第12話 12

うーん……かなり気まずい。


 陽菜と一緒に事務所を出て、まだひと言も話ができていない。

 

 隣を歩く彼女の表情はいつになく真剣そのものだ。

 きっと考えている事は同じなのかもしれない。


「京介さん、わたしなんだかワクワクしてきました」


「へっ?」


 ……ワクワク?

 前言撤回、俺とは違うようだ。

 

 てっきりレンタル彼氏の秘密が漏れるのを恐れているのかと思っていた。

 彼女はさらに話を続ける。


「いまも誰かに尾行されてるかもしれないと思うだけで、どうやって撒いたらいいかとか演技しようかとか考えてしまって。人に追われるような体験なんて滅多にできませんから」


 すっかり忘れていた。

 彼女は世間知らずのお嬢様だ。

 まるでドラマや映画の世界に入り込んだヒロインと同じ気分にでもなってるのだろう。


 事務所では不安そうな表情で、俺を信じてるなんて言っていたけど、いまはイキイキとした顔をしていた。

 仕方がない……陽菜も楽しそうだし俺も付き合うか。


「いいか?もし怪しい奴を見つけたらすぐに教えてくれ」


「わかりました!」


 右手を頭の横まで持っていき、敬礼をする姿が可愛らしい。


「プッ……」


「あ、な、なんで笑うんですか?人の顔を見て笑うなんて京介さん……失礼ですよ……」


 陽菜が顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。

 理不尽に責められてるけど、今日の目的は先日不快な思いをさせたお詫びなのでひとまず謝罪する。


「ご、ごめん」


「わかればいいんですよ……もう。さあ行きましょうか」


 頬っぺたを軽く膨らませているけど、目は笑ってる気がする。

 なんだか楽しそうに見えるけど、今日は料金が発生しないからご機嫌なのだろうか?

 

 俺なんかさっきまでの話を考えるだけで頭が痛いけど……


「これからどこに行くの?」


「たくさんお話ができる場所です」


 今日は依頼を受けてるわけではないので、要望とかはまったく聞いていなかった。


「ここからはプライベートの時間ですので、リラックスしてくださいね」


「じゃあそうさせてもらうよ」


 どこに連れて行かれるのかわからないけど、彼女が喜んで案内してくれるなら場所なんてどこでもいい。


 そして電車に揺られること数十分。


「ここは……クリスマスマーケット?」


「はい!本番はまだですけど可愛い小物がたくさん売ってるんです」


「へー、俺は来るのは初めてだな。ずいぶん賑わってるね」


「もうすぐクリスマスがやってきますから。女の子にとってクリスマスデートは特別なんですよ」


「え?クリスマスデート?」


 上目遣いで意味ありげな言い方をしてくると、誤解しそうになるのでやめてほしい。

 周りを見渡せば、たしかにカップルが多い。

 ……なるほど。これも彼氏ができた時の予行練習か。


 こんなに可愛いお嬢さまの隣を歩いているのが、俺みたいなこじらせてるヤツなんてほんと申し訳なく思う。


「あれ?でもたくさん話ができる場所って言ってなかったっけ?」


「もちろんそうですよ。あれを飲んでいろいろお話しましょう」


 そう言って指をさした先にあるのは、グリューワインを提供しているお店だった。

 グリューワインとは、ワインにシナモンなどのスパイスと果物を加えて温めたホットワインの事である。


「あれは体が温まりそうだし美味しそうでいいね」


「やった!じゃあ買ってきますね」


「それはダメ。今日はプライベートで来てるし俺が買ってくるからここで待ってて」


 レンタル彼氏の時は仕方なく女性にお金を出してもらうけど、プライベートでは絶対にそんな事はさせない。

 古い考えかもしれないけど俺は女性におごられるのがあまり好きではないのだ。


 グリューワインを提供しているブースに行くと、人気があるのか10人近くの人が並んでいた。

 

 あまり待たせて心配かけたくないのラインで連絡を入れると、すぐに女の子らしい可愛いスタンプで『オッケー』と返事が帰ってきた。

 なんだかほんとにデートしてる気分になるから不思議なものだ。

 この雰囲気のせいだろうか?


 そしてようやく順番が回ってくると、グリューワインを2つとソーセージの盛り合わせを買って陽菜の元へ戻っていく。


 すると……遠くから彼女が待っているテーブルを見ると見知らぬ大学生くらいの若い男子が2人いる。

 彼女になにやら話しかけてる二人組。


「ねえ、こんなところに一人で来てんの?俺たちと一緒に遊びに行かない?」


「俺たち飲みなおしに行くところだから行こうぜ?」


 どうやら彼らは少し酔ってるのか陽菜が嫌な顔をしてるのに気づいていないらしい。

 陽菜はしばらくすると怯えているのか、体が少し震えていた。


「おい、さっきから話しかけてるのに返事くらいしろや?」


 コイツ何を勝手なことを言ってるんだ?

 見知らぬ男達に突然誘われても無視するのは当然だろ。


 やっとテーブルに戻ってきた俺は飲み物が載ったトーレ―を置くと、陽菜の頭を優しく撫でながら声を掛けた。


「もう大丈夫だから。ひとりで待たせてごめんな」


「はい……」


 男性にトラウマのある彼女にはよほど怖い体験だったのだろう。

 頭を撫でている手にも振動が伝わってくるくらい、小刻みにプルプルしている。

 俯いているので、表情は確認できなかった。


「彼女が怖がっているから悪いけど二人で飲みなおしに行ってくれ」


「なんだとー?ちょっといい女連れてるからってカッコつけんなよ!」


「はぁ……これ以上彼女を怖がらせたら我慢できなくなるから消えろって言ってるのが分からないのか?」


「だからカッコつけてんじゃねー!」


 酔ってるせいなのか、いきなり二人組が襲い掛かってきた。


「きゃあ!」


 陽菜の悲鳴を聞くと同時に俺の体は自然に反応していた。


 一人目のパンチを内側へはじいてパアリングで受け流す。

 そしてそのまま足をひっかけて尻もちをつかせた。


 二人目が飛び掛かってくるがバックステップでかわして相手が勝手に倒れたところで顔面めがけて拳を振りおろす……が、ぎりぎりのところで寸止めした。


 一瞬の出来事に、いつの間にか集まってしまったギャラリーそして陽菜までも目をまんまるにして固まっている。


「早いとこお引き取り願いたいんだけど?」


「「ひぃー!」」


 一目散に逃げて行く男子二人組。

 これじゃまるで漫画や小説だろ。


 仕方がないとはいえ陽菜に怖い姿を見せてしまい嫌われたかもしれない。

 

「……京介さん……どうして、どうしてこの間は……」


 陽菜がなにを言いたいのか、この時の俺にはまだわからずにいた。

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