第10話 初夏 サマーベリーの呪い樹Ⅲ
台所にて、マーガレットは、ジョシュアの菓子作りをぼんやり見ながら、気だるげな昼下がりを過ごしていた。その手の中には、青年の入れてくれた温かな紅茶があった。初夏の気候において、熱いものを飲むのは、実は少し耐えがたく思っている。けれど、冷えやすい身体のマーガレットに合わせて作られたものだと知っているので、苦言を漏らしたことは一度もなかった。ゆっくり口に付けていると、お茶請け替わりに焼き菓子が目の前に置かれた。リーンたちに持たせたものの余りだった。作業台に置かれた皿には、まだまだ大きなケーキやパイが存在している。
「それにしても沢山作ったのね。テーブルから溢れんばかりじゃないの」
「快気祝いとあればね。レディたちのためなら、いくらでも張り切ってしまうものさ。それに、今日はウチに特別なお客人が来るしね」
「あら、誰だったかしら?」
「言ってなかったっけ? ホーソンさんだよ」
「ホーソンさん? ……ホーソン・カムデン?」
「そうだよ、メグ。フルネームまで確認して、どうかしたのかい?」
しまったと、マーガレットは右手で額を抑えてうなだれた。
「ああ~今日だったのね……。リーンが会いたいって言ってたから、会わせたかったんだけど、よりにもよって出かけちゃった時に……。タイミング悪すぎるわよ~」
「へえ、リーン嬢は、ホーソンさんに関心があるのかい? えらく年上が好みなんだね」
「面白い話が聞けるって言うのに、単純に食いついていたのよ」
「面白いかなあ。僕は眠いと思ってしまうけどなあ」
苦笑しながらのんびり言うジョシュアに、マーガレットも苦笑で返す。
「ま、私が面白いと思うだけかもね。ヨーク兄さんには、くだらないと一蹴されるものだし」
自分でそう言ってから、マーガレットは首を傾げて疑問を零した。
「その割には、何度も兄さんと面会しているわよね。無駄話が嫌いな兄さんと、いつも何時間も、何を話しているのかしら?」
「勿論、商談だろう? キャンベル家は、これでも上得意の相手だよ。ヨークに合わせた儲け話をしに来ているに決まっているじゃないか」
「そ。それなら納得ね。ジョシュ、お茶菓子を持っていく時に、カムデンさんに伝えてくれるかしら。今回の仕入れも楽しみにしてるって」
眠そうに目を瞬かせるマーガレットは、ひとつ大きなあくびをする。ジョシュアは頷きながら、少女の手を取り、台所の入口へと促した。
「伝えておくよ。じゃあ、メグ、後で呼んであげるから、自分の部屋で昼寝していなよ。昨日の夜も寝るの遅かったんだろう?」
「うう……ありがと、悪いわね……。最終調整してたから、ちょっとばかり、無理したかも……」
「最終調整?」
「プリムに前々からお願いされてた新しい
ジョシュアは薄く微笑むが、マーガレットを静かに咎めた。
「いけないんだ。ヨークには、反対されていたよね? 後でみっちり叱られるよ?」
「承知の上よ、私も、プリムも。それだけ腹に据えかねているって、ヨーク兄さんに伝わるといいんだけれど」
「ヨークも分かっているよ。ただ、酷く危険だってことを、君たちにしっかり伝えているだけさ。土地の解呪は、人の身のそれより、ずっと力を要する」
「技量もマナも、共にね。だから賭けているの。プリムの力と、あの子の可能性に――」
淡々と述べるマーガレットは、またひとつあくびをして、ゆっくりした足取りで自室へと戻っていった。
*
リコリスが新しく入れてくれた温かな紅茶を飲み干し、少し落ち着きを取り戻したプリムローズだったが、その表情は未だしかめられたままだ。そわそわと身体を揺らしながら、詳しく話し出す。
「数ヶ月前から、呪われた人を見ることが多くなっててね、それぐらいから、この村の周囲もおかしくなり始めたの」
初めて聞くフラウベリーの事情に、リーンは不安を抱きつつも、真摯に問う。
「おかしくって……どんな風に?」
「土地の力が弱まっているって言えば、分かりやすいかもしれない。この村一帯を構成するマナのバランスが、崩れやすくなっててね、その度にあたしは村のあちこちを巡って、バランスを戻していたの。ねえちゃまの作ってくれた、これを使って」
プリムが自分の巾着袋から取り出したのは、数枚の札だった。
「これが何なのか、嬢ちゃま、覚えてる?」
「ええと、解呪の時に使った……、
「ぴんぽん正解。足りないマナを補充させたり、滞ったマナの流れを直したりするのにも使うの。巡りが悪いと、土地の隅々までマナが行き渡らないし、バランスを崩す原因にもなっちゃう。でも、ほんとはあんまり気にしなくても大丈夫なの。フラウベリーはマナを多く含む恵まれた土地だし、自浄作用だってちゃんと働いているの。あたしが手を加えなくても、ほんとなら大丈夫な筈なの。……大丈夫じゃなくなったのは、こいつが原因」
小ぶりの手が、かごに収まる木の実を指差した。
「祝福の果実、サマーベリーがどうしたというのですか、プリムローズお嬢様」
リコリスが、神妙な声音で口を挟んだ。木の実を厳しい目で見つけ続けたままで、幼い少女は答える。
「ここから北の外れの森にある、サマーベリーの大樹。幸福を手繰り、永遠の花盛りを約束するフラウベリーの一番大事なところ。あたしたちの身体でたとえるなら、言わば急所。そこが呪われてしまえば、祝福は忌まわしい力へと成り替わる」
「サマーベリーの大樹が、呪われてしまったと言うのですか……。どうして……。北の外れなんか、村の私たちでもあまり立ち寄らないのに」
「リコリスしゃんは、このサマーベリーを何処で見つけたの?」
「この家の近くに空き地がありまして、そこでなっていたのを偶然見かけたのですわ」
「そだよね。北の外れなんか行かないもんね。サマーベリーは、一つの根っこで繋がっているの。人々のこの上ない幸せな気持ちに導かれて、その傍らにそっと芽吹いて花実をつけるの。大きなお祝いごとに使われるのは、そういう特性もあるからなの。だから、ほんとなら滅多に見られるものじゃないし、リコリスしゃんがそこらへん歩いてて、ほいほい見つけてくるのはおかしな話なの」
「私は、これを食べてしまったから呪われてしまったのですか? ……でも、私はてっきり――」
「てっきり?」
「――いいえ、何でもないわ、勘違いかも。気にしないで」
リーンが首を傾げて続きを訊ねるが、リコリスは苦笑して首を緩慢に横に振るだけだった。
「……マナをめっちゃくちゃにするという意味では、そうなの」
プリムローズは冷静な態度でリコリスの問いに答えるが、その声音はこの上なく忌々しげだ。
「毒素が取り込まれちゃって、体内のマナのバランスが崩れてしまったのね。沢山食べちゃえば、呪いの因子である悪種にもなっちゃう。ほんと許しがたいの。祝福の樹が、そんなものになっちゃったの。人をかどわかすように魅惑の果実をぶら下げて、いけないものを行き渡らせようとする」
「呪われてしまった木の実なのね……。こんなに綺麗なのに……こんなに……」
リーンが思わず口にしようとして、けれど黙り込んだのを、プリムローズは見逃さなかった。目を瞬かせた後に、じっとりと睨む。
「嬢ちゃま、今、すっごく美味しそうって思ったでしょ」
「えっ!? そ、そんなことないわよ!?」
「そんなことだと顔に書いてあるの。んもう、あたしの神経がとげとげしてるって時に、嬢ちゃまってば能天気すぎるの!」
「ご、ごめんなさい……」
「そしてそうやって素直に謝るんだから。意地張る根性もなさすぎるの」
「あの、お嬢様……。私も美味しそうって思って食べてしまったし、村の者なら皆、虜になってしまう木の実なのですわ。だから、リーンちゃんをあまり責めないであげてくださいませ」
リコリスが控えめながらも主張して、リーンを庇う。しかめ面をしてむくれるプリムローズだったが、二人の申し訳なさそうな視線を受け止めると、ため息と共に肩をすくめる素振りをして、するりと身体の力を抜いた。
「正直な嬢ちゃまとリコリスしゃんのおかげで、のぼせ上った血の気はちょっと治まっちゃった。それはありがとうね」
椅子の上に乗り上がった幼い少女は、拳を握り、高らかに言う。
「今日こそ絶対絶対に、樹の呪いをぶっ飛ばしてやるんだから! そのために、嬢ちゃまの力を借りたいの」
「わ、私の?」
「解けるかもしれない、嬢ちゃまが一緒なら」
先ほどと同じようなことを言われ、リーンはますます困ってしまう。
「あの、私がどうして」
「あたしと一緒に来てくれる?」
プリムローズがリーンに手を差し伸べてきた。その小さな手の平に、おずおずと右手を重ねる。きゅっと強く握られて、誘われるように視線を動かせば、明々とした大きな眼差しとぶつかった。まるで宝石と同等に硬質な、決して色褪せない紅。その色に染められるように、リーンの心が少しずつ熱を帯び始める。こんな自分を必要としてくれる。それだけのことで、不思議と温かさに包まれて強くなれそうな気がする。
「私に出来ることがあるなら、プリムのために頑張るわ」
「ありがと、嬢ちゃま。リコリスしゃん、そういう訳なので、もう行くね。今日はお招きありがとう」
「あ、あの、すみませんリコリスさん。また今度、ゆっくりお茶してください」
リコリスは不安げな表情で二人を気にかけるが、引き止める言葉は口にしなかった。
「ええ、勿論よ。リーンちゃん、お嬢様、どうか気を付けて」
少女たちがジャム屋を去り、店内にはリコリスだけがぽつんと一人残された。両手を組み合わせ、小さな声で祈りの言葉を乗せる。
「本当に本当に気を付けて……。二人が私のように怖い思いを――悪い魔法使いの餌食にならないよう……」
リコリスは意を決したように腰を上げると、電話をかけ始めた。
「リコリス・カムデンと申します。先日は大変お世話になりました。領主様――ヨークライン様に、お取次ぎ願えませんでしょうか?」
「村の北西の外れにはね、大きな森があるの。その入口には水場があって、底なし沼って噂されるぐらい、見た目もちょっとおっかないの。子供は入っちゃだめって言われて、柵もしてある。沼の向こうには、村人もあまり知らない秘密の樹があるの」
「それが、サマーベリーの……?」
プリムローズが小走りの形でその小さな足を動かし、ずんずんと進んでいく。リーンは、その一歩後ろから大人しくついていった。
「でも、どうして、呪われてしまったのかしら……」
「誰かが呪ったからよ」
「そ、そうだけど、どうしてサマーベリーを? ……何のために?」
「にいちゃまが調べてくれてるから、その内分かると思う。でも、呪われた村人が最近多く出てたのは、サマーベリーを通じてだってことは、これではっきりした。とりあえず、あたしたちがやれることは、あの樹をひとまずどうにか解呪することなの」
「解呪するのって、人の身体だけじゃないのね……」
「人間より大きいから、その分大変なんだけどね。サマーベリーが呪われていたのは、前々から気付いてたの。でも、樹の中の何処に悪種が潜んでいるのか、上手く見つけられなくてね、だいぶ困ってたの。にいちゃまは、悪種の場所が確定するまで無闇に動くなって、慎重派でよろしくどうぞな態度だし、ねえちゃまとあたしは歯がゆい思いをしてたのよ。だから嬢ちゃまの力を当てにしてるってこと。急所を見抜くの、得意でしょ?」
リーンは少し困ったように顔をしかめた。
「得意と言うべきものじゃないと思うけれど……」
「『ここだ』って、ちゃんと分かってるでしょ? きちんと自信持っていいのよ」
「自信を……持っていいものなのかしら……」
まだ覚束ないように呟くリーンだったが、それでも覚悟を決めたように口元を引き締め、頷いてみせた。
北西の森へ向けて道なりにしばらく歩いていると、陽光の強さが徐々に気になり始めた。まとわりつくような熱のせいで、身体にうっすらと汗の帯びていく感覚が、リーンには不快だった。
「今日はずっと蒸し暑いわね」
「風が吹いてないでしょ。これも、フラウベリー周囲のマナの巡りが段々悪くなってる証拠」
確かに今日はちっとも涼やかな風の音を聞いていないと、リーンは気付いて納得した。
「村には、プリム以外でマナの不調に気付く人はいないの?」
「そう簡単に気付ける人は、普通いないものなの。だから嬢ちゃまが分かってるのは、やっぱりそういう見極めの素質があるってこと。まあ、何となく気付いてるって子も、いると言えばいる……」
難しそうに首をひねったプリムローズが、いきなり立ち止まった。後方へくるりと向き直り、少し離れた草陰に目を向けた。
「そこで何してるの? コソコソと隠れて、すっごくみっともないの」
呆れた口調でプリムローズが呼びかければ、茂みの中から一人の幼い少年が、むっとした表情で姿を表した。分厚く丸いメガネをかけていて利発そうな見た目だが、プリムローズと同じぐらいの背格好で、まだまだいとけない年齢だ。
「みっともないとは何だ。うさんくさくて妖しいお前に言われる筋合いはない」
「本当のことでしょ。いつもいつもあたしの周りをそうやって嗅ぎ回って、うっとうしいったらないの」
「ふん、
「……この子が、村長さん?」
リーンが目を何回か瞬きして呟けば、プリムローズが睨みながらきつくリーンに言う。
「んなわけないの。こいつのお父しゃんがフラウベリーの村長。こいつは、ただのはなったれ小僧のウィル坊や」
「誰がはなったれだ! ウィリアム・バーフォードという素晴らしき名前を、お前は無下にしすぎだ!」
指を突き付けて少年は高らかに叫ぶが、その対象であるプリムローズは鼻にもかけず、あくまでも面倒そうに言い返す。
「ウィル坊や、今日はあんたの相手してるヒマなんてないの。とっととお家に帰ってママの作ったプディングに、はしゃいで踊ってりゃいいのよ」
「誰が踊るか! ……この、この、お前ぐらいだぞ、この僕をコケにしてへなちょこ扱いするのは!」
地団駄を踏みながら悔しそうに言い返すが、その目がぎろりと向き変り、リーンへも噛み付いてくる。
「おい。プリムの隣にいる、そこのお前! フラウベリーの新参者だな。名前を、この村長たる僕に名乗れよ!」
「あ、あの……私は、」
「……嬢ちゃま、レディに対して礼儀知らずのはなったれは、相手にしちゃだめなのよ」
答えようとする前に、横から冷淡な声がぴしゃりと飛んできて、リーンは口を噤んだ。そして、ぐいぐい背を押されて前進を促される。無視を決め込み、一回り以上大きいリーンを誘導するプリムローズだったが、少年が懲りずに後ろからついてくるのをやめないと分かると、とうとう甲高く叫んだ。
「あっち行ってて! ここからはあんたには危ないの!」
「ふん、その危ないところに行って何をしようと言うのだ。
「ああもう、あんたって本当にしょうのない子なの」
我慢ならないと、プリムローズが巾着袋から取り出したのは、一枚の
「其は路傍に風化せし名もなき小石――エンコード:『ストーン・クラウド』!」
カードが小粒の光に姿を変え、弾き出されたきらめきが少女二人の周りを包んだ。途端に、少年ウィリアムは二人から視線を外し、信じられないように辺りをきょろきょろ見廻した。
「くそ、この、見えない! 一体何処にいる!?」
「ど、どうしたの? 私たち、ここにいるわよ?」
リーンが背を屈めて声をかけようとしたが、プリムローズが耳元でひっそり囁いてくる。
「少しの間だけ、姿を見えにくくさせてるの。長居は無用だから、とっとと行くの」
手を引っ張られ、半ば強引に前へ進まさせられながらも、リーンはウィリアムに向かって呼びかけた。
「あ、あの、ウィル君。私は、リーン=リリー・ガーランド。ごめんね、急いでいるから、また今度ゆっくり話しましょう?」
「そこにいるのか! 待て! 逃げるな!」
きょろきょろしながら二人を探す少年と、それから一度も視線が噛み合うことはないままで、少女たちは走って北への道を進んでいった。
顔を真っ赤にして打ち震える少年は、再び地団駄して悔しげに叫ぶ。
「この、この、いつもそうやって逃げ隠れる不届き者め! まったく、妖しい奴は揃いも揃って、どうして僕を無下にするのだ?」
そして、気に食わなさそうな目つきで、凪いだ草原を見回した。
「今日なんか、ひとっこひとりいやしない。いつもそこかしこで遊んでいるというのに。……やはり、何処かで
己の確信を深めるウィリアムは、得意気に呟いてみせた。
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