第56話 不破と灰谷は地底洞窟で雌雄を決する②

 彩藍と対峙する華乃=ハイドラは、すこぶる機嫌が悪そうに顔を顰めて彩藍を睨んでいた。


「お主は……我を『醜い』と言うたな。

 それに『臭い』とも…………。

 巫山戯るでないっ!

 神を愚弄するとは、絶対に赦さぬぞっ!!

 灰谷彩藍……とやら、神罰を与えてくれるわっ!」


 神を名乗る白き少女の怒りに触れたにも関わらず、彩藍はまるで動じることなく自論を展開する。


「いやいやお嬢ちゃん……ハイドラちゃんで良いんかな?

 キミの顔面がド偉い不細工ぶっさいくなんは、僕のせいやないんとちゃいます?

 そこはかとなく滲み出る、性根の悪さが顔に出とるんやないかなぁ?

 他人の精神こころに侵入して、記憶からどつかれ難い外見を引っ張り出すとか……神さんを名乗るにしてはやり方が、ちょっとばかりんと違いますかねぇ?」


 鼻で笑いながらも彩藍は華乃=ハイドラの遣り口の汚さに、敢然と抗議し認めようとしない。


「ハッ!

 精神こころ弱き人間の、脆弱な部分を攻め入ることが『悪』などとは………お主達は甘い世界で生きておるのだな。

 戦いを有利に進めるための策に、善も悪も在りはしないと思わぬか?

 世界が不特定多数の人間……老いも若きも女も男も、その全てを巻き込む大戦に突入しようと云う世紀において、勝ち残り生き残ることだけが正義だと言い張るのはお主ら世界の人間ではないか」


 華乃=ハイドラの言い分を聞きながらも、彩藍は更に言い募る。


「フン……僕には気に入らんのやけど………キミの論理ロジックに誤りはないと思うわ。

 せやけどキミが怒っとるのは、別の理由やろ?

 キミは僕がから、そこが気に入らんのやないの?

 僕の怒りにかこつけて、善だの悪だのをグジャグジャ言うのは……お門違いの論点のすり替えやん。

 あ〜ぁ、格好悪ぅ…………」


 ニヤリと嗤う彩藍の顔を、幼い少女の顔を使って恐ろしいまでの怒りの表情で睨みつけながら……華乃=ハイドラは言葉を返す。


「喧しいっ!

 それならば、お主は何故に我を漆原華乃として認識しておらぬのだっ!

 答えるが良いっ!」


 華乃=ハイドラの怒りの原動力とも云える問いに対しても、彩藍の態度は変わることなく太々ふてぶてしくも軽い口調のまま。


「え〜?

 そんなん教えたらんとアカンかなぁ?

 どう見てもバレバレやん、キミは外見だけ化けて精神こころに働き掛けとるんやろけど……こちとら陽ノ本の妖人あやかしは、開闢以来二千数百年の永きに渡って人間を騙くらかして化かし続けて来たんやで。

 そないにな精神干渉で、化かし妖術の玄人プロフェッショナルを騙せると思ったら甘々ですがな。

 こんなんで騙される云うたら、妖術を使わんと腕力と武力に物を云わせる……猪突猛進しか知らん、単細胞で単純な鬼の人ぐらいのモンとちゃいまっか?」


 ヘラヘラと鬼である童士を含めた他人ひとを小馬鹿にするような態度で彩藍は、華乃=ハイドラに種明かしをして見せる。

 その言葉を聞いた華乃=ハイドラは、怒りの焔をフツフツとたぎらせているようだ。


「下賤の妖怪めがっ!

 我を愚弄しおってからにぃっ!」


 悔しげな口調で叫ぶ華乃=ハイドラ、その叫びを耳にしても相変わらずの不真面目な態度を崩さぬ彩藍。


「ハイドラちゃん、それは逆の話やと思うよ。

 下賤の妖怪なんかに見破られる幻術を仕掛けるとか、キミの感覚センスの悪さが露呈しまくりなんやない?

 そないなみっともない真似は、良うせえへんけどなぁ。

 あっ………ホンマのこと云うて……傷付けてしもたんなら、ホンマにゴメンやで…………」


 真摯に申し訳なさそうな表情を作る彩藍、その姿を見た華乃=ハイドラは更に怒り狂う。


「神を嬲るのも大概にしろっ!!

 お主のような者には、神の怒りを喰らわしてくれるわっ!!」


 怒号を発した華乃=ハイドラは右手を前に突き出し、掌から白く細い触手を繰り出して彩藍を狙う。


「おほほっ!

 本気で怒ってますやん、舐めた真似しても三度目までは許してくれるんが神さんやないの?

 あら………あれは仏さんの話やったっけ?」


 彩藍の胸を狙った華乃=ハイドラによる突き刺すような鋭い攻撃を、体を右回りに半回転させて躱した彩藍は飄々とした態度で会話を続ける。


「煩いっ!

 煩いっ!

 煩いぃっ!!

 お主のような神を神とも思わぬ下郎は、ここで息の根を止めて捻り潰してくれるわっ!!」


 怒り心頭に発した華乃=ハイドラは、彩藍に向けて更なる追撃の手を放つ。

 今度は両手を突き出し、両掌から飛び出す二条の触手が一直線に彩藍の顔と胴体に迫り来る。

 その両眼を怒りに紅く染め、口からは尖った犬歯が剥き出しにされ…擬態コピーした筈の漆原華乃とはまるで違う表情となっている。

 その立ち姿は小柄な悪魔とも云うべき姿で……外見を取り繕うことなど忘れ、模写を保持する努力すらもかなぐり捨ててしまったかのようだった。


「ほいさっ!

 あらよっと!

 ハイドラちゃんも本気を出して来たみたいやねぇ、こっちもボチボチ気合いを入れんとアカンかなっ!」


 解き放たれた白い矢の如き華乃=ハイドラの二筋の触手、その片方……顔面を狙い澄ましたかのような一撃を、右手に構えた黒烏丸で斬り飛ばした彩藍は、追撃の二の矢である胴体を貫かんとする触手も、左手に握り込んだ小烏丸で払い退ける。

 黒烏丸の斬撃を喰らった左触手は、先端部分の残滓が地面でのたくる。

 小烏丸に払われた右触手の方が、受けた被害ダメージは甚大であったと見えて、払われた部分から溶けるように消失し、切断面から白い煙と異臭を放っている。


「ゴァァァァァァッ!!!」


 突如として齎された激痛に絶叫しながら、彩藍の握った小烏丸を憎々しげに睨め付け、華乃=ハイドラは両の触手を自身の掌へと引き戻す。


「お主の持つ忌々しき刀は、神に弓引く者の証かっ!?

 我の身を、白痴の魔王アザトースに愛でられし側女たる我に疵を負わすなど……許されざる行いぞっ!

 死ねっ!

 死ねっ!

 死んでしまえっ!

 灰谷彩藍っ!!

 死してその身を永劫の闇に閉じ込め、その戯けた精神を狂気の中へと封じ込めてくれるわっ!!」


 口から涎を垂れ流し、その眼を口を大きく開いて叫ぶハイドラは、もう既に漆原華乃の顔を保ってはいなかった。

 その眼は眼球を喪い、落ち窪んだ真紅の陥穽あなの如き形状となり、その口は骨格から変形したように前へと突き出し、口角は裂け上がって耳元まで侵食して行く。

 顎が外れたように開きっ放しとなった口蓋には、爬虫類じみた鋭い牙がビッシリと並んでいる。

 額から突き出た何らかの感覚器官と思しき角状の部位は、深海に潜み棲む提灯鮟鱇チョウチンアンコウの疑似餌にも似た光を放つ。

 どこからどう見ても、この《惑星には存在していない》》動物の顔へと変異したハイドラの肉体は、未だ漆原華乃を模した未発達の少女のままである。

 見る者の狂気を引き起こすような顔面と、華奢な少女の純白の体躯、その不釣り合いアンバランスな見た目は……健全な精神を持つ者を恐慌パニックに陥れるに充分な破壊力を秘めていた。


「うへぇっ!

 気色悪っ!

 ハイドラちゃん………キミ……かなり趣味悪いなぁ…………。

 そやけど……その残念な面構えは、キミの物凄い臭い体臭とはピッタリうとると思うよ。

 僕も人間っぽい見た目のキミよりは、今のキミの方が好ましいで。

 そのエゲツない怪物顔の方が、切り刻んだ時の良心の呵責が……減免されるもんねぇ」


 ハイドラの顔を見て狂気に苛まれることも、恐慌を来すこともなかった彩藍は、ニヤッと不敵な笑みを溢し………ハイドラの変化に対して歓迎の意を伝える。

 一方のハイドラは顔の表情は掴めないものの、彩藍の発言を聞いて憤怒の炎に燃料を過剰摂取オーバードーズさせられたようだ。


「灰谷ぃ……彩藍…………。

 生きたまま……頭から……喰ろうてやるわ…………。

 脳髄を……最後の……一片まで……啜り……呑み干してくれる…………」

 

 ハイドラが両掌を広げて構えると、両手の十指が細く長く伸び、十条の純白の鞭となって地面に垂れ下がる。

 無造作に五条ずつの鞭が波打つ荒波のような激しい形状で、彩藍の許へと打ち寄せる。

 流石の彩藍も余裕は失くしてしまったようで、次々と己が立つ場所へ殺到する波濤にも似た波状攻撃を、足元のものは跳び退きながら、そして胴体や四肢、それに顔を狙うものは大小二刀を振るいながら避け続ける。


「ヘヘッ、少しはやりよるやないけ。

 酷い化け物面になったら、攻め手も酷く厳しいモンになりよるとはな!」


 討ち漏らした幾条かの触手鞭に腕や脚を叩かれた彩藍の肉体は、血飛沫を噴き上げながら浅くではあったが切り裂かれている。

 その彩藍の姿を、おそらくは満足そうな顔で見遣りながら……ハイドラは被せるように更なる激しい攻撃を、彩藍に向けて見舞おうとするのであった。

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