第1章

1-1 靴下

 靴下が盗まれた。

 外に干してたら盗まれた。

 下着でもなく、使い古した靴下が。

 しかも片方だけ。

 特別気に入ってたわけでもないけど、なんとなくずっと使い続けて親指のところなんか穴があいてる靴下。


 靴下フェチの泥棒がいたもんだ。


 あーやだやだ。靴下の匂いくんくん嗅いで楽しむのかい。

 言っとくけど、それ洗ってあるからな。

 今どきの洗剤の消臭パワーなめるなよ。

 泥棒、てめーの鼻がそれを上回ることなんて、できっこないぞ、馬鹿め。



   *   *   *



 友人とジャンキーなハンバーガーを貪り食ってるときにそのことを突然思い出したから、愚痴ってみる。盗まれたのはだいぶ前の話だが。

 心配するどころか笑いやがる友人。

 こいつの靴下、全部じゃがいもになればいいのに。


 靴下の話からころころ話は変わってこんな話になった。


 友人の家の近くの空き地で野良犬が死んでた、と。

 おいおい、食べてるときにやめてくれよそんな話。

 まあまあ聞いてと話を続ける友人。

 可哀想に思って犬のそばで手を合わせた時に気付いた。

 その犬の手......じゃなくて右前足の肉球だけ赤いものがこびり付いていた。

 血なら拭けばとれるだろうが、全然とれない。

 しかも血にしては妙に色鮮やかだった、と。


 人間にイタズラでもされたのか、嫌な人間もいるもんだ。なんせ、この辺には靴下泥棒がいるくらいだからな。



   *   *   *


 その日の夜、眠れなくてぼんやり考えてた。

 犬か.......。犬と接したのなんて、小学生の頃ぐらいだ。

 小学生の時は、友人なんて1人もいなかった。

 いや、友犬はいた。

 公園で1人で遊んでるとどこからともなく現れる犬。

 野良犬のようだった。

 最初はビビったが、遊び相手もいない自分だったからいつの間にか一緒に遊ぶようになった。

 犬と一緒に跳ぶわ走るわ、砂を掘るわ、そりゃもう楽しかった。

 その犬と一緒に暮らしたかった。でもうちのアパートはペット禁止だった。


 そのうち友人ができて、友人と公園に行っても犬が現れることはなかった。

 それきり犬とは会っていない。


 布団でうつらうつらしてたら、突然インターホンが鳴った。

 こんな時間に?

 不審者か?とりあえずドアのレンズ越しに見てみる。

「宅配便で〜す。よろず宅配便で〜す。」

 宅配便?こんな深夜に宅配便ってくるのか?それに、聞いたことない名前だ。

 ちゃんと宅配業者の服っぽいし、ダンボールも抱えてるし、伝票も持ってる。

 用意周到な不審者か......?

 しかし、好奇心に勝てなかった。チェーンをかけたまま、ドアを開ける。

「よろず宅配便で〜す。」

 若いニコニコした男性だった。

「あ......そこに置いといてもらえます?」

「は〜い。じゃあここにサインお願いしま〜す。」

 サインした紙を渡すと宅配業者が言った。

「送り主様から伝言で〜す。ごめんね、と言っておられました〜。」

「は?」

「では、失礼しま〜す。」

 追求する間もなく荷物を置いて宅配業者は去っていった。


 なんだ......?爆弾でも入ってるのか......?

 宅配業者が去ったことを確認してチェーンを外し、そっと荷物を家の中に入れる。

 爆弾だったらと思うと家の中に入れずに外で荷物の中身を確認したいが、あの怪しすぎる宅配業者が戻ってきて襲いかかってくる可能性も否めない。


 ドアにはすぐに鍵とチェーンをかけ、玄関で荷物を開けることにした。

 まず伝票を確認する。

 自分の名前と住所が書かれている。しかし送り主の欄には赤いものがベッタリとついている。

 血か!?これ開けたら中からお化けがドカーン!!とかやめてくれよ!?

 と、思ったが血にしては色が綺麗すぎる。

 血というより朱肉だ。

 とにかく中身を見よう、なるべく、揺らさずに、そっと開ける。

 全く想像していなかったものが入っていた。

 靴下だ。

 しかも親指の部分に穴があいている。

 これは......盗まれた自分の靴下だ。

 泥棒が返してきたのか?

 匂いが全然しなくてつまんないって?だから言ったのに最近の洗剤はすご......

 靴下を手に持ってわかった。物凄い量の毛がついている。

 うわっ!と靴下を放り投げかけて気付く。

 これは、人間の毛ではない。

 ホラー映画とかでよくある髪の毛びっしり、ではない。

 動物の毛のようだった。

 そして、箱を開けたときから漂うこの獣臭。

 この毛と匂いに覚えがあった。


 小学生の頃、一緒に遊んだあの野良犬。

 季節によっては遊んだ後、服に大量の毛がついた。

 匂いも思い出した。この匂いだ。


 伝票の赤いものが目に入って、もう一度よく見てみる。


 もしかしたらこれは、肉球を拇印したのか?


「ごめんね」って......


 こんなボロ靴下いくらでもくれてやるのに。


「これ、洗えないじゃんか......」


 靴下を握りしめて、玄関に座り込んだまま、ただ泣くしかなかった。




 それから洗濯物を干すときは、洗ってない靴下を一足、近くに置くことにした。

 もう来ないってわかってるけど。

 あの犬に何もしてやれなかったことを、忘れないように。


 使い古した靴下を両足揃えて一足、今日も置いている。

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