秘密基地の鍵、お貸しします

陽雨

ACT1. 秘密基地、始めました

 小学校六年生、夏休みのはじめのこと。

 野上太一のがみ たいちは、人生で初めての家出を決行した。

 小学校最後の夏。中学受験という言葉を盾に、悪逆非道の日々を強いる母親に、朝から面と向かって喧嘩を吹っ掛け、駆け込んだ子供部屋。


 小さなリュックサックをクローゼットから取り出した。

 衝動的な行動で、何を持っていけばよいのか整理がつかない。

 とりあえず、目の前にあった懐中電灯を詰め込む。貯金箱をひっくり返して、830円をがま口財布に放り込んだ。

 食べ物があった方がいいだろう。

 台所へ忍び込み、冷蔵庫からコーラを2本、ポテトチップスを1袋、おせんべいを1袋、魚肉ソーセージを2本。

 そっと玄関のドアを開き、眩しい日の光を浴びながら、太一は都道を駆け出した。


 一ノ瀬小学校いちのせしょうがっこうの前を通る都道2車線。

 その都道に沿うように流れる水面川みなもがわは、はるか西の山脈から清水をたたえる。

 その川の対岸に、青々とした安馬山あまやまがそびえている。


 太一にとって、安馬山は町一番の虫捕り場で、秘密の場所だ。


 水面川には、太一だけが知っている、飛び石橋とびいしばしがある。

 それを濡れないようにぴょんぴょんと飛び越えると、向こう岸に到達する。

 岸辺には、安馬山のふもとに沿った小道がある。その道を十数分ほど歩くと、安馬山の窪地くぼちに出るのだ。


 窪地はちょっとした広場になっていて、緑色のフェンスで一周囲まれていた。出入り口と思しき観音開かんのんびらきのフェンスゲート。そこには黄色いヘルメットをかぶって笑ってお辞儀をしている男――太一はタロと呼んでいる――が描かれた看板が貼り付けられていて、それを乗り越えて広場に入り込んだ。

 広場は廃材置き場になっていた。大小さまざまな車が置かれている。そのほとんどは、タイヤが外され、ボディが茶色く錆びていて。積み木のように積み重ねて並べられていた。

 タイヤやコンテナ、木製パレットやドラム缶といったものが雑然と置かれている。

 それらの山を2,3回回り込むと、白い壁の小さなプレハブ小屋が見えてくる。

 小屋の引き戸の窓ガラスは一部が割れていて、太一は割れ目から手を滑り込ませて鍵を開け、するりと入り込んだ。


 プレハブ小屋は8畳ほどの広さだ。

 窓の外から聞こえる、アブラゼミのジリジリという鳴き声。小屋の中のむあっとした熱気が肌にこびり付き、首筋から玉のような汗が滲んできた。

 太一は、タンクトップのえりをパタパタさせながら、鞄の中からコーラ瓶を取り出した。王冠を開けると、一気に飲み干す。強い炭酸が喉をはじけさせ、清涼感が体を駆け巡った。


 ふと視線を上に向けると、不格好な赤文字が書かれた、壁に掛かった白地の横断幕が見えた。


一ノ瀬秘密結社いちのせひみつけっしゃ・秘密基地」


 そう。ここは太一、いや太一たちの隠れ家・秘密基地だった。

 赤い絵の具ででかでかと書かれているそれを見て、太一は春先の出来事に思いを巡らせる。




 太一には幼馴染がいた。

 名前は幸江ゆきえ。男勝りの女の子だった。彼女とは11年来の腐れ縁だった。


 この秘密基地を見つけたのは、4か月前のことだった。

 山肌にはところどころに花をつけた桜が見え隠れしていて。

 太一は、幸江に小五最後の探検と誘われ、いつも遊び場にしている水面川から山に向かって伸びる小道へ足を踏み入れた。

 普段は行かない道が、山の木々の陰になって、妙に薄暗くて威圧感があったことを覚えている。

 幸江と手をつなぎ、太一は気持ちを奮い立たせて歩いた。


 そうして見つけたのが、この廃材置き場だ。

 廃車が重ねられて壁のようになっている様を見て、漫画で出てきたお城のようだと連想した。城へと潜入し、この土地の秘密を探るのだ。

 気分は最近テレビで放送されていたインディジョーンズのようだ。

 廃材の山を潜り抜けると、そこにはこのプレハブ小屋があった。小屋に入り込むと、なんだかこの城の王様になったような気分になった。

 幸江も同じだったのだろう、にっこりと笑い、こんなことを言い出した。


「ねえ太一。ここを私たちの秘密基地にしよう?」


 太一は廃材置き場から大きめの白い布を拾ってきた。

 幸江は鞄の中から、絵の具セットを取り出し、赤い絵の具に筆を浸す。


「なんて書く?」


「え?秘密基地、じゃないの?」


「どうせなら私たちだけが分かる秘密の言葉をいれようよ」


 ふたりでうんうん唸ること一刻、幸江が最近読んだ小説に秘密結社なるものがあったことを聞かされた。

 じゃあ一ノ瀬秘密結社でいいじゃないとぐいぐい書いたのがこの横断幕だ。


 給食で残した牛乳瓶を鞄から取り出し、二人で交互に飲んだ。

 これは盃だ。

 祝おう。ここが僕らの秘密基地だ。




 思い出に浸っていると、半ズボンの膝小僧に陰が差してきた。

 どうやら曇ってきたらしい。一雨来るかもしれない、そう思っていたら途端に雨が降り出した。

 太一はどっかりと腰を据えて、リュックサックからおせんべいを取り出した。

 

 その時だ。にわかにプレハブ小屋の入り口がガラガラと音を立てて開いた。

 太一は驚いて、小屋の入り口に目を向けた。


 そこに男ものが立っていた。

 なぜ「」なのかと言えば、全身が真っ黒なよろいのようなもので覆われていて顔が見えなかったからだ。鬼のような表情の黒いマスク、学校の社会の教科書に載っていたかぶとのような、広がった形をした真っ黒な被り物。黒いコートを羽織り、手には黒い皮手袋、ウレタンのような材質の革靴を履き、小屋の出入り口に仁王立におうだちしていた。


 これが、「ダーク総帥そうすい」と太一の出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る