学院生活の始まり 1

「お姉ちゃん、私は先に行くからね? ちゃんと起きるんだよ?」


 早朝、部屋を訪ねてきたエリスがそんなことを言っていたところまでは記憶がある。真新しい制服に身を包んだエリスはとても可愛かった。彼女は新入生代表の挨拶の打ち合わせがあるということで、先に入学式の行われる講堂に向かったのだ。



 どれくらいの時間が経っただろうか。リタは慌てて制服のシャツに袖を通していた。

 小さな鏡を見ながら真っ白のシャツに映える、真紅のリボン型のタイを結んでいく。それを溜める金色で半球状の金属モチーフには校章が輝いている。


(絶対領域……まさか私が着る側に回るとは思ってなかったな……)


 益体の無いことを考えながら、リタは黒色の長い靴下に脚を通す。タイツなども着用可ではあるが、リタは折角なので所謂ニーハイソックスをチョイスした。この丁度いい長さの靴下を探すのにどれだけ苦労したことか。あわせて、事前に準備していた短パンを履いてからスカートを履く。裾に白いラインの入ったスカートは意外と短いため、念のためだ。


 リタは続けて上着に袖を通す。袖や襟にもスカートと合わせたように白いラインが入っている。ブレザーに近い上着のデザインそのものは、前世で見たアニメの制服と、王国の伝統衣装を少し混ぜたような不思議な雰囲気をもつ。そのデザインはリタの中二心を非常にくすぐる物であった。


 それにしても、王都はかなり進んでいる。田舎町とは、明らかに文明レベルが違いすぎる。服のデザインや生地もそうだが、部屋に時計があるなんてなんて贅沢なんだ。そんなことを考えていたリタであったが、時計の示す無情な時刻に現実に引き戻される。


「リタ、まだか!? 先行くぞ!?」


 ルームメイトからの催促の言葉が突き刺さる。ラキは自分もさっき起きたくせに、意外なほど準備が早く、腕組みをしてリタを待っていた。そう、入学式の開始時刻は目前に迫っていたのだ。


「ラキお願い、もうちょっと待って! 迷う自信しかない!」


 まだ革が馴染んでいない、硬い革靴に片足を突っ込みながらリタは訴える。


「そんな自信はいらねーから、急げよな!?」


 入学式初日から緩めたタイに着崩したシャツ。ラキの右手の中指が、リズミカルに左手の上腕を叩いている。


「よっし、準備できた! 走るよ!?」


 リタはそう言いながら荷物を掴むと、部屋の窓を大きく開け放つ。廊下を走るよりはきっといいだろう。窓枠に足をかけ、部屋から飛び出す。

 雲一つない青空に、色づいた花々がリタを出迎える。肺を膨らませるように、爽やかな春の空気を取り込みながら、周囲を見渡す。ピンク色の花を咲かせる木々に、あれが桜だったら完璧だったのにな、とリタは思う。とはいえ、十分に贅沢で、最高な景色だった。


「偉そうに言ってんじゃねえ!」


 呆れた顔でそんなことを叫びながら、ラキもまた窓から飛び出してくる。リタは無属性魔術の念動で窓を閉め、施錠すると早速走り出した。


 だが、道が分からない。ラキに先導は任せるしかなかった。


「ラキ! もっとスピード出せないの!?」


 横から聞こえる、銀髪の少女のそんな声にラキ・ミズールは苦笑いで返す。


「お前、化け物かよ……」


 ラキは、ここまでの十数年の人生で、父親からひたすら戦いの術を叩き込まれてきた。それが彼女の一族の掟であったからだ。身体もそれなりに鍛えてきた自信もあるし、同年代に負けるはずがないと思っていた。


 だが、彼女のそんな自信はいとも簡単に打ち砕かれる。


 ラキは身体強化も併用しつつ、全力に近い速度で走っている。だが、先ほどまで横にいた少女は、いつの間にか先行し、後ろ向きに走りながらこちらを見ている。

 その余裕の浮かんだ顔に、ラキは流石は大陸有数の学園に集まる生徒はレベルが違うなと思うのであった。




 騒がしい少女たちが寮の窓から飛び出した頃、校門付近を一人の少年と護衛らしき武装した男が歩いていた。

 少年の名は、アレク・ライナベル・フォン・グランヴィル。――――王国の第四王子である彼もまた、本日より王立メルカヴァル魔導戦術学院に通うことになってる。

 護衛のエドガーを引き連れて、門をくぐった彼は、ゆっくりと講堂に向けて歩みを進めていた。王族だけに許された、王家の紋章の入った赤いマントを制服の上から纏い、その威容を見せつけるように歩く。

 少しカールした金髪に、くすんだ青い瞳。その目つきは鋭く、周囲の生徒たちを威圧していた。


 アレクは、出来るだけ貫禄が出るようにゆっくりと歩いていたが、正直なところさっさと講堂に行ってしまいたかった。エドガーの生暖かい視線に、思わず青筋が浮かびそうになるのを堪える。


 そんな彼の耳に、騒がしい少女たちの声が聞こえた。

 その声のひとつに、懐かしさと、喜びの感情を感じながらも、それが顔に出ないようにアレクはゆっくりと声の方を振り向く。


 振り向いた先で見た、土煙を巻き上げながら高速で接近する物体に、アレクは既視感を覚えた。


「――おい! リタ! 前! 前見ろ!」


 こっちの方を向いて疾走している黒髪の少女がそんなことを叫ぶ。先行している何処かで見たような銀色の物体は、どうやら後ろ向きに走る少女のようだ。そして、黒髪の少女が呼んだように、アレクが再会を願っていた少女でもあるのだろう。


 しかし――――


「おい、エドガー? ……なんか、嫌な予感がしてき――――ぐぼぉらっ!?」


 本当であれば、ここでカッコよく受け止めるのが彼の理想だった。ついでにほんの少しだけ、どうせならラッキーなスケベ展開も期待していたアレクであった。だが、空気抵抗を低減し、砂埃に汚れるのを防ぐためにリタが張っていた障壁に激突し、無惨に吹き飛ばされる。


(あぁ、この錐揉み回転も久々だな……)


 そんな、遠い目で回転しながら宙を舞うアレクを見ながら、猛スピードで突っ込んできた少女をさっと避けたエドガーが半笑いで叫ぶ。


「殿下ぁぁぁ!?」


 だが、アレクは学習していた。空中で姿勢を整えると、しっかりと衝撃を殺して着地する。鼻からは鼻血が吹き出しているが、この際仕方が無いだろう。


「ま、またなのか……リタ?」




 リタは衝撃を感じて急ブレーキをかける。急制動に伴い、軋みを上げる上体を魔術で無理やり止める。なびくスカートを手で押さえるのを忘れなかった自分を褒めたいとリタは思った。


 目の前には数年ぶりに見る、友誼を結んだ少年の姿。再会を喜びたいところであるが、入学式に遅れる訳にもいかない。アレクも制服を着ていることだし、事情は分かってくれるだろう。


 リタは瞬時に、アレクに回復魔術を行使しその鼻血を止めると、跪いた。ラキは訳も分からず右往左往している。いきなり少年を撥ね飛ばしたかと思えば跪く少女を見れば、誰しもがそのようになるかもしれない。


「ご無沙汰しております、殿下。早速ですが、お怪我はありませんよね? 私が治しましたから。本来であれば再会を喜びたいのは山々なんですが、私急いでますので、また」


 一瞬だけ敬礼を取ったリタであったが即座に立ち上がり走り出す。それをポカンとした顔で見ていた黒髪の少女も首を傾げながら走り去って行く。


 暫く呆けていたアレクは、数呼吸の後、再起動した。


「マジかよ……相変わらず狂ってんな……。轢いたうえ、久し振りに会ってもこの扱いなのか? ――――よし分かった」


 アレクは静かに腰に佩いていた黄金の剣を抜いた。


「今度は許さんぞ! 叩き斬ってやる! 待て、リタぁぁぁぁぁ!!!」




 後ろから聞こえる叫び声にラキが振り向くと、先ほどの少年が剣を抜いて猛スピードで追って来ているのが見えた。その斜め後方から、護衛の男も猛追している。ラキはたまらず叫ぶ。


「おい! さっきお前が撥ね飛ばした奴が剣を抜いて追って来てるぞ!? 知り合いなんだろ? どうにかしろ!」


「ラキ? あれは、ああ見えて王国の第四王子だから」


 リタは何でもないような顔で、肩をすくめる。


「へ?」


 ラキは思わずもつれそうになった足をなんとか前に運び続けた。

 ――――今、リタは第四王子と言ったか? 第四王子を撥ね飛ばしてこの態度なのか? ……流石は“狂犬”と呼ばれるだけはある。


 これは、自分は一旦止まって挨拶すべきなんだろうか。だが、今更過ぎる気がする。そんなことをラキが考えている間にリタは速度を緩め、いつの間にか少年と並走していた。




 アレクの振り回す剣を器用に避けながら、リタは呆れ顔で声を掛けた。


「ちょっと、アレク! 私との再会が嬉しいのは分かるけどさ、他の人もいるんだから迷惑じゃない? ちょっとは自重してよね?」


「迷惑とか、お前がそれを言うんじゃねぇぇぇぇ!」


 真っ赤な顔で真横に剣を振り抜くアレク。その剣を軽く飛び越えてリタは話す。


「とにかく、入学式始まっちゃうし、その趣味の悪い剣仕舞ったら? あ、でも意外と剣の筋は悪くないじゃん、アレク」


「え!? 聞いてた? 今剣の話する場面!? 違うよね?」


「入学式で私の世界一可愛い妹が、代表挨拶するんだから! 遅れたらどうするの!?」


「そ、そうか。それは確かに急がないと大変だな……って、お前相変わらず価値観イカれてんな、おい!!」


「は? 妹より大事なことって何?」


「本音と建前って言葉知ってる!? 王族の前ぞ! 知らないならお願いだから覚えて!?」




 後ろから聞こえてくる、頭の悪い会話にラキは頭を抱える。一応、他の人に聞かせないくらいの配慮はあるのだろう、そこまで大きな声では無かった。だが、感覚が鋭敏化しているラキの耳にはしっかりと聞こえていた。


 今の会話は、絶対に聞かなかったことにしようと誓う。あれを知っていて放置していたとなれば、不敬罪で首を刎ねられてもおかしくない。自分が王国の出身ではないとはいえ、許されることでは無いだろう。せめて、あのマントの紋章の正体に最初から気付ければ良かったのだが。


 だが、本当に不思議なことに、護衛の男は注意する素振りすら見せず、笑顔で追って来ている。


(第四王子にあの態度を取って咎められないなんて――――まさか、リタって実はかなり高貴な家柄なのか……? いや、それはねーな。)


 ラキは訳も分からず、とにかく講堂への道を走った。一刻も早く、後ろの二人から離れたい、その一心で。

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