第2話 二人だけの秘密


 夕日色の髪に、真紅の焔スピネルの瞳。


 その少年の背中には、羽先がほんのり紅い真っ白な翼が嘘みたいに生えていた。

 窓からの光が差し込んだ羽根は幻想的な輝きを帯びていて、ただでさえ美しい少年を飾るように包み込んでいる。


 ……まるで……物語に出てくる天使みたい。


 ルーリアはナイフを怖がるよりも、その少年の美しい姿にただ呆然と見とれていた。

 服を脱いでいなかったら少女と見間違えていたかも知れない。そう思えてしまうくらい、触れたら消えてしまいそうな澄んだ顔立ちをしている。

 美麗なエルフの母親を見慣れているはずなのに、それでも言葉を失くして見つめてしまう。

 もしかしたら本当に天使なのかも知れない。

 そう思わずにはいられなかった。


 けれど、自分の口に触れている少年の手の平から体温が伝わり、ハッと我に返る。


 ……人、だ。


 そしてテーブルの上に水桶が置いてあることに気がついた。もしかして水浴びの最中だった? と、ルーリアは自分のタイミングの悪さを考える。


 ……天使って、水浴びするんだ……。


「鍵は掛けていたはずだ。どうやって入った?」


 口は塞いだものの、どうしようか迷っている顔の少年は、ルーリアに突きつけていたナイフを少しだけ首元から離す。その手はかすかに震えていた。少年が慣れないことをしているのは一目瞭然だ。


 ルーリアはキョトンとした目を向け、少年が塞いでいる自分の口を指差した。

 これでは答えられない。

 ルーリアが言わんとしていることに気付いた少年は、口の形を『あ』で止めた。


「……変な動きをしたり大きな声を出したら刺すからな。脅しじゃないぞ」


 少し躊躇う顔をした後、少年はルーリアの口からそっと手を放す。さすがに強がりにしか聞こえなかった。


「この家は、わたしたちの家です。お父さんとわたしは鍵が掛かっていても、どの部屋でも自由に開けて入ることが出来ます」


 それに、と忘れず付け加える。


「入る前にノックはしましたよ?」


 ちゃんとマナーは守っている。

 自分は悪くない、とルーリアは自己主張した。


 刃物を突きつけているのに落ち着き払って話すルーリアを見て、少年は動揺した。

 ルーリアの頭のてっぺんから足元まで探るように見つめ、また上の方へと視線を戻す。少年にとってルーリアは、どう見ても10歳にも満たない人族の子供だった。


 もしかしたら刃物の怖さすら分かっていないのかも知れない。そんな子供に警戒心を剥き出しにして凄んでいたのか、と少年は自分を省みる表情となった。

 ルーリアから離れてナイフをしまい、少年は決まりの悪い顔となる。よくよく考えなくても旅の仲間を助けてくれた恩人にすることではないと気付いた顔だ。


「……その、済まない。いろいろあって気が立っていた。この姿のことを人に知られる訳にはいかないんだ」


 少年は自分の手に指輪をはめ、ルーリアが最初に見た人族の姿に変身した。

 焦げ茶色の髪に、蜂蜜色の瞳。

 背が少し高くなり、綺麗な顔立ちに変わりはないが、ちょっとだけ顔付きが変わっている。


 自分も変身して本来の姿を隠している。

 ルーリアは訳ありな少年の気持ちが少しは分かるような気がした。


「姿を変えているってことは、何か理由があるんですよね? このことは誰にも言いません。約束します」


 少年の瞳をまっすぐに見つめ、ルーリアは決して口外しないと誓った。

 人の嫌がることをしてはいけない。

 それくらいのことは外の世界を知らないルーリアでも知っている。


「……それに……話したくても、話せる相手がわたしにはいませんから。大丈夫です」


 伏し目がちに小さく呟くと、少年は訝しんだ目でルーリアを見た。


「それはどういう意味だ?」


 少年は思わず尋ねた。

 目の前にいる自分より幼い少女は、その寂しそうな横顔がどこか大人びて見え、自分と同じようにどこか訳ありに感じたからだ。


「わたしは生まれてから一度も、この森から出たことがないんです。出ようと思っても壁があって、わたしだけ出ることが出来なくて。……だから、わたしが話を出来るのは、この森を訪れてきた人だけなんです」


 それだって、たまにしかない。

 話すとしても仕事の話だけだ。

 余計なことは何も言えない。


「それって……」


 閉じ込められてるって言うんじゃ……。


 親からの監禁。そんな言葉が頭をよぎったが、少年は口を噤んだ。今は自分のことで手一杯だ。他人の面倒事にまで首を突っ込んでいる余裕はない。


「これが、わたしの秘密です。わたしだけあなたの秘密を知っているなんて不公平ですから。これならお互い様ですよね」


 少しだけ切なそうな顔をしてルーリアは微笑んだ。儚く消え入りそうな笑顔に、少年は何も言い返せない。


「……これ、寝具です。夜は冷えるから使ってください」


 長引きそうな沈黙から逃げるように、手にしていた布類を少年の腕に押しつけ、ルーリアはパタパタと走って自分の部屋に戻った。



 ◇◇◇◇



 ルーリア・ミンシェッドは、自然豊かな国の人里離れた森に住むハーフエルフである。


 父は獣人で、母はエルフ。

 この隠し森にある『魔虫の蜂蜜屋』の看板娘。

 それが、ルーリアだった。


『魔虫の蜂蜜』──それは、各国が大金を積んでも手に入れたがる高価な回復薬。

 この隠し森では、その蜂蜜をルーリアとその家族で作っている。『魔虫の養蜂場』と言えば分かりやすいだろうか。魔物である蜂を飼育し、その巣から蜜を採取しているのだ。


 天然の魔虫の蜂蜜は、基本的に体力と魔力を回復させる。魔力を回復させるアイテムは少ないから、それだけでも十分に価値があると言えた。

 しかしここで作られている蜂蜜は、さらに特別な物だ。毒と病、ケガまで綺麗に治してしまう。

 もちろん体力や魔力も、その回復する早さと量は他とは比べ物にならなかった。


 ルーリアの作る蜂蜜は同じ魔虫の蜂蜜の中でも最上級とされ、『万能回復薬』と呼ばれる 希少品レアアイテムだ。

 そんな特別な蜂蜜を作っているこの隠し森のことは極秘中の極秘で、ここの正確な場所を知る者はこの世界に数えるほどしかいなかった。


 深い森の中で養蜂業を営む父親の手伝いをする。それが、ルーリアの全てだった。

 その暮らしぶりはと言われると、そこら辺りの農家と大して変わらない。ルーリアは質素な山小屋で、父親と慎ましい日々を過ごしていた。



 商人たちが家に来た、次の日。


 ルーリアは養蜂の仕事に出かけたガインに代わり、商人たちを見張っていた。

 本当はすぐにでも商人たちを隠し森から追い出そうと考えていたが、商人たちがあまりにも何も持たずにいたため、特別に五日間だけ、この森で旅の準備を整える許可をガインが出したのだ。


 その、商人たちの見張りをルーリアは任されている。


 とは言っても、陰から監視して目を光らせるようなものではなく、森で木の実や果実、薬草などのある場所へ案内する採取の手伝いだ。

 男たちを一日観察したガインは、ルーリア一人に任せても問題ないと判断した。

 ルーリアの目から見ても、商人たちは普通の人族に見える。例え何かをしようとしても、気にかけるほどではないと思われたのだろう。

 ちなみに少年のことはガインに何も話していない。約束はちゃんと守っている。

 それに、商人たちに身に着けさせた魔術具は、裏切りに関してはとにかく強力だ。ルーリアが本気で危険だと感じれば、商人たちはたちまち行動不能となる。

 それに加え、何かあってもすぐに駆けつけられるよう、養蜂場から近い森で採取するようにガインはルーリアに伝えていた。


「お嬢ちゃん、小さいのに場所をしっかり覚えてて偉いねー」


 昨日、大ケガを負っていた男はすっかり体力も回復し、治癒魔法を掛けたルーリアに親しみを込めた目を向けていた。

 何かにつけては褒めちぎってくる。

 ルーリアのちょっと苦手なタイプだ。


「こんなに楽な採取は初めてだよ。本当に賢いねー」


 自分を小さな子供扱いする男に「それは良かったです」と、少し引きつった愛想笑いを返しつつ、『わたしの方が年上かも知れないのに』と、ルーリアは心の中で愚痴をこぼしていた。


「ここは本当に良い森だなぁ。これだけ採れたら、しばらくは食べ物に困らなくて済みそうだ」

「だな。魔族領に近いってのに、魔物も出ないし」


 少年は無口だったが、他の二人はよく喋った。

 ルーリアが貸した大きなカゴは、すでに森の味覚でいっぱいだ。これだけ採れれば十分だろう。


「そろそろ家に戻りましょうか」


 そう声をかけると、商人の一人が小径を横切った何かにナイフを投げた。キュッ、と短く声が上がる。


「──!!」


 その瞬間、ルーリアは顔色を真っ青にして、その場にへたり込んでしまった。

 ドクンと心臓が跳ね上がり、身体が小刻みに震え出す。それに気付いた少年は、ルーリアの肩に手を乗せた。


「おい、どうした? 大丈──」

「危ないなぁ。毒ネズミだ」


 少年の声を掻き消すように、男はネズミの尾を掴んで持ち上げた。


「──」

「あっ!? おい!」


 ネズミから滴る血を目に映したルーリアは、言葉もなく、その場で気を失って倒れてしまった。


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