第19話 夏 天空都市Ⅵ
現場の異様さは一目瞭然だった。大勢の人が行き交う回廊は物々しい空気が漂い、不自然に沈静している。食堂の出入り口前で、内部をおののきながら覗き込む野次馬が、僅かにぼそぼそと囁き合うだけだ。
その人だかりに向けて、マーガレットは微笑みを形作りながら声をかけた。
「天空都市の皆々様、三々五々とタムろがすぎるわね。前を通していただけるかしら?」
その麗しい声を聞いた群衆の一部が、少女の姿を捉えた途端にすがるような眼差しを送る。局内で事務作業を行うスタッフだった。
「マーガレット・キャンベル嬢!」
「ミス・キャンベルがおいでだぞ!」
「前を通させろ」
「マーガレット嬢、どうか助力を。正直なところ、この呪いは我々の手に余る……」
天空都市に駐在する解呪師ではあるが、未熟で実力不足であると判断された者たちで、普段は後方支援に回されている。己の力で施術出来る範囲は微々たるものだ。
マーガレットは安心させるように、口元の弧を優美に上向かせる。そして、ちらりと目線を少し先へやった。黒色の外套を纏う
「この緊急事態について、どのくらいまで情報は出回っているの? 局長へは?
「局長は議会出席で枢機部へ向かわれたままで……。同じく、
「戻って来ない? ……ならすぐ頼りに出来ないわね。
「副隊長は七大都市の名誉ある巡回に遣わされているそうで、不在なのだそうです。都市に残る一般の
「そう、手痛いわね。当てに出来るのは、現状
渋面のマーガレットは嫌みたらしくひとりごち、風通しの良い食堂を見渡した。目線の端では、最後の患者が外へと運び込まれていく。マーガレットはスタッフに小さく言付けし、下がらせた。人気の薄い部屋の中、首を傾げる。
「プリムは何処にいるのかしら……。治療室の方かしらね」
「メグねえちゃま、ここ。あたしはここなのよ」
マーガレットの視線の真下、その足下近くより、か細い声が聞こえた。幼い姿は、入り口近くの壁際に横たわっていた。額に汗を滲ませて、荒い呼吸を繰り返している。
「プリム! ちょっと、どうしたのよ、しっかりしなさい!」
しゃがんだマーガレットがその肩を揺さぶると、プリムローズはうぅと唸って背筋を丸めた。起き上がる気力も果てているようだった。全速力で何時間も走り回った後のような、疲労の色濃い顔つきをしている。
「今回の被疑者である、黒い外套を纏った者と戦っていたのです」
幼い少女の隣に控える
「反撃され、惜しくも見逃してしまったのですが……、その後急に、力を無くされてしまって……」
「だからって、何でそんなに消耗してるのよ。あんたの中のマナは、天然ガス田級の威力と備蓄力でしょ。……まさか、サマーベリーの解呪の負荷が癒えていないって言うんじゃないでしょうね」
じっと投げかけてくる視線から逃れるように、プリムローズは身体をごろんと動かして反対方向へやった。
「……ごめんなさい、メグねえちゃま」
悲壮と怒りで眉を寄せるマーガレットは、背を向けた妹の身体を引き戻し、たまらず大声で叱りつけた。
「このお馬鹿ッ! 平気な顔でしれっとしてたじゃない、あんた! 何で隠してたのよ」
「だって、へっちゃらだって思ってたもん。あたしは大丈夫だって……思ってたもん……」
「思っていても、実際がこのザマなら世話ないでしょう。あの時、あんたが心配ないって言うから、危険を承知でとっておきの
初夏の騒動において、プリムローズに預けて行使された
名前の通りの力を発する変換装置は、この世にある自然物の力と同等の性質を引き出すもの。その元の現物の存在が、絶対条件で基礎となる。サマーベリーの沼地に使われたものは、
そして、とっておきのもう一つは、『グラウンド・ゼロ』――全面を消滅させろと唱えただけの、単なる人の言葉。
実際に現物がない物、つまり想像上だけの存在。思い浮かべて作り出した
身体的に未成熟のプリムローズに使役させるのは、マーガレットも当然ためらいがあった。へっちゃらだと胸を張る妹の言葉を鵜呑みにして、賭けてしまった。
そして事が満足な結果で収束し、愚かしくも有頂天だった。何も言わない妹の不調に気付けないまま、再び激務の場に放り込んでしまった。
「あんたを信じていたから、一人でこの現場を任せたのよ。なのに、無茶して、ボロボロになって――こうならないように、兄さんは日頃散々警告していたのよ。あたしだって、あんたのこんな姿見たくなかったわ」
今にも泣き出しそうなプリムローズは、唇を引き結びながらうつむき、マーガレットの説教をこらえるように聞いていた。
「お願いだから、隠しごとはやめて頂戴。他に何か言うことは? 絶対あるでしょう?」
「……言いつけも破った」
手短に答えられ、マーガレットは舌打ちしたくなった。これはいよいよ嫌な予感が当たる。
「簡略式まで使ったのね……。負荷のオンパレードじゃない。ならその消耗も納得だわ。で、後は? まだあるでしょう?」
「……あいつに向けて、使った」
「あらそう、それは治療で?」
「…………毒で潰してやった」
マーガレットは即座にプリムローズの頬を引っ叩いた。金の瞳に苛烈な光が差し、怒号に冷淡な色が走っていくのを止められない。
「あたしの
プリムローズは痛みからか、とうとう涙を零した。濡れた頬をそっと触り、マーガレットを切なく見やる。
「だって、だって、あいつ、あたしを
ぐずるような声音で口零すと、隣の
冷ややかな目つきのマーガレットではあったが、瞬発的だった手の平を苦々しく見つめ、遣り切れないため息をつく。
「ったく、可愛い可愛い妹を泣かせてんじゃねえよ」
背後に立つピックスが、呆れた顔つきでキャンベル姉妹を見下ろしていた。
「ちったあ大目に見てやれよ。室内解呪と悪者退治のダブル功労者だろ、大層な働き者じゃねえか」
マーガレットは眉を吊り上げ、邪魔立てかと言わんばかりに睨み付ける。
「ヒトの家庭の教育方針に口を出さないで頂戴。一歩間違えれば、あんたと同等のド腐れ根性まっしぐらになりかねないんだから」
「へっ、一々口の減らない女だな」
ピックスはそう吐き捨てると、本題だと言う風に、面倒くさそうな顔つきで後方を指し示した。
「麗しき姉妹劇も結構だがよ、ちっと思わしくない事態に無能共が喚いてる。そっちをなだめてくれよ、テメーの得意分野だろ」
「……人使いが荒いわね」
煩わしそうではあるが、マーガレットはすっくと立ち上がった。
「食堂内は解呪されたんでしょう? なら患者の容態も知れて、治療を行えている筈だわ」
「それがよ、医者曰く、症状が原因不明なんだとよ。解呪師に泣きつこうにも、患者がその本人たちってのが笑えるぜ」
「それが何よ、あんたらの力には関係のないものでしょ。ちょちょいのぱっぱで健やかを取り戻せる、優秀な手並みをお持ちでなくって?」
「……内容によるんだよ」
ピックスは苦々しくも言い訳を口に出す。
「歪んだ錠前が鍵一本で素直に開くと思ってんのか? それなりに高度な技術と、負荷に耐える体力が必要だ」
マーガレットは横目で睨むように嘲笑する。
「で、それを行える人材が、今あたしの隣にいるような気がするけれど。珍しく思い違いだったかしら?」
「は? 冗談じゃねえよ。あの大人数を一気に解呪したら、俺の方がくたばっちまう」
正気を疑うようにピックスは目を剥いた。
「原型留めないぐらいに歪んでるし、優秀な鍵師もお手上げだな。……厄介な
お前の兄貴も相当に消耗してた、と付け加えられ、マーガレットの顔がたちまち青ざめた。
「兄さんも呪いの被害に遭ったの!?」
「ああ、枢機部内もやられた。恐らく食堂を呪った奴と同一人物だ。でも、あの兄貴が枢機部全体を解呪したみたいだから、あっちはしばらくほっといても問題ない。……本当に破格の能力だな、テメーの兄貴は」
珍しく皮肉もなく零れたピックスの言葉は、視線を落とすマーガレットの耳を上滑りする。
「そう……。でもそうなら、ヨーク兄さんを頼ることは出来ない……」
ひとりごちた台詞は微かに震えていたが、僅かに先を歩くピックスの耳には届かなかったようだ。この部屋だと指し示され、少女は俯きがちだった顔を上向かせた。真っ直ぐ前を見据える眼差しは、強気な琥珀色を鮮烈に輝かせていた。
大部屋の治療場では、呪いを受けた解呪師たちが押し込められるようにして収容されていた。
ぐったりしつつも意識のはっきりした軽症の者は、床やベンチに座らされている。
意識の乏しい重症患者は奥間の個室へ隔離され、ベッドに寝かされて、施術を行う解呪師たちに取り囲まれていた。特に深刻な症状の者は呼吸が困難らしく、生気の失われた青白い表情は絶命まで間もないことを物語っている。
患者の胸に手を当てて解呪を施す様を、医師が不安げに見やり声をかける。
「どうですか、何とかなりそうですか」
解呪師はうなだれ、首を力なく横に振った。
「だめだ……私の力では、これ以上の解呪を施せない。どうにも症状が複雑で重い」
「第一、患者の人数が多すぎる。七大都市に派遣した仲間を頼りに出来ないものか」
「それでは手遅れだ。……この容態では、もって一日、二日。それを過ぎれば助からない」
「局長や、他の高等解呪師の御方々は、まだお戻りにならないのか」
「枢機部へ伝令は飛ばしている。その内いらっしゃるだろう」
「――悪いが悠長に期待するだけ無駄だぜ。枢機部内も、件の真っ黒野郎の手でやられちまってる」
個室に大股で入ってきたピックスがきっぱりと告げた。解呪師たちは見る見るうちに恐怖に青ざめて、唇をわななかせる。
「枢機部が……まさか、そんな……。ピックス殿、冗談にしては
「春の魚祭りのジョークにするにゃ遅すぎだろ。俺がこの目で見てきたんだ、間違いない」
「で、では、局長や、枢機卿の御方々や、猊下は……」
「心配すんな。出席者全員、命は取り留めている。キャンベル家が助力に応じてくれたからな」
「何、そちらでもあの異端のキャンベルが? あまりにも出しゃばりな……」
顔を歪めた解呪師だったが、ピックスの背後に立つ少女に気付くと、ハッと気まずい表情を浮かべた。侮蔑の口先に乗った該当人物が、こちらを見据えていたのだ。
異端にして異彩、圧倒的な解呪の腕前を持つキャンベル家――その美しき姉妹の片割れ。燦然と輝く金の少女。
膨よかな胸回り、華奢な腰つき、長い身丈。目映い琥珀の瞳と、肩先に真っ直ぐ降りた蜂蜜色にきらめく髪。その内側で蒼空色のピアスがちらりと映える。
見目麗しい面立ちが、華やかな微笑みを浮かべた。上品な会釈を形作り、丁寧な言葉を解呪師たちへ送る。
「ごきげんよう、天空都市の誇り高き解呪師の皆々様。マーガレット・エレナ・キャンベルと申します。我がキャンベルの秘技で、微力ながら皆様を救うお手伝いをさせていただきました。名誉ある責務を賜りまして、大変嬉しく存じますわ」
「ミ、ミス・キャンベル……。そ、その……」
マーガレットは憂えるように目を伏せた。月影にも似たあえかな清廉さは、息も出来ない程の切ない思いを抱かせる。心のどよめきを隠せない解呪師たちは、マーガレットに何をか言葉をかけようとした。けれど少女は伏し目がちのまま、ちらりと大部屋の患者を見やって口開く。
「……これだけの人数を解呪するとなると、どれだけ人がいても足りませんわ。猫の手でも借りたいでしょうね。その末端でよろしいのです。我がキャンベルを、一働き手として加えていただきたいのですわ」
解呪師たちは迷うように顔を見合わせた。恐る恐ると、懸念事項を口にする。
「……で、ですが、局長の判断なしで、外部の委託許可を行う訳には……」
「ご心配には及びません。
「は?」
ピックスが思い切り不本意そうな目つきを寄越してきたが、マーガレットはにっこり笑って続ける。
「先だって、妹のプリムローズの支援も賜りましたの。お心の広い
解呪師たちの視線が一斉にピックスへと向かった。このアマ、と内心で罵る若者は渋々認める。
「……まー、そういうこった。責任は俺が背負ってやるからよ、マーガレット・キャンベル嬢に治療の場を与えてやってくれ」
「……それでしたら、どうぞこの場はお任せいたします。我々としても、手の打ちようがこれ以上あるのかどうかも疑わしく……」
憔悴の表情で俯く解呪師の手を、マーガレットはそっと握った。ハッと顔を上げたところに、優美な声音を乗せる。
「尊き命を、より多く、分け隔てなく救おうとなさる皆々様は、ご立派ですわ。そのお心に報えるよう、精一杯お務めを果たさせていただきます」
目を潤ませる解呪師は、少女の手を握り返し、切に願った。
「ミス・キャンベル……。どうか、どうか、我々天空都市を、どうかお救いください……」
*
「あいっかわらずその綺麗な外面にゃ背筋が凍るな。被りやがったその枚数すら数えたくもねえ」
「るっさいわね。使えるものは存分に使っているだけよ。腐らせるだけ損だわ」
「違いねえな。テメーの顔面詐欺は、むしろ立派な免罪符だ」
ピックスの感心しつつ小馬鹿にしたような物言いには耳慣れているマーガレットである。その眉を一つ動かしただけだった。
「口よりも手をちゃっちゃと動かしなさいよ。何のためにあんたを残したと思ってんのよ」
「俺様をパシリに使うなんざ、テメーと猊下ぐらいだよ……」
ピックスはげんなりした声を出しつつも、重いトランクをマーガレットの傍に並べていく。マーガレットが事務スタッフに言付けて滞在ホテルから持ってこさせたものだ。あくまで念のためにと支度したのだが、出来れば無用の長物になってほしかったと少女は嘆息しつつ、作業エプロンを腰に巻いた。
解呪師たちには軽症患者の相手を頼み、医師には診断書の作成を頼んでいる。被害人数の把握が必要だった。奥間を動き回るのは患者を託されたマーガレットとピックスだけだ。
マーガレットはトランクを開けた。中はベルベットの布が敷かれ、一つ一つのくぼみには、数十種類の小瓶がぎっしりと並べられいる。遮光瓶のため中身が見えにくいが、ラベルにそれぞれの材質名が記されている。
別のトランクからは両手に乗る大きさの天秤を取り出した。天秤は通常のものとは違い、三つの砂時計が棹に吊されてぶら下がっている。中身の砂は青、黄、赤――雪月花のマナを示す色味だ。
ピックスは胡散臭い表情で道具一式を見やった。
「いつ見てもみょうちきりんな小道具だな、
「ひとまず容態の検査をしてみるのよ。簡易キットだから正確な判定は難しいかもしれないけど、しないよりマシだわ」
マーガレットは、トランクの中から小瓶を慣れた手付きで取り出し始めた。
藍玉入りの水薬、真珠の粉、乾燥させた薔薇の花びら、それぞれを少しずつ小鉢に入れて混ぜ合わる。出来上がった薬品を患者の人差し指に塗りつけた。小瓶から鋭利な針を取り出し、薬品を塗布した指先に少し差し入れる。血が滲み出てきたのを確認し、天秤の台座に設置された受け皿の上に指先を乗せる。
静かな声でマーガレットは告げる。
「深雪を溶かす月の光で花芽を開く悦びを知れ、すべてはマナの導きのままに、ありのままの流れを示せ」
天秤が自然とぐらりと傾ぎ、中の砂時計がくるくると上下に回転し、やがて制止する。三種の内、赤と青色の砂時計は中心へ砂が集まり、ほぼ同等の量を示す。黄色の砂時計だけ、中身がさらさらと音を立てて下へと全て落ちた。
眉をひそめたマーガレットは、口元に手をやり呟く。
「……月のマナだけが止まっている?」
患者の瞼を開き、虹彩をじっと見やった。そして
「とりあえず月のマナを注入してみましょうかね。其は導き委ねる旅人の石――エンコード:『ムーンストーン』」
「ミス・キャンベル、頼まれていた患者の報告書を――」
部屋に入ってきた一人の解呪師が少女に告げようとして、途中で口をつぐんだ。マーガレットが処置している患者の周りに、青白い炎のような光が纏わりついている。不穏な禍々しさを感じてしまい、ピックスに思わず視線を投げかければ、彼は皮肉そうに口角を上げた。
「これで異端視するなって方が無理な話だよな」
「ですが、現状はこれにすがるしかないのも事実です。私はともかく、あなたなら何とか出来そうなものでしょうに」
「買い被りすぎだな。それに俺様は、無駄働きしない主義でね」
「――駄目ね」
マーガレットの独り言が大きく響き、二人は潜めた会話を打ち切った。
「応急処置がまるで効いていないわ。恐らく、体内の月のマナが眠らされているのよ」
「マギー、門外漢の俺らにも分かるよう説明してくれ」
「つまり、体液の循環や神経伝達が主な役割なんだけど、その司る部分が全く機能していない。体内の神経系統がやられているのよ」
「神経伝達の麻痺――ということですか?」
背後から現れた医師がマーガレットに訊ねた。その手には患者の診断書があり、内容を読み上げる。
「意識障害、呼吸困難、血圧低下、痙攣、嘔吐、瞳孔の極度の縮小――症状から察するに、確かにその可能性は高い」
「外傷は全く見当たらないのよね。なら、毒物投与による中毒症状とする――あなた方に分かりやすく言い換えるなら、そんなところかしら」
「ですが、毒物の正体が不明です。元の成分が分からなくては、解毒剤の作成は不可能かと……」
医師が弱ったような声を出すが、厳しい表情のマーガレットは、落下したままの黄色の砂を見やった。
「月のマナを目覚めさせなくては。酷く深い眠りに陥っている。……多少キツい成分を投与しないことには、起きないわね」
「おいおい、まさか殺す気じゃねえだろうな」
ピックスが顔をしかめて口を出すが、マーガレットはもう構わなかった。
トランクから新たな薬瓶を手に取り、黒い小さな木の実を取り出した。それを小鉢の中ですり潰し、とろりとした薬液と混ぜる。
続けて、作業エプロンのポケットに差し込まれたガラスペンを取り出した。出来上がった黒い液体をペン先に浸し、長方形の紙札に文字を書き連ねていく。
出来たてほやほやで悪いけれど、自信はあるからテストなしで使わせていただくわ――そう胸中で呟き、
「其は恋慕を呼び覚ます蠱惑の瞳――エンコード:『ベラドンナ』!」
ベラドンナ、毒草として名高いその植物にはピックスも聞き覚えがあった。一歩間違えれば即死も可能にする劇毒だ。マジで殺す気かよ、この女。もはや呆れ顔になりつつあった時だった。
月のマナを示す砂時計が僅かに震え、やがてくるりと反転した。上向いた砂が下へと流れ出す。
途端に、青白い容態が反応を見せた。瞼を薄っすらと開き、口元が何をか言わんと声なき声をもらす。
「意識が……!」
解呪師は思わず感嘆の声を上げた。
「月のマナを停止させている作用――つまり、毒素を食い止める。それには、毒をもって毒を制するのが手っ取り早いわ」
「成程、物騒だが道理だな」
マーガレットの解説に、ピックスは少し面白がるように同調した。医者が思い出したように顔を上げる。
「――その植物毒の作用、少し覚えがあるので調べてきます」
糸口が見つかり、表情にかすかな希望の色を浮かべた医師はマーガレットに一礼すると、駆け足でその場を後にした。
マーガレットは長い息をつくと、周りに広げた己の道具をさっさと片付け始める。その素っ気なさに解呪師がどうしたのかと声をかけた。
「ミス・キャンベル?」
「後はお医者様に任せても問題ありませんわ。この都市なら良薬の種類も豊富でしょうし」
「そのお力で、他の者も……どうかお助け下さいませんか」
マーガレットは苦い表情を浮かべて、正直に伝える。
「……申し訳ありませんが、キャンベルの中では容態の分析を主に務めておりますの。分け隔てなく使役出来る力は、微々たるものですわ」
「そうそう、こいつに出来ることなんかタカが知れてるんだよ」
ピックスの高慢な言葉にマーガレットは上っ面の微笑みを浮かべ、男の背中の肉をこっそり抓り上げた。
「いっっっ……!?」
「わたくしはこのまま経過を見ながらお医者様のお手伝いをいたします。皆様は、皆様に出来ることを第一にお考え下さいませ」
解呪師はもどかしそうではあったが、強く頷いてそのまま頭を下げる。
「……分かりました。ミス・キャンベルの誠実なお勤め、誠に感謝しております。後で必ず、必ずや、お礼をさせていただきます!」
「そのお言葉だけで、我がキャンベルの心は十二分に満たされますわ」
「テメー……覚えとけよ、いつか絶対に泣かす……」
ピックスは痛む個所を撫でながらぼやいたが、手を取り合って絆を結び合う二人の耳には届かなかった。
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