第13話:黒い男の腹の中

 記者会見から帰った後は、最上はいつも通りの常人離れした仕事をこなすことになった。

(これは……今日も帰れそうにないね)

 労働基準監督署もびっくりのブラック企業だ。基礎体力だけは衰えたとはいえ人の何倍も残っているのが幸いだった。

 日が変わる頃、一時間の休憩が取れる。

 大半の人間が帰宅し、誰もいない休憩所で最上は秋月と休憩をとる。

 ジュース用の自動販売機が二台、カップ麺の販売機が一台、それとスナック菓子の販売機一台が横並びになっている。最上はカップ麺の販売機に新鮮さを覚えて、カップ麺を一つ買ってみた。

 秋月は相変わらずエナジードリンクだ。彼女が着るよれよれのワイシャツと目の下のクマを合わせてみると、この仕事の過酷さが浮き彫りになる。

「ふっ、何日も私の仕事についてこられるやつははじめてだぜ」

「逆ですよ。僕が少し疲れるくらいまで働ける秋月さんが異常なんです」

「はっはっは、活きの良い坊やだ」

 エナジードリンクの栄養が全部まわっているのではないかと思える胸を揺らしながら、秋月が笑う。

 実際のところ、秋月の人間性には難があったけど、最上は嫌いではなかった。短期バイトの時に、陰湿な嫌がらせをしてきた輩に比べれば、秋月の豪快な性格は、ずいぶんやりやすい。人の嫌がることを平気でやるけれど、不思議と後腐れがない。

「そうだ、今日は秋月さんに色々と用事があるんです」

「ん? なんだい?」

「まず一つ。サインください」

 来る途中に雑貨店で買ってきた色紙とペンをカバンから持ち出して、秋月に渡す。

「お? なんだ、ついに坊やも私のファンになっちゃったか? 惚れちゃったか?」

「違いますよ。ソフィアが秋月さんのサインが欲しいって言ってきたんです。一応、あなたのファンですから」

「そうかそうか。かわいい子だぜ。ぜひ会ってみたいものだ。あれだろ? 坊やと同じ、Dマンがまだ存在しないはずの年齢の子なんだろ?」

「そうですけど……」

 日常を荒立てないために、あまり大っぴらに話して欲しくない話ではある。秋月は口が軽そうに見えるので、最上は常にひやひやしている。もちろん、今は会社にほとんど人がいないから口にしているのだろうが。

「んふふ、良いネタになるねぇ。坊やも自分の立場を大っぴらに世間に明かしたくなったら私に言うんだぞ。間違いなく大スクープになるから、すぐに特番組むぜ」

「そんな日は永久にやってこないと思います」

「ツレないねぇ」

 とは言うものの、秋月はそれ以上踏み込んでこなかった。朧火の言う通り、強要はしてこない。

「で、もう一つのお願い、というか聞きたいことなんですけど、秋月さんは新神に勝てますか?」

「なに言ってるんだい坊や」

 最上の問いがあまりにもとっぴだったせいで、秋月は一瞬問いを理解できなかったようだ。

「新神って、あの人類最強か? 勝つって、私が殴り合いでか?」

「はい、そうです。朧火が言ってました。秋月さんから強さを学べって」

「……あー、なんか朧火が言ってた気がするな。英才教育してくれとか。英才じゃなくて愚才教育になるのは間違いないってのに。ちなみに、私が新神と殴り合うって想定だと一秒で肉塊になってる自信がある」

 エナジードリンクを飲み干して、秋月はその空き缶をゴミ箱に放った。

「ちなみに、私が教えられることなんて、ほとんどないぜ」

「いいですよ」

「なんというか……私としては坊やの純粋さ単純さバカさを奪うのは心苦しいな」

 馬鹿にされているのがまるわかりだけど、最上はあえて何も言わなかった。

「けど、坊やがこのまま社会に出たらカモにされるだけか」

 諦めたように秋月はため息をつく。

「坊や、まず私が思う力ってのは、つまるとこ権力だ。政治家がよく振りかざすあれだよ」

「……」

「汚物を見るような目で見るなよ坊や。これでも私も昔は正義を信じていた人間なんだぜ」

 秋月は苦笑いを浮かべる。

「信じられませんね」

「だろうねぇ。私がこの業界に入ったのは、マスメディアなら日本に渦巻く汚れた不正を暴いて正せるっていうありふれた志望動機なんだが、不思議と誰も信じてくれないんだぜ。まったく不思議だ」

「秋月さんは正義とは無縁の存在ですからね」

「ま、そうだな。そんな正義は半年で見切ったぜ」

 一瞬だが、秋月が過去の自分を見つめるように遠くを見た。彼女の話が本当なら、見切ったのではなく、諦めたのかもしれない。

「話が逸れたな。で、私が力と考えている権力だが――一般人は、世の中に影響を与えられるほどの権力なんて持ち合わせてない。私もせいぜいテレビ局内で通用する物しか持ち合わせてないわけだ。そこで、他人の力を借りることになる。より偉い人間から、より大きな権力を持つ人間から」

「虎の威を借りる狐ってわけですね。けど、実際に役に立つんですか?」

「坊やのいた世界は、人間関係が坊やとソフィアちゃんで完結してたから、わからないんだろうね。実際のところかなり役に立つぜ」

 たとえば、と秋月はワイシャツの胸ポケットからタブレット端末を取り出す。

「今日の夕方に私のところに来た、腹が出た中年のおっさんを覚えてるか?」

「ああ、いましたね」

 似合いもしない白いスーツに身を包んだ男だ。秋月によれば、大手化粧品メーカーの社長らしい。

「確か、スポンサーになるからオリンピックの特集の間に、十五分宣伝番組を入れろってごねてましたっけ」

「そうだな。あれを受けなかった理由は簡単。まずオリンピックとあまりにも関係ない商品の宣伝だ。もっといい条件のスポンサーも十分すぎるほどいる」

「でも、秋月さん、断り切れなかったみたいですけど」

 その社長は押しが強く、秋月がいくら首を振っても粘り続けた。最終的には秋月が『考えておきます』と言って終わった。

「秋月さんならすっぱり断ると思ってたんですけど」

 ぺこぺこしている秋月を見るのも、最上にとっては新鮮だったが違和感もあった。

「私にも事情があるんだ。あいつの場合、別の番組でスポンサーなら、宣伝と言う条件を加味しても合う物が多い。強く断って仲が悪くなるのは不利益ってわけだ。立場的には、相手が上なんだよ」

 局内は禁煙のはずなのだけど、秋月は片手でたばこを取り出して、くわえてから火をつける。タブレット端末を持っているのに器用なものだ。この休憩所の壁が心なしか黄ばんでいるのは彼女のせいではなかろうか。

「さて、相手は是が非でも宣伝してほしいらしい。私は断りたい。けど、相手の方が立場が上だ。さぁどうする?」

「僕なら……きっと直接断るでしょうね」

「そこが坊やの可愛いとこでもあるんだが、単純すぎる」

 秋月はタブレット端末に手慣れた様子で指を滑らせて、耳にそえる。

『おい秋月。今何時だと思ってるんだ』

 端末から洩れてきた声は、朧火のものだった。

「私と朧火の仲だろう? 時間も関係ないし、呼ぶときは綾乃でいいと言っただろ?」

 たばこを口にしたまま彼女は器用に話す。

『おい、やめろ。俺に熟女趣味はないし、勘違いする人が出てくるだろうが。心だからこれ違うって! 秋月の嫌がらせ! おい秋月、用件を手短に言え! 俺が心に殺される前に言え!』

「引退した化粧品メーカーのじじいに話を付けてくれ。そいつの後釜がうちのテレビ局でいろいろごねてな、めんどくさいから上の方から止めて欲しい」

『オーケー、で、対価はなんだ?』

「お前のとこの坊やの情報を、無理やり吐かせないでいてやる。その口止め料ってことで」

(堂々と僕を人質に取りやがった……)

『とんでもないぼったくりな上、口約束で保証なしかよ。まぁ、いいけどな』

「それじゃ、頼んだぞ。ああ、もちろん私が頼んだとわからないようにな」

『わかった。あー三蔵のやつまだボケてないといいんだがな』

「キレ者で堅物の古谷三蔵は死ぬまでボケないと思うぜ」

『それもそうか。用件は終わりだな、切るぞ』

「まぁ待て、察しろよ。私がお前と話したくて話題作ってるのを」

『だからそういうのやめろって! 心、ちがっ――』

 そこでぶちっと通話が切れた。秋月は満足気に笑い、タブレット端末をポケットに戻した。

「ま、こんな感じだぜ。これで明日にはうるさい社長さんも黙ってくれるだろう」

「やり口が汚い気がするんですが……」

「最初は私もそう思ってたが、残念ながらこういうのが有効なんだよ、坊や。より力を持った人間を間接的に利用する。大事なことだぜ?」

「……」

 最上の望んでいた答えとはまるで違っていて、納得がいかなかった。

「別に私の教えなんて聞かなくていいぜ。私は純粋で単純な坊やがなかなか気に入ってるし」

 最後に、と秋月は付け加える。

「あと一つ、力って言うなら有名なあの言葉、筆は剣よりも強し。これは現代社会ではだいたい当てはまる。権力者を利用するほかに有効なのは、筆の力で人の数の力を得ることだ。これを上手く使えば、内閣総理大臣だって潰せるから、覚えておいても損はないぜ」

 ゆらゆらと先端から煙を出すたばこを秋月は美味そうに楽しむ。

 大人の陰謀や策略が行き交うのを虚構科学研究所にいた最上は嫌というほど目にしてきた。もしかしたら、それは虚構科学研究所だけならず、最上が知らなかっただけで、社会というのはそういうものなのかもしれない。

(うんざりするよ、ほんとに)

 たばこを一本吸い終わり、秋月は吸殻をミニポーチに入れ、「しかし朧火は妙な奴だぜ」 と、唐突に切り出した。

「ただのロリコンクソ野郎ですよ」

「はっは、けど、そのロリコン変態クソ野郎は、ただ者じゃなくて、妙に人脈を持ってるんだよねぇ。さっき出てきた引退したっていうじじいだけど、そいつはキレ者だが生粋の頑固者で、若い奴に厳しい人間らしいぜ」

「……あのへらへらした朧火が、その、古谷さんでしたよね? 仲がいいんですか?」

「友達らしいぜ。いったいぜんたいどんな魔法を使ったのか」

 最上自身、朧火は出会った時から妙なやつだとは思っていた。

「私もあいつの経歴が気になって調べてみたんだがな、五年遡るのが限界だった。それ以上は何をしてたのか、さっぱりだ。一応、西天家とは関わりを持っていたり、他にもいくつか繋がりは見えてくるんだが、繋がりが見えるだけでそれ以上はよくわからん」

 秋月の並はずれの調査力と執念をこの数日で最上は目にしてきた。それだけに、彼女にお手上げだと言わせる朧火の異常ぶりがよくわかる。

「なにかやましいことを隠してるんじゃないですか。たとえば児童ポルノ法に違反したとか」

「はは、かもしれんな」

 はじめてであった時に感じた影のような掴みどころがない男だというイメージが最上の中で再燃した。

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