36.行ったり来たり(円)
天道さんたちの撮影場所は、山から降りた海岸だった。
町を出て降っていったところに、数少ない波打ち際に出られるところがある。そこで撮影をしていたらしい。
「天道会長を待たせるとか信じられないんだけど」
俺の前を歩きながら、瑛子はむすっと怒っていた。
「呼んだら、すぐ来る」
「はいはい」
「あの人と一緒に演技できるだけで許せないのに。まったく。大女優だよ。大女優」
「ん。天道さんって何かやってたのか」
「はあ?」
彼女はくるりと振り返った。
「もしかして『白い教室』見てないの」
「何だそれ?」
「ほら。中学の頃やってたじゃん。大ヒットドラマ。
「うちテレビないんだよ」
「ネットも?」
「テレワークのおかげで最近開通した」
瑛子は何か言いたそうに、口をモゴモゴさせていたが、諦めたように肩を落とした。
「天道会長はね、神童って言われたくらいの天才子役なの。小学校の頃からずっと演技の世界に立っていた」
ホームドラマの娘役でたちまち話題になった。可愛くて自然体な演技。その勢いのまま、CM、バラエティ番組、映画に引っ張りだこだった。CDを出したこともあるらしい。
子役『
「良く知ってるなあ」
「知らないあんたがおかしい。学校のみんな知っている」
「そしたら何で女優辞めたんだ」
「ん?」
「最近はもう出てないんだろ」
「それは」
表情を固まらせて、瑛子はうつむいた。
「それが分かったら私も苦労しないんだけど」
とぼとぼと歩き始めた。
どうも何か思うところがあるらしい。ちょっと沈んでいるように見えて、声がかけづらい。
海が近づいてきている。ザザーンと波の音が聞こえた。
「どうして、こんな素人学生の映画に出てくれるのか分かんないだよね」
「まあ。色々あるんだろうなあ」
「ノーテンキめ。でも今はそれがうらやましい。私なんか緊張でガクブルしてる」
撮影場所についた。
小石の多い海岸で、ビーチサンダルと薄い青色のワンピースを着て、天道さんは立っていた。
「連れてきました」
瑛子が言うと、彼女はピクンと肩を動かした。
波は相変わらず強かった。ざぶん、と波の打ち付ける音がする。
天道さんがこっちを振り返った。
「それじゃあ、始めましょうか」
彼女はウィッグをつけていた。腰の辺りまで伸びる黒髪。ピンク色の口紅とピンと上向いたまつげ。
いつもと印象が違う。
何と言えば良いのか。女の子っぽい。
「どうかした。円くん」
「あ、いや。化粧とかするんですね」
「当然、役作りだからね。だから円くんも敬語はやめて。私たちは同級生」
「分かりました」
「ん」
彼女ははにかみながら小首を傾げた。可愛らしい仕草だと思った。そう意識しているのかもしれない。
「分かった」
「うん。上出来」
正直、とても可愛い。町で遭遇したら間違いなく振り返る。
「スタート」
撮影機材は、色杏さんたちと比べると簡素なものだった。
三脚につけたスマホと小さな集音マイク。瑛子一人で撮影が済むようになっている。
そのせいか映画を撮っているという感じは薄い。
「ねえ」
天道さんが海を見ながら口を開いた。最初のセリフ。
「誰もいなくなっちゃったね」
「うん」
「私たち以外、誰も」
「この海の向こうにはいるのかな」
「どうなんだろう。なんとなく、誰もいない気がするよ」
彼女が息を吐く。
この映画では、俺たち以外の人間は消えてしまっている。はかない恋心と不思議な謎の間に揺れる少女の話、と聞いている。
天道さんが小さな声で言う。
「私と君と。世界で二人きり」
どんなに小さくても彼女の声は、不思議と耳に届いてくる。
頬がほんのりと赤い。
揺れる瞳は。ちょっと
一途な恋をする少女。
「あ。ああ」
見つめられた瞳の奥が、ヒリヒリと
「カーット」
我にかえる。
瑛子がすごい目でにらんでいる。
「ダメダメ。何が「あ。ああ」よ。ロボットか。あんたの役は片思いされてる幼なじみ役。もうちょっとシャンとして」
「すまん」
「せっかく天道さんが良い演技してたのに」
ぶつぶつと言いながら、瑛子は再びカメラをセットした。
そうは言っても頬が熱い。なんか今日はにらまれっぱなしだ。
「頑張ってみる」
大きく深呼吸をする。
これは映画。
単なる映画で。彼女は演技をしている。
そう言うことだ。
「大丈夫。そのままやって」
見ると、天道さんが俺にハンカチを差し出していた。受け取ると氷みたいに冷たかった。
「つめた」
「クーラーボックスで冷やしておいたの。スッキリするよ」
顔に当てると、確かに熱がちょっと逃げていった。天道さんは変わらず、微笑みながら俺のことを見ている。
「自然体で。大丈夫。私がリードするから」
何も言えずうなずく。
再びカメラが回り始める。
「ねえ」
彼女が言葉を発する。
演技が始まる。うまくセリフが言えているのか分からない。常に会話を引っ張られているような感じ。
俺が踏み出すべきステップを、天道さんは知っている。恋する女の子の目。それにどうしようもなく
「私と君と。世界で二人きり」
それを全部知っている。知られているような気がする。
ちょっと一緒に演技をしただけで理解できた。瑛子の言うとおり、この人は天才だ。
胸の高鳴りが、本物なのか偽物なのか、どちらか分からなくなる。
「カット」
数場面を撮影し終わった。
撮った動画を見ながら、瑛子は「うん」とうなずいた。
「問題ないと思います。確認しますか」
「見なくても分かるわ。十分、良くできた」
カメラが止まると天道さんの口調は、いつもと同じに戻っていた。
「円くんもお疲れ様。ちょっと休憩にしましょうか」
「ああ。はい」
「汗びっしょりよ」
クスクスと笑いながら、彼女は言った。クーラーボックスから冷えたタオルを出して持ってきてくれた。
「日が暮れるまでに、ある程度撮り終えちゃいたいです。せっかくの撮影日和ですし」
「そうね。風が強いけれど、太陽が隠れているのは助かるわ」
二人の会話がスルスルと耳を抜けていく。
手に持ったタオルがすぐ
頭の中がさっきまでの天道さんで埋め尽くされていた。色々な表情をしていた。そのどれもが新鮮だった。
胸がざわざわする。
「何、
瑛子がジッと目を細めて、
「夏バテ?」
「いや。初めてだから慣れなくて」
「まだまだこれから」
なんか不安だ。
立ち上がろうとすると、ポケットのスマホが鳴った。色杏先輩からの着信だった。
「色杏先輩から呼び出しです。機材下ろすって」
「オッケー。今度は旅館の近くにいるから。出番からきたら呼ぶから」
うん、とうなずいて2人とは逆の方向に歩いていく。
別れる間際、天道さんは俺に向けて手を振った。
「じゃあ、またね。円くん」
帽子をおさえながら、彼女はニッコリと笑っていた。
天道さんの感情が分からない。
彼女と向き合っても、何を考えているのか分からない。天道さんは、どうして俺を相手役に選んだのだろうか。
ひょっとして特別の感情があったからか。
「いやいや」
それこそ、映画に引っ張られ過ぎている気がする。良くない良くない。
周りに誰もいなかったので、「あー」と叫びながら走ることにした。
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