ツィーリーハピアの、シュファルセック」


 ツィーリーハピアはサンキシュの南隣にある国で、その国土面積は地上界で下から数えて3番目と小さい。

 農業が盛んな国で、ミリクイードが穀物や野菜の生産に特化しているのに対し、ツィーリーハピアは果物を特産品としているそうだ。


 シュファルセックはルーリアの小さな両手に、ちょうど一つ乗るくらいの大きさで、丸いお尻のような形をしていて、皮には薄らと産毛が生えている。まだ皮も剥いていないのに、黄色いシュファルセックはとろけるような甘い香りで調理場の空気を支配していった。


 ……はあぁぁ~~……。本当に良い香り。


 うっとりとした顔のルーリアを見て、シャルティエは握った右手を高く突き上げる。


「じゃあ、ルーリア。今からシュファルセックのタルトを作るよ!」

「えっ、タルトを!? 誰が……?」


 にんまりと口の端を上げたシャルティエは右腕をゆっくり下ろし、ルーリアの顔を指差してピタッと止めた。


「ええっ!? わ、わたし!?」


 ルーリアは黄色い果実を見下ろし、こくりと小さくノドを鳴らす。


 ……ま、まさか、自分のこの手で魔王を生み出す日が来るなんて……!




 カシャカシャカシャカシャカシャ……


 混ぜて混ぜて混ぜて、ひたすら混ぜる。

 ルーリアは脇目も振らず、タルトの材料を泡立て器で混ぜ合わせていた。

 慣れない動きをしているせいで、手首の感覚はすでにない。


 シャルティエとシュファルセックのタルトを作りを始め、1時間ほどが経過していた。


「ルーリア、タルトの下地は焼き上がったよ。そっちはどう?」

「…………まだ、です」


 カシャカシャ……カシャ……カシャ……


 疲れて重くなった手は思うように動かない。

 混ぜているというよりは、持ち手だけを左右に振っているような状態だった。

 そんな不器用なルーリアの手付きを見て、シャルティエの目が鋭く光る。


「ルーリア、手が回ってないよ」

「は、はいっ」


 分かっていても手がついて来ない。

 菓子作りに入った途端、シャルティエは人が変わったようにテキパキと動いて指示を出した。

 その姿は、まさにベテランの菓子職人だ。


「ちょっと貸してみて」


 シャルティエはルーリアの手を止めると泡立て器を受け取り、材料の入ったボウルを自分の手元に寄せた。

 シャルティエが軽く手を回すだけで、あっという間に材料がなめらかになっていく。

 さっきまで形が残っていた果物も、シャルティエの手にかかれば綺麗なクリーム状となって渦を描いた。


「……はぁぁ~……。さすがですね」


 手際が良くて、無駄がない。自分でここまで出来るようになるには、どれくらいかかるのだろう。

 ルーリアは手首をさすりながら、シャルティエの動きを感心して見ていた。


「ルーリアは今までにどんなお菓子を作ったの?」

「ほとんど焼き菓子です。クッキーとか、パイとか。ライル粉やバターを使って作る物ばかりでした」


 家には調理器具も何もないから、菓子作りというよりは魔法の特訓みたいになっていた。

 あれを料理と呼んでもいいのか、かなり微妙なところだ。

 フィゼーレが用意してくれた調理場には、見たことのない道具がズラリと並んでいた。


 焼き窯、オーブン、冷蔵庫、冷凍庫。加熱台に焼き台、冷却台。大きさや形の違う、たくさんの鍋や包丁。手に持って使う様々な道具。


 それらに囲まれているだけで、ルーリアはその場の雰囲気に呑まれてしまっていた。

 正直に言ってしまえば、自分の足手まとい感がものすごい。ほとんど役に立っていない。

 けれどシャルティエは、そんなルーリアを見ても嫌な顔一つ見せず、心配する必要がないくらい楽しそうにしてくれていた。


「こんな風に手で材料を混ぜるのは初めてなの?」

「そうですね。手でこねることはあっても、混ぜる時は魔法で済ませていましたから」

「……魔法かぁ、なるほどね」


 ルーリアの答えを聞き、シャルティエは何かを納得した様子だった。きっと不器用すぎるから、お菓子を作ったことがあると言っても説得力がなかったのだろう。


「私は魔法が使えないから手で混ぜるしかないけど、たまに魔術具は使うかな。魔法が使えなくても、お菓子作りなら大人にも負けないけどね」


 自信たっぷりの笑顔を見せ、シャルティエは混ぜ終わったボウルを冷蔵庫に入れた。

 そして次の材料が入ったボウルをルーリアの前に置く。


「手でも魔法でも、どっちでもいいよ。生クリームは泡立てたことある?」

「生クリーム? これはミルクではないんですか?」


 ボウルの中身はミルクにしか見えない。

 ルーリアのその反応に、シャルティエは残念そうな顔をした。


「あー……知らないかぁ。生クリームは泡立てると、ふわっふわのクリームになるの。昨日のタルトにも使われていたんだけど、覚えてるかな? こう、尖ってねじれてて、縁に飾られてた……」

「あ、あれですか」


 真っ白いクリームの綺麗な縁飾り。

 確かに昨日食べたタルトの中にあった。


 このミルクにしか見えない液体が?

 混ぜるだけで、あんな感じのふわふわに?


 ちょっと信じられないけど、すごく楽しそうだ。

 しかし、手の疲れはすでに限界だった。

 今まで力仕事をすることがなかったから、とにかく体力がない。


「じゃあ、魔法で混ぜてみます」


 ルーリアは気合いを入れ、生クリームが入ったボウルを手に取った。


流れる風に身を委ねよクイン・ファー・レイス


 真っ白い液体が風で囲われ、球状になって宙に浮かぶ。風魔法で周りを囲み、その中で混ぜるように細かく刻むつもりだ。


裂風の刃にて切り刻めシュライズ・サン・レイス


 ビシャッ!!



 …………ぽたっ



 …………ぽたっ



 呪文を唱えると生クリームは無残に飛び散り、ルーリアとシャルティエを見事に直撃した。


「ひぁっ!! な、なんでっ!?」


 誰がどう見ても大惨事だ。

 頭から生クリームを浴びたシャルティエは、口は笑っているが目は笑っていなかった。


「…………ルーリアぁ? なに、してるのかな?」


 目が据わったシャルティエからは恐ろしい気配が漂ってきている。


「あ、あぁあ、あのっ、そのっ……」


 小さくなって涙目で見上げるルーリアは、怖い笑顔で見下ろすシャルティエからビシッと指を差された。


「今日は魔法禁止っ!!」

「は、はいぃっ!」



 しょんぼり立ち尽くしているルーリアに、シャルティエは筒状の魔術具を一つ手渡す。


「……あの、これは?」

「洗浄用の魔術具だよ。そのままお菓子作りを続ける訳にはいかないでしょ?」


 手のかかる子供を見るようにシャルティエが微笑む。


「……うぅっ、ごめんなさい」

「もう気にしなくていいから。ほら、早くしないと風邪ひくよ」


 魔術具の使い方を教えてくれるシャルティエは、すっかりお姉さんの顔だ。

 魔術具に付いている魔石に触れると、水魔法の洗浄と同じ効果が現れた。服や身体にかかっていた生クリームが綺麗さっぱり洗い流されていく。


「お菓子作りは粉が飛んで服が汚れたりするから、洗浄の水魔法は必須なの」

「そ、そうなんですか」


 せめてものお詫びにと、ルーリアはシャルティエの分も魔術具に魔力を込め直して返した。


「…………本当にごめんなさい」

「もう、そんなに落ち込まなくていいよ」


 その後も、拭く物を持ってきてくれたり、失敗した分の生クリームをもう一度用意してくれたり。

 頼りになるシャルティエを前に、すっかり出来の悪い妹の気分で、ルーリアは床に飛び散った生クリームを拭いていた。


「ねぇ、さっきルーリアは魔法で何をしようとしていたの?」


 尋ねながら、シャルティエも調理台を綺麗に拭いてくれる。


「風魔法で生クリームを囲んで、その中で細かく刻もうとしました。先に出した魔法を、あとから出した魔法が打ち消してしまうなんて知らなくて。たぶん、詠唱魔法の使い方を間違ってしまったんだと思います」


 補助魔法で重ね掛けが出来たから、他の魔法でも出来るものだと思い込んでしまっていた。

 魔法は慎重に扱わないと危険だと知っていたのに。ぶっつけ本番はいけないと、あれほど言われていたのに。

 ガインの言葉を思い出し、ルーリアはがっくりと項垂れた。


「それで、いつもはどうしてたの?」

「……いつも?」

「ルーリアは迷うことなく、さっきの魔法を選んだんだから、使い慣れていたんでしょ?」

「いつもは詠唱魔法じゃなくて、無詠唱魔法を使っていました」

「詠唱と無詠唱って、どう違うの?」


 シャルティエはよく分からない、といった顔をルーリアに向けた。


「詠唱魔法は効果の範囲や威力、それから消費する魔力が決まっています。逆に無詠唱魔法は、その辺りが自在に変えられて、大きくも小さくも出来るんです。けど、消費する魔力に制限がないから、気をつけないととても危険なんです」

「それで無詠唱だと出来ていたことが、詠唱では出来なかった、と。なぜかはルーリアも分からないんでしょ?」

「……はい」


 素直に考えるのであれば、詠唱と無詠唱で似たような効果が出るとしても、全く別の魔法だと思っていた方が良いということだろう。


「……んー。私は魔法が使えないからよく分からないけど、便利なだけじゃないんだね。ひとまず、いきなり試すのは止めておいた方がいいかも」

「そうですね。今度からは十分に気をつけます」


 シャルティエはにっこり微笑み、ルーリアに泡立て器を手渡す。「とりあえず、しばらくは魔法に頼らないお菓子作りを目指そうね」と、事実上の魔法禁止令を出されてしまった。


「……う、はい。が、頑張ります」


 手首は痛いけど、ルーリアが返せる答えは一つしかなかった。


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