第32話 黒い呪い


 それからの10年ほどは、家族三人で養蜂業を営みながら、平穏な日々を過ごしていた。


 ただ、一つの点を除いては。


 この10年で新たに分かったのは、ルーリアの身体が成長するのは起きている時間の分だけである、ということだった。

 10年で他者の2年半分に相当する。

 だから今のルーリアの見た目は6歳ほどだ。


 今でこそ、この現実を強引に受け入れてはいるが、成長しない身体のことをルーリアにどう説明したらいいか、ガインもエルシアも未だに言葉を選び兼ねていた。

 幸いと言っていいのか分からないが、今は成長を比べるような子供も近くにはいない。


 起きていられる時間は相変わらずだが、自身の持つ魔力量が増えてきたのか、ルーリアは前よりは魔虫の蜂蜜を食べる回数が減ってきていた。

 エルシアによる寝ている間の魔力供給も、最近では必要なくなっている。


 見た目は6歳ほどだが、ルーリアは4歳で一度記憶を失くしているため、言動が少し幼く感じられることがある。それでも本人には、10年過ぎたという感覚だけはしっかりあるらしい。

 何事もエルシアを真似しようとしているからか、話をしてみると落ち着いた受け答えをすることもある。しかしそれも、ルーリアが精一杯、背伸びしようとしているだけなのだとガインたちは気付いていた。


 現在14歳のルーリアは、6歳の見た目で、エルシアのようになろうと逆さまの本を眺めている。



 ◇◇◇◇



 ある春の日の、穏やかな夕暮れ近く。


 その男は何の前触れもなく、この地を訪れた。

 約10年ほど前、この地で邪竜を倒した人族の男、勇者オズヴァルト・タウセルだ。



「お久しぶりです」


 落ち着いた口調と姿勢で挨拶をするオズヴァルトは、青年になったばかりの頃のような初々しさはなくなり、わずかに貫禄が出てきたように見えた。外見だけで言えば26、7歳と、ガインより年上に見える。


「あの時の勇者か? 少し老けたな」

「貴方は変わってないな」


 フッとオズヴァルトは笑った。

 そしてガインに向かい「やはり人族ではなかったか」と呟く。


 ひとまずガインはオズヴァルトを店のテーブルに案内し、二階にいるエルシアを呼びに行った。

 ルーリアはちょうど眠りに就いたところらしい。


「……エルシアさん、やはり貴女でしたか」


 エルフの姿で現れたエルシアを見ても、オズヴァルトは驚かなかった。


「お久しぶりです、勇者様」

「二人は知り合いだったのか?」


 邪竜討伐以来、一度も会っていないはずなのに、エルシアのことを知っている様子のオズヴァルトにガインは驚く。


「知り合いではなく、神官のエルシアさんを知っているだけです。……一応、これでも勇者ですから」


 困ったように眉を下げ、オズヴァルトは柔らかく笑った。話を聞けば、勇者の任命は神殿で行われるため、神官だったエルシアに会ったことがあるという。


「勇者様の腕は治られたのですね」


 黒い変色のないオズヴァルトの左腕をチラリと見て、エルシアが話を切り出す。


「あの時、邪竜から同じ攻撃を受けたこちらの知り合いは、未だに治療法を見つけられずにいます」

「今日はそのことで来ました。あの黒いブレスの効果が分かりましたので。……あれは、遺伝する呪いだったんです」


 オズヴァルトが険しい顔付きで告げると、その言葉の意味を察したエルシアは表情を曇らせた。


「……遺伝、ですか。……では、お子様が?」

「ええ。オレともう一人、両手両足にあの攻撃を受けた仲間がいたのですが、彼の息子が呪いを引き継ぎました。今年で8歳になります。心臓部から徐々に変色が広がっていき、全身に広がる呪いです。彼の邪竜討伐前に生まれた11歳の息子には、変色はないと聞きました」


 仲間の子に表れた呪いの現状を話し、オズヴァルトがひと呼吸置く。嫌なものを呑み込むようにノドを鳴らしたその表情は、絶望の色が濃く出ていた。


「……それと、今年生まれたオレの息子にも、心臓部に黒い変色があります」


 オズヴァルトは生まれたばかりの自分の子の話を悲痛な面持ちで口にする。息子の誕生を喜んでいる気配など微塵もない。

 邪竜の黒いブレス攻撃を受けた後に生まれた子供には黒い変色が遺伝する。オズヴァルトは自分の子の誕生でそれを確信したとエルシアに告げた。


 邪竜がもたらした呪いだ、と。


「勇者様の左腕は、いつ頃治られたのですか?」

「あの後すぐに消えました。ご存知かと思いますが、勇者であれば状態異常は勝手に治りますので」


 これは勇者の特殊能力の一つだそうだ。


「便利だな。しかし、自分は治ったのに息子には移ったのか」

「はい。オレでもあの攻撃の効果自体が消えた訳ではなくて、そのまま息子に……。オレはどうしても息子を助けたいんです」


 強い感情が揺れるオズヴァルトの青い瞳には、縋るような心情が映し出されていた。

 その言葉尻から、ここを訪ねてきた理由が垣間見える。


「……助ける、ということは、異変は変色だけではないのですね?」


 ただの変色だけなら呪いとは呼ばないだろう。

 青い瞳に陰を落としたオズヴァルトは、仲間の現状をガインたちに話して聞かせる。


 両手両足という、一番広い範囲で黒いブレスを受けた仲間は、今では全身に変色が広がっているらしい。そして変色部分が少しずつ石化し、崩れてきている、と。オズヴァルトは静かな声で言った。仲間は持って、あと数年だろう、と。


 その仲間の8歳の息子も同じように変色が広がり、身体の一部が動かなくなってきているという。

 今まで各地の伝承や残された記述を探し回ったが、これといった治療法は見つからなかったそうだ。


「ここへいらしたということは、まだ何か他に治療法を探すための心当たりがあるのですね?」


 そのための協力を依頼するために、ここを訪れたのだと理解したエルシアが鋭い視線でオズヴァルトに問いかける。


「はい。まだ調べていない場所があります。……神殿の、資料室です」

「神殿、ですか? 勇者様でしたら、問題なく資料室に出入り出来るではありませんか」


 訝しむエルシアの言葉に、オズヴァルトは大きくかぶりを振った。


「それが駄目なんです。現在の神官長が、昔の記述は神官一族の秘術が載っているから、決して見せることは出来ない、と」

「まさか! 神殿の資料は神官だけの物ではありません。なぜそんな横暴が許されているのですか!? 女神様がたは何をされていらっしゃるのですか!?」


 憤った声を上げるエルシアを前に、オズヴァルトは力なく項垂れる。


「……女神様たちは恐らく何も知らされていないのでしょう。神官たちが伝えていないのですから」


 神殿における神官たちの務めまでは、ガインも詳しくは知らない。だからどういうことなのか、エルシアに尋ねた。


 それによると、神殿の役目の一つには、地上界で起こったいさかいを公平に断じる『裁判』というものがあるらしい。

 その裁判の判決員として、火、風、水、地を司る四人の女神が神殿に常駐しているという。


 本来なら、勇者はその女神たちと神殿で自由に会うことが許されていた。今回、閲覧を申し込んでいる資料は、女神たちが管理している物らしい。女神たちは当然、神官より立場が上となる。


 勇者が神殿内の資料を見る場合、今までは女神に断りを入れるだけで良かった。神官に止められることなどなかったそうだ。

 しかし今は、神官が間に入ってきて面倒なことになっているらしい。勇者が女神に会う際、その面会を取りつける役目が神官にあるからだ。


 資料を見るために女神に許可をもらおうとしても、神官がそれを阻止してくる。神官を通さなければ、女神に会うことは許可できない、と。

 そして申し込みをしても、結局は神官のところで話が止まってしまう。


 その神官は言うまでもなく、ミンシェッド家の者だ。相変わらず、ろくなことをしない。

 ここまで聞くと、エルシアが憤っているのも理解できた。


 しかし、これではまるで……。

 ガインは考え込むエルシアに視線を向けた。


 これは明らかに罠だ。


 オズヴァルトがエルシアの居場所を知っていれば、助力を乞わせることで、ミンシェッド家は苦労せずにエルシアを神殿におびき寄せることが出来る。


 さすがにエルシアも気付いているだろうが、これは……。


 人の生命が懸かっていることまでも、自分たちのためにミンシェッド家は利用すると言うのか。

 そんな場所にエルシアが行けば──。


「エルシア」

「分かっています。ですが、他に情報を得る手段がありません」

「……しかし」

「大丈夫です。必ず帰ってきます」


 ……くそッ! 大丈夫な訳あるか!!


 もうすでにエルシアは神殿に行くことを決めている。自分も同じ立場なら、迷わずそうするだろう。

 そして今回、自分はエルシアに付いて行くことが出来ない。一番にルーリアのことがある。

 連れて行くことも、置いて行くことも出来ない。


 ……どこにも選択肢がないじゃないか!!


「おい! 勇者!」

「はい」

「俺は訳あって神殿には行けない。だから、お前がエルシアに付いて行け。絶対に離れるな。神官をエルシアに近付けるな。近付くなら叩き潰して構わん。近付くヤツは殺す気で警護しろ。必ず守れ!…………エルシアを、守ってくれ……!!」


 ガインはオズヴァルトに頭を下げた。

 他に出来ることは何もない。

 オズヴァルトは「必ず」とガインに誓った。



 そして、次の日。


 エルシアはガインとルーリアに別れを告げ、オズヴァルトと共に神殿へと向かったのだった。


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