第56話 亡郷の理由


 妹が、アスティアが生きていると告げた後も、パケルスは渋い顔のままだった。


「生きとるが、あまり良くない状況にある」

「…………だろうな」


 そんなこと、言われなくても分かっている。

 故郷を滅ぼした敵に捕まっているのに、良い状況になんてある訳がない。

 アスティアが生きていると分かったのは素直に嬉しいが、パケルスの含みのある言い方が気になった。


「はっきり言わないなんて珍しいな。……そんなにひどいのか?」


 想像したくはないが、思考が勝手に暴走しようとする。敵に捕まっているアスティアが、どんな目に遭っているのか。

 出来ることなら今すぐにでもフェアロフローに助けに行ってやりたい。


 ……何でこんなに力がないんだ。


 悔しさだけが、クレイドルの中で虚しく募っていく。

 しかし、次いでパケルスが口にしたのは、アスティアの現状の話ではなかった。


「これは妹だけでなく、お前にも言えることなんだが。もし今、お前の正体がバレたら、私兵団の連中……いや、マルクトに住んでいた者たち全員が、お前たち兄妹の敵になるやも知れん」

「!?…………全員が、敵!?」


 ……オレたち兄妹の敵?


「マルクトの元住民たちが……?」


 パケルスが何を言っているのか分からない。

 どうして故郷の者たちが自分たちの敵となるのか。


 ……正体が、バレたら?


 言葉通りに受け取るのであれば、クレイドルとアスティアがマルクトに住んでいた者たちから敵として見られている、ということだろう。


 ……どうしてそんなことに!?


 愕然とした表情で固まるクレイドルにパケルスは続けた。


「お前が望むなら、はっきり教えてやろう。なぜ故郷が魔鳥どもに襲われたか、理由を知りたいか?」

「……マルクトが、襲われた理由?」


 話の流れから言えば、それが自分たちに関係あるのだろう。クレイドルはすぐに頷く。


「聞かせてくれ。どうしてマルクトの住民がオレたちの敵なんだ?」

「それはな、マルクトが襲われたのは、お前たち兄妹を探し出して捕らえるためだったからだ」

「なッ!?」


 ……オレたちを捕らえるため!?


 そのせいでクレイドルたちがマルクトの元住民たちから良く思われていないとパケルスは言う。

 クレイドルたちのせいで故郷が滅んだと思っている者が多い、と。


 しかし、自分たちが住んでいたさとだけならまだしも、そんな理由で領地が丸ごと滅ぼされたなど、とても信じられる話ではなかった。

 だが、私兵団の者やサンキシュに逃げ延びてきた者たちの話をパケルスがまとめたところ、皆が同じことを言っていたらしい。


 魔鳥の女王は、クレイドルとアスティアを生け捕るためにマルクトに攻めてきた、と。


 領地に攻め入ってきた魔鳥たちは、口々にクレイドルたちの名前を上げて探し回っていたという。

『我らが女王が欲している』『大人しくクレイドルとアスティアを差し出せ』と。


「……パケルス、妖精女王はなんて言っていたんだ? その口ぶりだと、ずっと前から知っていたんだろう?」


 もし本当にそんな理由で故郷が滅ぼされたというのなら、住民だった者たちが自分たち兄妹を恨まないはずがない。


「女王は全てご存知だ。お前がこの国に来た時からな。その上でワシにお前を預けられた」

「……何のためにだ? そんな理由があるのにオレを匿っていたら、私兵団や移住してきた者たちが黙っていないだろう?」

「クレイドル、落ち着け。女王のお考えはお前が思っているよりも、ずっと深いところにお在りになる。マルクトの住民だった者たちも、今知られれば敵になるやも知れんが、必ず分かってもらえる時が来る」


 パケルスの言葉は、現にクレイドルたち兄妹が元住民たちから敵視されていると言っているに等しかった。


 ──自分たちが、元凶。


 あの殺された者たちも。

 焼け焦げた故郷も。


 クレイドルは身体から急激に体温が失くなるのを感じた。強く胸を押さえ、今にも泣き出しそうな顔で力なく首を振る。


「…………少し、独りで考えさせてくれ」


 手にしていた指輪をはめ、クレイドルは薬屋を飛び出した。




 行き先など決めていない。

 ただひたすらに身体を前に傾け、走って、走って、走って、走った。


「────」


 そうして街を走り抜け、小川の近くにある土手まで来たところで転んで草の上に倒れ込んだ。

 紅い体躯が派手な音を立て、緑の上に横たわる。


「……────……ッ!」


 クレイドルは音にならない声で叫び、草を掻きむしって握りしめた。


 パケルスが不確かな情報を口にしないことはよく知っている。きっと今まで数え切れないほどの聞き込みをしてくれたのだろう。

 それで出た結論が、マルクトの元住民たちは自分たち兄妹のせいで領地が滅んだと思っているという、とても受け入れられない現実だった。


 しかし。だからか、とクレイドルは思った。

 だから敵が押し寄せてきた時、郷の長老は自分とアスティアに変身の魔術具を身に着けるように言ってきたのか。

 人族に変身するための魔術具は様々な種類があり、割と簡単に手に入る。


『本来の姿は決して誰にも見せないように』


 長老は何度も繰り返し、そう言っていた。

 あれは恐らく、このことを知っていたからだったのだろう。


 けれどクレイドルはその時、自分たちが魔鳥の女王に狙われていることなど知りもしなかった。

 敵に捕らえられた者は大勢いたから、自分たちの扱いもそれと同じものだと思っていたのだ。


 その後、妹とは別々に逃げるように言われ、その途中でアスティアが捕まったと知り、引き返そうとしたが周りにいた大人たちに力ずくで止められた。

 それでも戻ろうとしたら荒っぽい方法で意識を奪われ、次に目が覚めた時には、預けられた人族の商人たちと共にすでに国境を越えていた。

 互いに詮索はしなかったが、もしかしたら彼らもマルクトの元住民だったのかも知れない。


 それからクレイドルは故郷の仇を討とうと、妹を取り返そうと、必死に足掻いてきた。

 それなのに、まさか自分たちがその仇にされていたなんて──。



「…………は、はは……」


 乾いた音が口から漏れた。

 クレイドルの頬を涙が伝う。


「……────ッ……何で!……何でだッ!!」


 地面に拳を強く叩きつけ、クレイドルは声を上げて泣いた。


 この感情をどう表したらいいのか自分でも分からない。ただ、激しさが募る。悔しいでもなく、裏切られたでもない。何に対して怒ればいいのか。……悲しめばいいのか。

 そんな資格すら与えられない現状に、本当に何も分からなくなった。


 同じ郷で育った者が目の前で殺された時も、その郷が炎の海に呑まれた時も、歯を食いしばって泣かないようにしていた。

 必ず仇を討つと。そう心に誓って。


 だが、現実はどうだ。

 その全ての元凶が自分だと言われてしまえば、何よりもこの身を呪いたくなった。


「………………」


 クレイドルの全身を音もなく紅焔が包む。

 火に耐性があるから焼けはしないが、魔力を燃やすことなら可能だった。

 自分の身体から、紅焔となって抜けていく魔力を空に見送る。


 すると、どこからともなく底深い少女の声が聞こえてきた。


『──もう良い』


 クレイドルの足元に、かつて妖精女王と交わした契約の魔法陣が現れる。

 しかし紅い焔はなおも激しく燃え上がり、聞き覚えのある声に反応することもなく、クレイドルは焼き捨てるように魔力を焔に込めた。



 ◇◇◇◇



 ………………。


 意識の奥までとろけそうな甘い香りで目を覚ます。たゆたう白煙はまるで媚薬の香のように、もったりと周囲を漂っていた。


 虚ろな視界が白く霞む。

 クレイドルは冷たくなっている自分の身体に安心して、ゆっくりと目を閉じた。


 …………このまま消えてしまえばいい。


 手も足も重く、身体中のどこにも力が入らない。

 背中の翼が小さく震え、身体を包み込んだ。

 甘い匂いに満たされ思考が溶けていく。

 優しく髪を撫でられている感覚に誘われ、クレイドルは再び意識を深く落とした。




「……どうやら眠ったようじゃな」


 香煙は深い眠りを誘い、魔力を回復させるアイテムから出たものだ。それが疲れ切っていたクレイドルにはよく効いたようだった。


 妖精女王であるグリムレーリオは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、クレイドルの夕日色の髪を優しく撫でる。

 深い森を思わせる瞳を愛し子に向け、長いまつ毛をわずかに伏せた。待ちに待った初対面だ。


「ふふん」


 満足そうに鼻を鳴らし、グリムレーリオは今までの神秘的な雰囲気を自ら崩した。


 緩みきった口元に、いたずらっぽい瞳。

 そして、その手がするりとクレイドルの胸元に伸びる。深く眠っている無防備なクレイドルは、それだけで香るような色気があった。

 嬉々としてグリムレーリオがクレイドルの衣服をはだけさせようとしたところで、わざとらしい咳払いが響いてくる。


「女王陛下、その手は何を?」


 にこやかな笑顔に反して、その声は硬い。


「なんじゃ、リル。おったのか。ここにおるのは妾たちだけじゃ。いつものようにグリムで良い。これはー、あれじゃ。襟元が苦しそうじゃったから緩めてやっただけじゃ」


 女王からリルと呼ばれた時の妖精リルアーレムは、こめかみに手を当て、美しい顔立ちで軽くため息をついた。自国の女王が現行犯とは嘆かわしい。


 陽の光が当たるベッドの側まで来ると、リルアーレムの背にあるゼフィリテスモルフォの蝶翅が淡く虹色に煌めいた。暖かい光が純白の髪に虹色の輪を作り、神々しさを飾る。


「リル、油断するな。グリム様は隙あらば、そいつに手を出そうとするぞ。いや、手だけでは済まないかも知れない」

「アル、言葉に気をつけよ。妾を夢魔のように言うでないわ。……まぁでも、ちょこっとくらいは良いであろう?」


 懲りずに手を伸ばそうとするグリムレーリオに、じろりと鋭い視線が飛ぶ。


「夢魔よりタチが悪いから言ってる」


 こちらも息を呑むような美少年、記憶の妖精アルファスが苦言を口にした。

 リルアーレムが光であれば、アルファスは闇のような容姿だ。髪も瞳も、光の届かない深淵のような暗緑色で、陽が当たるとそこだけエメラルドグリーンに輝いた。背には同じ彩りであるパリヌルスの蝶翅がある。


「それで、グリム様。彼との契約は成ったのですか? 諦めたら、そこで契約完了でしたよね?」


 虹光を宿した瞳を細め、リルアーレムは柔らかく微笑んで女王に尋ねた。


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