リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-

冬原千瑞

第1話 春 常花の村I


 大好きよ、ヨッカ。


 あなたにかけられたおまじないは、いつだってほんの少しの勇気をくれるの。

 ひたすらに、咲き誇るように、あたたかく。











「こっこんにちはっ、ミスター・キャンベル! わ、私の名前は、リーン=リリー・ガーランド。本日より、ミスターの下でお世話になります。この度は身寄りのない私を引き取ってくださり、まことにありがとうございました! 至らぬところはなるべく努力して、そうならないよう頑張ります! なので、これからよろしくどうぞ、お願いいたします!!」


 この孤児院からキャンベル家に引き取られる。

 リーンがその知らせを受けたのが一ヶ月前。あれから毎日練習していた挨拶は、思った通り上手くいったと思いつつ、少女はきっちり下げていた頭を勢い良くもたげた。

 背の真ん中まで伸びる長い黒髪、アイスブルーの大きな瞳。雪のように白い肌は滑らかで、その頬はほのかな紅色に染まっている。今日という日を指折り数えて待ってきたのだ。緊張で強ばる口元は、それでも喜びを隠しきれずにわずかな笑みを形作る。幼い頃に一切の身寄りをなくしたリーンにとって、キャンベル家への招致は極めて僥倖なのだ。

 リーンの前に佇むのは、ミスター・キャンベルと呼ばれた背の高い青年だった。黒い髪と黒い瞳。上品に仕立てた黒い背広が細身の身体に纏っている、混ざり気のない黒曜石のような出で立ち。硬質な雰囲気は何処か厳めしく、はつらつとした振る舞いの少女に微笑みのひとつも零さない。

 青年は、切れ長の黒い眼をうっすら細めた。まるで、少女を値踏みするように。

「なっていないな、ミス・ガーランド」

「へ?」

「名を略するのはよろしくないと言っている。君の名前はリーン=リリー・ステファニー・エマ・ガーランド。事前に手渡された資料にはそう書いてあったのだが。……それとも俺の思い違いだろうか?」

「い、いいえ! 合っています、大丈夫です。けど、私の名前、ちょっと長ったらしいし、名乗るのにはちょっとめんどくさいっていうか…」

 苦笑しながらはにかんだリーンの表情が、ひとまず硬直した。目の前の切れ長の黒い眼が、更に細くなって鋭利にリーンを睨みつけたからだ。

「そんなくだらん理由を言い訳にするのは大変いただけない。ミス・ガーランド、簡単な自己紹介ならともかく、初対面の相手には略さず名乗りたまえ。それが目上の者に対する基本的な礼儀だ」

「す、すみません……」

 早速怒られてしまったと、リーンは肩をしょげさせた。先ほどまでの高揚する心は、男の硬い声を聞いた途端にみるみる失われてしまう。

 礼儀知らずの娘だと思われただろう。やっぱり引き取るのは無理だとつっぱねられてしまうのだろうか。じわりと目から熱いものが溢れそうになってしまう。だめ、いつまでもこんなことで泣いては。泣き虫リリと、からかわれてばかりの弱虫いくじなしな自分は、もう卒業するんじゃなかったの。

 いきなり勢い良く頭を掴まれ、リーンは無理矢理に青年と目を合わせるはめになった。びっくりしたせいで涙は思わず引っ込んだ。

「顔を上げたまえ、ここは俯くところではない」

 むっつりと睨む視線には変わりなかったが、それとは裏腹に優しい声だった。のびやかで心地良く、まるで低い音色を奏でる弦楽器のよう。リーンは少しだけうっとりした。

 青年は、我に返ったようにリーンから手を離した。

「名乗りが遅くなったが……、俺の名前はヨークライン・ヴァン・キャンベル。君を我がキャンベルの保護下に置く者。今日こんにちより、俺が君の後見人ガーディアンだ。よろしく、ミス・ガーランド」

「は、はい! ミスター!」

 とりあえずは引き取ってくれるつもりのようだ。リーンはほっとして再び口元を綻ばせた。

 ヨークラインは、リーンに合わせてかがめていた背を起こした。きょろりと辺りを見回して、訊ねてくる。

「……ところで、君は院長先生との最後の挨拶は済ませているのか?」

「あ、はい、少し前に」

「そうか。では、ミス・ガーランド。先に外に出て、門の所で待っていなさい。俺は院長先生にいくつか話があるのでな」

「分かりました、ミスター!」

 リーンは明るい声で返事をして、小さなトランクひとつを両手で握り締めると、小走りで颯爽と部屋から駆け出していく。

 その後ろ姿を見送るヨークラインは、気難しそうに眉を寄せると静かに呟いた。

「……生き残っていたのか。まさか本当に会えるとはな」



 リーン=リリー・ガーランド。少女はガーランド家のたった一人の生き残り。

 幼いままの無邪気さを未だ抱え持つ少女は、己に受け継がれたものを何も知らないままで、もうすぐ十五の齢を重ねようとしていた。







 都から郊外に向かう馬車の中で、孤児院で持たされたクルミ入りのパンを食べながら、リーンははつらつとヨークラインに話しかけ続けた。

「ミスター、キャンベル家は何処にあるんですか?」

「この古き都、トリスタンメーラより少し離れた、フラウベリーという名の小さな田舎町だ」

「フラウベリー。あまり聞いたことがない気がします。ミスターはそこをお治めになっているんですか?」

「そうだ。フラウベリーはキャンベル伯領。この土地を管理するのが俺の仕事の一つだ」

「他の仕事についても色々聞きたいです」

「それは追々話していくことにする。君の住むところが、キャンベルの管轄下だということが、とりあえず分かっていてくれればそれで良い」

「キャンベル家はミスターの他に、どんな人が住んでいるんですか?」

「それは家に着いてから紹介しよう」

「今、聞いてしまったらだめなんですか?」

「俺から伝え聞くより、当人たちと直接引き合わせた方が良いと思ってな」

「キャンベル家では、私を何をしていれば良いですか? 学校は行ってないけど、一応読み書きそろばん出来ますし、簡単なお仕事だったらお手伝い出来ると思います!」

「君の処遇についてはまだ考え中だ。だが、女中のような扱いはさせないつもりだから安心したまえ」

 リーンはとうとう拗ねた表情で問いかける。

「……ミスター、それでは何を聞いたらすぐに答えてくれますか?」

「……では、ミス・ガーランド。君は、何を聞くまでその小さな口のおしゃべりを止めるのだろうな」 

 言外にうるさいと言われて、リーンは再び肩を小さくしょげさせてしまったのだった。



 パンを食べ終えてしまってからは長かった。馬車の中、退屈に揺られてばかりのリーンは暇を持て余していた。話し相手になってくれないヨークラインは、目を閉じて昼寝をしている。編み物でも習っておけば良かったかしらと、リーンは変わり映えのしない窓の向こうの風景を見やった。岩や乾いた大地が冷たい風に晒される、目ぼしいものは何一つない荒野が広がっている。土気色が大方を占める味気ない景色は、リーンを寂しい心地にさせるだけだった。

 リーンは再びヨークラインを見やった。眠る青年は反対側の座席に腰を落ち着け、胴体の前で腕を組み、頭は少し前に傾いている。

(……この人が、今日から私の後見人ガーディアン

 キャンベル家へ引き取られると知った時、家長はもっと年上の男性だと勝手に考えていたから、少しだけ戸惑う気持ちもある。彼の養女と言うには、年齢が幾分近すぎる。だからヨークラインも後見人だと言ったのだろう。引き取るに値する理由が自分にあるのか、リーンはちっとも分からなかったし、自信もなかった。伯領を持つ家柄となれば、慈善事業に取り組んでいるのだろうし、引き取る理由など高貴な身分の使命だと言われればそれまでなのかもしれない。けれど、孤児院にはリーン以外にも大勢の子供がいた。その中で選んでくれた理由を、リーンは探さずにはいられなかった。

(ミスターは、どうして私に決めたのかしら……)

 土気色ばかりの景色だったところに緑や赤、黄色といった別の色彩がリーンの目の端を横切り、思わず首を伸ばして外の眺めをよくよく見やる。少女は曇りのない笑顔でわぁと歓声を上げた。

 常花とこばなの村と謳われるフラウベリーの姿だった。

 春の瑞々しい空気に包まれる村のあちこちには、色とりどりの花が愛らしく咲き零れている。石造りの家々には薔薇の蔓が張り巡らされ、季節の到来を喜ぶように花開く。

 村を囲むのは、なだらかな牧草地帯で、若草色の景色が辺り一面に広がる。古くは羊毛産業で栄え、良質な羊毛の為に多くの羊が飼われていた。衰退した今では、数十頭ばかりの羊だけが広々した牧草地でのんびり草を食んでいる。リーンは馬車の中から、村に並び建つ家々を好奇心強く見つめている。

「素敵なところ。鼠色の屋根に蜂蜜色の石壁。何処もかしこも花と葉っぱでいっぱい。素敵、綺麗、ほんとに綺麗」

 実は起きていたヨークラインは少女のはしゃぎ声を気にせず、目を閉じて居眠りを決め込んでいた。相づちを必要としないなら、好きなだけしゃべらせておこうと判断したのだ。

「こんな美しい村で、私、今日から暮らすのね。見慣れない石造りの建物も、そのうちきっと見慣れるんだろうけど、きっと見飽きない」

 寝たふりをしていたヨークラインが、瞼をぱっちり開けた。

「その言い分だと、君はこの国の生まれではないように聞こえるのだが?」

 訊ねられたリーンは、少し困ったように笑う。

「良く覚えてないんですけど、私、とても小さい頃は木で出来た家で暮らしていたんです。とても暑いところで、ずっと家の涼しい場所にいて、ぐったりしてました。亡くなった母も熱さに弱くて、二人で仲良く床に寝転がって過ごしていた気がします」

「南方の生まれにしては、君の風貌はそうに見えない」

 リーンの持つ肌は雪のように白くて柔く、灼熱の日光を容赦なく浴びれば、たちまち赤く爛れてしまいそうだった。

「母は元々、ここよりももっと北の生まれだったようです。でも、とても酷い目に遭って、逃げるように南の方へ下ったと聞きました。『とても酷い目』というのがどんなものなのかは、全く教えてくれなかったけれど……」

「ガーランド家は、お家取り潰しに見舞われた最たる家の一つだからな」

 ヨークラインから思いも寄らない話を聞かされて、リーンは目を大きく瞬きさせた。

「え? それは、どういう」

「また後で話そう。間もなくキャンベル家に着くから、降りる準備をしなさい」

「もう、そればっかりですね、ミスターは」

 つれなく話を切られて、リーンはまた拗るように頬を小さく膨らませた。


 夕暮れ時に近い時間、強い陽で照らされる石造りの家は、素朴な蜂蜜色に変化をもたらす。花と樹木で彩られる家も、この時間ばかりは全てに真っ赤に染められるのだ。

 馬車を降りたリーンは、まず吹き荒ぶ風に少し驚いた。昼間の穏やかな陽気とは打って変わって、寂しげな冷たさを纏っている。

「風が出てきたか。少々冷えるな」

 ヨークラインはこともなげに呟いて、馬車の中からリーンの荷物である小さなトランクを引っ張り出す。

「あ、私が持ちます」

「そうしたまえ。では、身体が冷えないうちに家に入ろう」

「……ここが、キャンベル家ですか?」

 トランクを受け取ったリーンは、恐々と目の前にそびえる石造りの館を見上げた。村に並び立つ民家より少し大きいだけで、その同じ佇まいは村に溶け込んでいる。けれど、とリーンは思った。

「そうだ。今日から君はここで暮らす」

「なんか、……なんて言うか、……すっごく怖くないですか?」

 御車にチップを渡しているヨークラインは眉をひそめた。

「失礼な奴だな。夕暮れ時だからそう思うだけだ」

「あっ、ごめんなさい! 失礼しました!」

 それでもやっぱり何処か怖いと、リーンはキャンベル家をそっと窺いながら思った。何やら寒々しい嫌な予感がしていたからだった。


 玄関の扉を開けても、リーンの嫌な予感は払拭されなかった。

 夕暮れは段々と夕闇へと向かい、辺りは薄暗くなっていく。明かりの一切点けられていない館の中は、真っ暗闇に近い。

 生唾を飲んだリーンは、玄関の境目で立ち止まって、内部をよくよく目を凝らして見つめた。薄暗さに目が慣れれば少しずつ室内の様子が見て取れた。

 思ったよりも手狭な玄関ホールだった。入って左側にあるチェストの上には、装飾の施された電話機が置かれている。

 ホールの奥に飾られた絵画は、一人の初老の男が描かれていて、暗がりの中ではこちらをじっと睨みつけてくるように見えてしまう。

 ヨークラインが不思議そうにぼやいた。

「誰の気配もないな。外出しているのか? 今日は日の落ちるまでには必ず戻って来いと言い渡していた筈なのだが」

「あ、あの、本当にミスター以外にも誰か住んでいるんですよね?」

「そうだが、それがどうした?」

「その人たちって、……幽霊とかじゃないですよね?」

 ヨークラインは、少し沈黙してからぽつりと答えた。

「馬鹿なことを言うな。アレは……そんなかわいいものじゃない」

(アレって何!? 幽霊の方がかわいいって何!?)

 震え上がるリーンに気付かないまま、首を傾げるヨークラインは一旦玄関の外に出た。

「庭の方にいるかもしれないな。確認してくるから、君は家の中にいたまえ」

「ええっ! でも、あの、ミスターについていっちゃあだめですか」

「慣れない馬車に揺られて疲れているだろう。リビングには暖炉がある。そこなら暖かくくつろげるだろうから、君は先に入っていたまえ」

「そんな、ミスター! 待って!」

 引き留めるリーンを置いて、ヨークラインはきびきびとした動きで屋敷の裏庭へ向かってしまった。一人取り残されたリーンは、くるりと振り返って再び館内を見つめた。暁の空はとうとう紅色の光を館の外側のみに降り注ぐ。暗闇で何も見えない室内とのコントラストがおぞましい。

「どうしよう……」

 風で冷えてきた身体を抱え込むようにして、リーンはとうとう屋敷へ足を踏み入れる。

 扉がギィと物々しい音を立てて締まった。



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