第60話 面倒な特別任務


 背にある透明な蝶のはねで、湖の上を飛ぶ。

 鳥人であるクレイドルに飛ぶことへの抵抗はない。文字通り羽を伸ばし、久しぶりに風に乗る感触を楽しんだ。


 クレイドルが小さな妖精に案内されたのは、湖の周りにある森の中だった。

 薄暗い空間。そこに上から光が降り注ぎ、一箇所にだけ円形の陽だまりを作っている。


 その地面には、ふんわりと柔らかそうな苔が生い茂り、周りに浮かぶ深緑色の宝石柱からは、淡い光の粒がこぼれ落ちていた。

 外側にあるのは大きな切り株をくり抜いたような壁。よく見れば、周りの植物がどれも異様に大きかった。


 まるで自分が手の平サイズの妖精にでもなってしまったかのようだ。クレイドルはポカンと口を開き、大きな植物を見上げていた。


「おい、そこの間抜け面。そんな所に突っ立ってないで、早くこっちに来い」


 やや苛ついているような物言いに顔を向けると、初めて見る妖精が一人、胡座あぐらをかいて苔の上に座っていた。その声を聞いただけで、案内役の妖精は猛獣にでも出くわしたように、ぴゃっと飛んで逃げてしまう。


 …………誰だ?


 鋭く冷たい眼差しで、端正な顔立ちの少年。

 いや、妖精だから見た目では歳を判断できない。声をかけられるまで全く気配を感じなかった。

 きっと只者ではないのだろう。


 髪と瞳と蝶翅は、この空間に溶け込むような暗緑色とエメラルドグリーンだった。黒い騎士のような服装をしてはいるが、武器は持っていないようだ。


 その正体は、この深部に出入りする者なら誰でも知っている記憶の妖精アルファスなのだが、クレイドルは有名な妖精の容姿について何も知らなかった。


「女王から、ここに行くように言われたんだが……」

「ああ、おれが呼んだ」


 この国の騎士団では、なぜか敬語や丁寧語が嫌われている。女王は別だが、団員同士は上も下も関係なく、砕けた話し方をする者が多かった。だから迷いながらも、いつも通りに話しかけてみる。

 この深部にいる時点で、目の前の妖精がクレイドルよりも立場が上であることは明白だ。


「さっさと始めるぞ。座れ」

「始める?……何をだ?」


 訝しむクレイドルにアルファスは舌打ちをする。

 やっぱりこの話し方はまずかっただろうか。

 そう思っていると、


「だから説明はしとけって言ったんだ。くっそ、面倒くさ」


 アルファスはクレイドルに向けてではないような文句を口にしていた。どうやら言葉遣いのことは気にしていないようだ。

 この偉そうな妖精が面倒くさがりなことは何となく伝わってきて、クレイドルはちょっとだけ親近感が湧いた。


「おい、お前」

「何だ?」

「おれの方が上なのは分かるか?」

「……まぁ、一応」


 そう答えると「なら、いい」と言う。

 これから何をするか説明する気はないらしい。


「じゃあ、とりあえず寝ろ」

「…………は?」


 クレイドルは顔を引きつらせ、思わず後ずさった。アルファスは気にせず続ける。


「すぐ済む。お前は寝ていればいい」

「…………はぁ!?」


 変な緊張感に汗が浮かぶ。


 いきなり知らないヤツに寝ろと言われて、素直に従うヤツなんているのか? いないだろ。


「……い、嫌だと言ったら?」

「はあ? ふざけんな。おれがわざわざ来てやってんのに、お前に拒否権なんてある訳ないだろ。さっさとしろ」


 その言葉を聞くなり、回れ右して脱兎のごとくクレイドルは走り出した。

 まさか逃げられると思っていなかったアルファスは、一瞬だけ呆気に取られる。そしてそれから、じわりと険悪な笑みを浮かべた。


「……へえ。おれから逃げようとするなんて面白い」


 アルファスが右手の指を二本そろえ、クレイドルに向ける。すると闇色の文言もんごんが手足に巻きつき、クレイドルはピタッと動きを止められてしまった。

 身体を動かす記憶の一部をアルファスがクレイドルから奪ったのだ。


「──う、く……っ!?」


 何だ、これは!?

 身体が全く動かせない!?


「ははっ、身体は正直ってな。お前が覚えてなくても、身体は覚えてんだよ。おれとお前は前に一度繋がってるからな。おれから逃げようなんて考えるだけ無駄だ」

「──!?」


 クレイドルの目が愕然と見開かれる。

 自分はこの妖精に会った記憶はない。

 それなのに、いったいいつ、どこで!?


「さって、今の内にさっさと──」


 固まっているクレイドルに手を伸ばそうとしたアルファスは、その怯え切った表情に気付き、動きを止めた。淡緑色の瞳を揺らし、かすかに震えている美少年の姿は、自分を悪漢のような気分にさせる。


「…………何だ、その顔」


 その反応を不快に思ったアルファスは、クレイドルの額に指を置いた。記憶を覗き、その表情が一気にピシッと固まる。


「っば、バッカじゃねえの、お前!! 何でおれがお前を襲わなきゃなんねーんだよ!! ふざけんな、気色悪い勘違いしてんじゃねえ! このボケッ!」


 動けないクレイドルの背中に、アルファスの華麗な回し蹴りが入った。


「ぐは……っ!」


 どっちも悪い。



 アルファスは面倒くさがりながらも、苔の上に正座させたクレイドルにグリムレーリオからの依頼内容を伝えた。

 クレイドルへの特別任務とは、邪竜が現在どこにいるか、その存在を確認することだった。


 先代の邪竜が勇者に討伐されて、もう少しで30年経つ。噂でも何でもいいから次代の邪竜に関する情報を得たら報告する、という任務だった。


 妖精の騎士団は国内の警護が主な仕事だ。

 国外に出てまでの活動は滅多にない。

 今回の任務は、クレイドルたちがダイアランに行くついでに出されたものだった。何もなければ、それでいいそうだ。


「んで、邪竜の姿形も知らないのに情報だけ持ってこいって言っても無理な話だろ。だから見せてやる。分かったら寝ろ」

「……わ、分かった」


 言われた通り、クレイドルは横になって目を閉じた。アルファスは二本の指をそろえ、クレイドルの額に乗せる。

 すぐに夢を見ているような、不思議な感覚に包まれた。身体は起きているのに、目も耳も遠い映像の中に入り込んでいく。


『────ッ!!』


 クレイドルは思わず叫び声を上げそうになった。

 闇色の巨大な竜体が、閉じている目の前にいきなり現れたのだ。


 逆立つ竜鱗はギチギチと音を立て、鞭のようにしなっている。紅い攻撃色に染まった眼光を宝石のように飾り、禍々しい姿の邪竜が地上に降り立つところだった。


 邪竜は地面に着くなり、大きな翼を広げて竜巻を呼ぶ。激しい咆哮と黒い雷撃が空を穿うがち、溢れんばかりの殺気で辺りを支配していく。

 獰猛な竜体は街や人々を襲い、次々と破壊と暴力の限りを尽くしていった。


 場所はサンキシュの街中のようだ。

 これは恐らく、実際に過去にあったことなのだろう。


 人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 邪竜の爪のひと振りで、人々の生命が呆気なく散っていった。

 子も老人も、性別も種族も。

 無慈悲な力の前には何の分け隔てもない。


 ほどなくして、女王を中心に据えた妖精の騎士団が邪竜を囲うように展開した。

 空に大きな魔法陣が描かれ、そこから降り注ぐ光で壁を作り、邪竜の進行を食い止める。

 そこへ騎士たちが猛攻を繰り広げた。

 想像を絶する激しい攻防が続く。


 長い戦いの末、傷を負った邪竜は東の空へ飛んで逃げ去った。逃げ隠れていた人々から、歓声が湧き上がる。


 しかし、残された爪痕は深かった。

 街のあちこちが破壊され、戦場と化した土地には火の手と黒煙が残っている。


 と、そこへ、


『──この土地の【時】を預かる』


 凛と響く、静かな声が空から降ってきた。


 淡く虹光に煌めく蝶翅を広げ、一人の妖精が舞い出る。真っ白な髪に虹色の輪がかかり、その美しい少年の周りだけ時が止まっているように見えた。


 手にしていた砂時計のような物の中身を、ざっと空中に撒く。そして、その妖精が両手をかざすと、瓦礫がれきと化していた建物などが壊される前の姿へと戻っていった。


 ものすごい魔力で空間に圧力がかかる。

 まるでそこだけ時間を巻き戻されているようで──。


『──っと、余計なものまで見せたか』


 見ていた映像がぷつりと途切れ、クレイドルの頭の中に直接アルファスの声が響いてきた。

 強制的に意識が浮上する。



「……────……っ」


 ひどい眠気の中、無理やり叩き起こされたような鈍い重さが頭に残った。


「……今のは、本当に妖精なのか? まるで神のような……」


 土地そのものの時間を巻き戻すなど、クレイドルはこれまで聞いたこともなかった。


「あー、あれはリルアーレムだ。神じゃなくて、時の妖精。お前が見たのは、あいつ特製の魔術具の効果だ」

「……! あれが!」


 クレイドルも噂にだけは聞いていた。

 妖精女王には側近の中でもさらに特別な二人がいると。


 時の妖精リルアーレムと、記憶の妖精アルファス。


 その名前はヨングの店に来る妖精たちもよく口にしていた。遥か昔から女王に仕え、国を守ってきた大妖精であると。どちらも女神と肩を並べるほど強く、美しく、気高いと噂されていた。


「それぞれの能力は神にも等しいと、騎士団の連中から聞いていた。見れば納得だが、あれほどとは……」


 素直に驚くクレイドルを、アルファスは鼻で笑う。


「はっ、神? んな訳あるか。おい、ファウリー・クアンドを見たことは黙っとけよ。バレたら面倒そうだ」

「……ファウリー・クアンド?」


 クレイドルが首を傾げると、アルファスは眉間にシワを寄せた。


「騎士団にいるなら名前くらい覚えとけ。あれは一応、門外不出の魔術具なんだ。リルアーレムが時の魔術具を使ったとこ、見たのを忘れろっつってんだ。お前は邪竜のことだけ覚えていればいい」

「……分かった」


 知識となった記憶を消すには、それなりに手間がかかる。本当なら消さなければいけないのだが、アルファスは面倒くさがった。


「もう用は済んだから帰れ」


 しっしっと追い払われたクレイドルは、森を出て湖の上を飛びながら思った。


 そういや、やたら偉そうだったけど、あれは誰だったんだ?


 結局、クレイドルがアルファスの正体に気付くことはなかった。



 ◇◇◇◇



 ヨングの店に戻ったクレイドルたちは、互いの役割を確認した。共通の任務は魔虫の蜂蜜屋に会うことだ。


 向かう先は、ダイアランの首都ダイアグラム。

 そこにあるケテルナ商会の創業者の屋敷が、今回の訪問先だ。いつも蜂蜜を届けに来ているそこの息子と、ヨングが会う約束をしている。


 蜂蜜屋の男はその時、その屋敷に来るらしい。

 直に会う約束はしていないが、必ず会うことになると妖精女王は言っていた。


 パケルスとクレイドルは、ヨングに紹介される『魔力屋』という役だ。パケルスは小人族の姿のまま、クレイドルは火蜥蜴サラマンダーの姿で行くことになった。

 妖精の姿で目立つよりは、トカゲ姿の方が安全ということらしい。人族から見れば、火蜥蜴サラマンダーも小竜も見分けはつかないだろう。


 ヨングは2年ほど前に拾った猫妖精ケット・シーのセフェルを連れて行くように言われたそうだ。あまり人の言うことを聞かないイタズラ好きな妖精なのだが……大丈夫だろうか。


 そんな流れで決まった、騎士団に入ってから初となる国外任務だ。

 まさかこれが今後の自身の運命を大きく変えることになるなど、この時のクレイドルは露ほども思ってもいなかった。


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