第23話 ライター その八
「編集長に確認してみたのですが、谷村さんの聞いた話で進めて大丈夫だってことになりました。私はちょっとそういうの信じてないんでわからないですけど、犯人の身近な人がそういうならそうなんじゃないかなって納得してますね。でもでも、私はそういうの信じてない人間なんでその辺は忘れないでくださいね」
俺の担当編集の桔梗さんからそう言われてしまったのだが、俺もそこまで信じているわけではないので敢えて反論はしないで置いた。
あの土地に寺なり神社なりがあったとしても、花咲容疑者が起こしたような事件を正当化するわけにはいかないと思う。
そんなこともあって、あの場所に何があったのか調べるために地元の図書館に行って史料をあさっているのだけれど、なかなかどうして目当ての物は見つからなかった。
それほど歴史のある街ではないのかもしれないけれど、それにしては不自然なほどあの地区の史料だけが見当たらないのだ。
まるで何かを隠しているかのようにそこだけが抜け落ちていた。
歴史資料館や古くからある寺の住職に話を聞きに行ってみたのだけれど、どこに行ってもあそこにあったはずの寺の情報は曖昧なものだった。
寺自体は確かにあったようなのだが、それを実際に見ていた人は誰もおらず、人づてに聞いたとか噂で知っているといったものばかりだった。
役所に行ったときにたまたま出会った高齢の女性がその寺について何か知っているようだったけれど、少しだけ記憶があやふやになっているらしく俺の知りたい情報は結局手に入ることが無かった。
俺はもう一度担当編集の桔梗さんに連絡をして、出来るだけ古い地図を探してもらえないか頼んでみた。
桔梗さんは他にも何人かのライターの仕事を担当しているようなのだけれど、今のところ急ぎの用は他にないらしく、俺の願いは快く引き受けてもらうことが出来た。
俺がこの地でこれ以上史料を探すのは無理だと思うので、こうなったからには積極的に高齢の方に昔の様子を聞くことにした。
何人かから話を聞くことが出来たのだけれど、寺の存在は知っていたものの実際に訪れたことがある人は一人もおらず、ますます実在したのかが不安になってしまった。
この街の歴史を研究している人に聞いてみたところ、寺があったらしいというのはみんなの共通認識として共有されているのだが、実際にその寺があったという記録はどこにも残っていなかったらしい。
誰もがその存在を認識しているのに、誰もその場所に行ったことがないという、そんな不思議な寺の跡地で起きてしまった凄惨な事件。
ここまで不可解なことが重なってしまうのは本当に偶然なのだろうか。俺にはそれがとても偶然の出来事だとは思えなかった。
その後も何人かの話を聞くことは出来たのだけれど、寺の事を知っていた人も俺が話題に出すまで寺の存在自体を忘れていたという人がほとんどで、実際に訪れた人は誰一人として見つけ出すことが出来なかった。
そんな中、桔梗さんから連絡が来た時には申し訳ないという気持ちの方が先行してしまっていたのだった。
だが、電話越しの桔梗さんはいつもより若干声が高くなっていたように感じ、これは何かいい知らせがあるのではないかと勘繰ってしまった。
「谷村さんに言われたことを調べてみたんですけど、そっちの史料には寺のあった場所が記されていないって言ってたじゃないですか。それってこっちの地図にも同じことが言えるんですよね。色々さかのぼって調べてみようと思ってたんですけど、1940年代の地図から1900年代の地図まで事件の起きた辺りが空白になっているんですよ。で、それ以前になりますと、寺というか鳳仙院という建物があったみたいですよ。名前からして寺院とか医院っぽい感じはするんですけど、谷村さんはどう思いますか?」
「ほうせんいんか、どんな字なのかあとでメールで教えてくれると助かるよ。そうだな、名前の響きから行っても寺院の可能性は高いと思うよ。桔梗さんは優秀な編集者なんでいつも助かります」
「いえいえ、私の情報で谷村さんの仕事が進むのでしたらお安い話ですよ。それに、谷村さんの仕事が好評だったら私の株も自動的に上がりますからね。この鳳仙院がお寺だったとして、犯人の同僚の人が言っていたような事件って本当にあったんですかね?」
「どうだろう。本当にあったかもしれないけれど、それがあったとして花咲容疑者が起こした事件と関りがあるのかって断定は出来ないよね」
「そうなんですよね。そう言えば、犯人がこれまでと違って急に事件について黙秘しだしたらしいですよ。テレビの情報なんで本当かあやしいですけど、私達としてはそうやって裁判まで何も語らないでいてくれれば話も膨らみやすくなりますよね。新しく国選弁護人としてついた花車雪の影響も大きいみたいですよ。同じ女性ってのもあって犯人は花車弁護士には何かを伝えているみたいなんですけど、その内容が何なのかはわかってないんです。でも、花車弁護士が会見で言ってたことなんですけど、犯人はどうも人格が一つではなく人格障害があるのではないかって事と、何らかの後天的要因でそのような傾向がみられるようになったのではないか。そして、それは事件を起こす以前からの話のようである。これって、谷村さんが調べている事にリンクしているように思えません?」
「その会見を見てないんで何とも言えないけど、もしかしたらそうなのかもしれないな。俺はその花車って弁護士を信用しているわけじゃないんだけど、本当に犯人の人格が多重人格だったとした俺と桔梗さんで調べていることが真実って可能性も出てくるわけだよな。これって、もしかしたら俺たちが有名になるチャンスなんじゃないか?」
「私もそれを考えていたんですけど、谷村さんが良かったらですが、花車弁護士のメールに谷村さんがここ数日で調べてまとめあげた記事のリンクを送ってもいいですかね?」
「それは構わないけど、どうせならこれから書いてまとめる記事を公開してからでもいいんじゃないかな。その方が彼女たちの役に立てるんじゃないかと俺は思うんだよ」
「そうですね、それがいいと思いますよ」
「じゃあ、急いで今日調べたことと桔梗さんから聞いた地図の話をまとめて記事にして送るよ。それで問題無かったら花車弁護士に教えてみてくれ」
「わかりました。修正箇所がないか確認してから公開して花車弁護士に連絡してみますね」
俺は急いで記事をまとめあげ、出来上がった記事をすぐに桔梗さんへと送っておいた。
しばらくしてから、桔梗さんが見つけてくれた地図の画像や加工した現場の写真なんかを載せたページが出来上がっていた。
俺はそれを確認して問題個所も無かったようなので、桔梗さんにそのように伝えてweb版の原稿が完成した。
俺はそれをサイトで確認してからホテルの近くにある銭湯へと向かった。
今日は珍しく酒を飲んでいないので、寝る前に熱い風呂に入ってから酒を飲もうと思っているのだ。
銭湯から戻ると、俺は充電したまま忘れてしまったスマホに異常なほど着信履歴が残されているのを見て驚いてしまった。
着信相手は担当編集の桔梗さんで、その件数は今まで見たことも無いような数で時間も数分間もあいていない状態だった。
画面を見ていると再び桔梗さんから着信が来ていたので、俺はそのまま通話ボタンを押したのだ。
「やっと繋がりましたね。驚かないで聞いてくださいね。花車弁護士に連絡してみたところ、なんと編集部に直接本人から電話があったんです」
「そうなんだ。で、なんて言ってたのかな?」
「えっと、私は基本的に霊とか怨念とかは信じていないのだけれど、もしかしたら被告人はそういったモノに影響を受けやすいのかもしれませんね。もう少し具体的に話を伺ってみたいのですが、お互いに時間を取るのは難しいと思いますので、こちらは一方的に記事を読ませてもらいます。もしよろしければ、谷村さんの書いた記事を会見の場で紹介してもいいでしょうか? ってことなんですよ」
「おお、俺の記事を見てくれる人が一気に増えるかもしれないな」
「今でもある程度は見てる人いるんですけど、そんなに信じている人もいないですし、どちらかと言えばアンチの方が多い感じですよね。でも、見てくれる人が増えればその状況も変わるんじゃないですかね」
「そうだよな。で、弁護士の人に返事はどうやってすればいい?」
「それなんですけど、谷村さんの許可を取る前に私が紹介する許可をしちゃいました」
「桔梗さんって本当に有能な編集者だよ」
俺は銭湯帰りに買っていた発泡酒を冷蔵庫にしまい、ホテルの近くにあるコンビニまでビールを買いに行った。
今日くらいは部屋で飲む発泡酒をビールに変えてもいいだろうと思ったからだ。
ニュースを見ながらビールを飲んでいたのだけれど、今のところ俺の記事の話題を取り上げている局はどこにもなかった。
明日になれば俺も有名になっているのかもしれないなと思いながら眺めていた番組は、この地方でやっているローカルタレントが出ているバラエティ番組だった。
今まで俺の記事を見ていてくれた人がどれくらいいるのか具体的な数字は聞いたことが無いのだけれど、明日以降はどれくらいの閲覧者がいたのか聞いてみようかなと期待に胸を膨らませたまま俺は眠りについたのだった。
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