化け物バックパッカーは、人間だったころのことを覚えていない。
オロボ46
オオカミは人を追いかける。自らの住処に入ってきた侵入者を排除するために。
模様のない満月が浮かぶ空。
その下で、オオカミたちは走る。
平原の中を、群れで走って行く。
その先にいるのは、走るふたりの人影。
ひとりは老人。血を流し、赤い血を草むらに血液を流す。
彼に肩を貸しているのは黒いローブを着た人物だ。
突然、ふたりは前のめりに倒れた。
オオカミの1匹が、大きく飛びかかる。
月夜に照らされた緑色のオオカミは、体を真っ二つに分けていた。
前脚まで避けたその体の断面からは、鋭い牙が見えていた。
血を流す老人を、ローブの人物がかばうように右手を出す。
その右手に、牙は食い込んだ。
牙の隙間から、黒い液体が肉汁のようにあふれ出た。
銃声が聞こえてきた。
オオカミの胴体に、散弾が飛び込んできた。
黒い液体を吹き出し、
口からローブの裾を着た右手を吐き出すして草むらに落ちた。
その側にいたのは、男性の足だ。
倒れたオオカミは黒い液体を吐きながら、目を男性に向ける。
周りの仲間たちは、先ほどの銃声によってすでに逃げている。
オオカミの口に、猟銃のようなものが入れられた。
「……」
懐中電灯の明かりに照らされた老人は、倒れた体勢でゆっくりと顔を上げる。
黄色いデニムジャケットを着て、背中に黒いバックパックを背負っているこの老人、顔が怖い。ケガをして険しい顔になっているのはわかるが、やっぱり怖い。
「……だいじょうぶですか?」
目の前の猟銃を手にした男性が話しかけてくる。赤いベストに肩掛けバッグ、頭にキャップを被っているその姿は、まるで猟師だ。
その男性の声に反応するように、老人の横にいる人物が顔を上げた。
「あ、ああ。かすり傷だ……」
老人は立ち上がろうとするが、すぐに腹を抱えて動きを止まった。その手の隙間から、赤い血液が落ちていく。
「いや、その出血量は明らかにかすり傷ではありませんよね!? 応急手当しますから、じっとしてください!」
男性は肩掛けバッグから救急箱を取り出す途中、ローブの人物が戸惑っているように老人を見ていることに気づいた。
「あなたはそのままでも平気ですよね。“変異体”が来たらすぐに知らせてください!」
ローブの人物は少しの間を開けて、黙ってうなずいた。
全身を身に包んだ黒いローブに、背中には老人のものよりも少しだけ古いバックパックが背負われている。その顔は、深く被ったフードによってよく見えない。
その右腕は、オオカミに食いちぎられてなかった。断面からは、オオカミと同じ黒い液体を流していた。
「……ひとまずこれで出血は止まりましたが、まだ痛みますか?」
老人は包帯を巻かれた腹に手を置き、ローブの人物に肩を貸してもらいながらゆっくりと立ち上がった。
「ああ……少しな。だが、このぐらいなら平気だ」
「無理しないでください。この辺りは夜になると、あの“変異体”が人を襲うんです。一度私の家まで来てください」
心から心配する男性に、老人は眉をひそめても首を振ることはできなかった。
男性の家は、すぐ近くにあった。
草原に立つ三角屋根のログハウス。2階の位置に付けられた丸い窓が印象的。
その入り口に3人の人影は入ると、1階の窓に明かりがともった。
「この近くには街があって、そこを訪れる人がこの辺りを通ることが多いんです。なので、私の家は民宿を兼ねているんですよ」
ログハウスの中、男性はテーブルにふたつ、緑茶を入れた湯飲みを出した。
「どうぞ、いただいてください」
「……」
椅子に座っている老人は黙ったまま湯飲みを手に取り、隣のローブの人物に目を向ける。
椅子を座っているローブの人物の右腕は、いつの間にか戻っていた。
その腕は影のように黒く、指先からは鋭くとがった爪が生えている。
「……ひとつ聞きたいことがある。おまえは、変異体を殺すことを生きがいとしている変異体ハンターか?」
緑茶をひと口飲んだ後、老人は壁に掛けてある猟銃に目を向けた。
「ええ、そうですよ。人間が変異した、化け物のような姿をした変異体を狩る仕事ですけどね」
変異体ハンターと名乗る男性は老人の向かい側の席に座り、湯飲みに手を添える。ふたりの間の席に座っているローブの人物の湯飲みは、なかった。
「それならば、彼女が変異体であることはわかっているのに、なぜ殺さない?」
「ちょっと確認したいことがあるので、人間の自我が残っている変異体は殺さないことにしているんです。依頼で変異体の駆除を頼まれた時は、確認でき次第駆除しているんですが、人間と行動している変異体は初めてですからね……」
男性は老人からローブの人物に目線を向けると、そのローブのフードに手を伸ばした。
わずかに見える口元が、おびえるように震える。
それを気にせず、男性はフードを上げた。
現れたのは、長めのウルフヘアーの黒髪。
影のように黒い肌の彼女のまぶたは閉じられていた。
その顔は、まさにミステリアスな美しさを持っていた。
まぶたが恐る恐る開かれると、中から青い触覚が出てきた。
「え、ま、まさか……」
男性は目を見開き、彼女の頬に手を当てる。
「――
彼女の体を抱きしめ、男性は叫んだ。
目元からは、涙が流れている。
抱きしめられた彼女は、意味がわからないように触覚を出し入れしていた。
老人も合わせて、瞬きをするしかなかった。
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