第161話 初期村の神殿で
それから3日後の朝。
空に浮かぶ雲が適度に日差しを遮ってくれるのがありがたい。
俺は神殿の柱を背にしながら、子どもたちが走り回る姿を眺めていた。
今、ノヴァスは神殿内でシャワーを浴びているらしいので、俺は外でそれが終わるのを待っている。
「待たせたな。話の前に、会わせたい人がいる」
濡れた髪のまま、柱からひょこっと顔だけを出したノヴァスが、神殿の中へと俺を手招きする。
その硬い口調とは裏腹に、やっていることは可愛く……いや、ノヴァス相手に俺はなにを考えている。
「こっちだ」
「ああ」
彼女は先日と違い、深緑のワンピースの上から、胸と肩だけを覆うハーフプレートをつけていた。
胸当ての隅に刻まれた蝶の刺繍が、また女の子らしくて可愛さが……って。
「………」
ノヴァスって、こんなんだったかな。
いや、俺の問題かもな。
復讐も済んで気持ちの余裕ができたから、そういうところにも目が行くようになったのかもしれない。
中に入ると、当時俺が〈呪い
「あら、ごめんなさい。どなたでしたっけ」
神官のおばさんがきょとんとして俺を見ている。
「いや、いいんです。わからなくて」
良くも悪くも、あれもしっかり思い出になっている。
「アルマデル。どうかしたのか?」
「なんでもない」
「こっちの部屋に来てくれ」
ノヴァスのシャワー上がりのよい香りに包まれながら、さらに奥に進んだ小部屋に入ると、また違う、甘く優しい香りが香った。
なんなんだ、この教会。
俺が知っているのと違うんだが。
「カミュさん」
そこには一人の女が立っていた。
その名前で呼ぶ相手はそうそういないのだが、見てすぐに理解した。
さらさらとしたストレートの黒髪を背におろした、清楚な女。
彩葉だった。
◇◆◇◆◇◆◇
「お会いできて嬉しいです」
白いワンピースを着た彩葉が、淑やかに礼をする。
艶のある髪がさらりと揺れて、また俺のところにこれでもか、と甘さがやってきた。
「彩葉さんか」
毎度のことながら、目を開けていられないほどに眩しい。
この人は顔から、身体から、全てが整いすぎている。
おまけに性格も女性らしくしっとりしているしな。
清楚、という言葉はこの人のためにあるな、とつくづく思う。
「お久しぶりですね、カミュさん」
「そうだな」
何度か「以心伝心の石」で連絡が来ていたので、それほど久しぶりな感じがないのは、俺だけか。
「もしかして、マンドラゴラの件を手伝ってくださるのですか」
「マンドラゴラ?」
予想外の単語に、俺はオウム返しに訊ねる。
「初期村周囲でマンドラゴラたちが大量発生しているのだ。アリのように群れて馬車を襲うらしく、【乙女の祈り】に掃討の依頼が来た」
石壁に背中を預けて両腕を組んだノヴァスが、伏し目になりながら言った。
「そうだったのか」
初耳だった。
マンドラゴラはそれほど強くはないが、初期村周辺には似つかわしくない。
触手を使った攻撃は容易に皮膚を裂く上に、まれに眠りの状態異常をもたらす。
低レベルプレイヤーは、それでやすやすとあしらわれてしまう。
実際、デスゲーム化してから何人もの初心者プレイヤーの命が奪い去られたという。
こいつと渡り合うとすれば、レベル25は欲しい。
(それにしても、変だな……)
これといった誘因なく、急に大量発生とはおかしな話である。
しかもこういった類いの依頼は、冒険者ギルドに持ち込まれて解決されるのが普通だ。
【乙女の祈り】に回ってくるということは、よほど……。
そんな俺の思考を察知したのか、彩葉が頷きながら説明してくれた。
「付近でマンドラゴラを【召喚】し、【転送】している者がいることは掴んでいます」
彩葉はその美しい顔に困惑をあらわにした。
「【召喚】して【転送】……」
厄介そうな言葉が出てきた。
単純にマンドラゴラが湧いている方が百倍マシである。
「召喚者は?」
とはいえ、召喚者の名くらいは簡単に知ることができる。
配下を倒すと召喚者の名が表示されており、それで正体が掴めるはずなのだ。
「高位の【認知妨害】がかかっていまして」
「なるほど、それですんなりいかないのか」
「はい。冒険者ギルドの依頼として立てても、一向に解決しなかったと」
彩葉の言葉を聞きながら、俺は腕を組む。
【認知妨害】か……。
第一感では、突然現れたらしいので、悪巧みしたプレイヤーの仕業か、と思っていた。
マンドラゴラの使役は【調教師】が行うことができる。
上級のプレイヤーとなれば、10~20体の使役くらいは容易にこなすだろう。
が、下僕を【召喚】するだけでなく【転送】もして、さらに配下全員に【認知妨害】をかけるとなると、プレイヤーではお手上げといってよい。
魔物でも相当高位のものになり、亞夢と同列くらいのレイドボスの可能性が高い。
(マンドラゴラ召喚、認知妨害……似ているな)
俺は記憶をたどり、かつて戦ったことのある、とある魔物に行き着いていた。
【ザ・ディスティニー】がゲームだった頃、同じことをするレイドボスと戦ったことがあるのだ。
ちなみに俺と詩織で挑んだが、思った以上に癖のある難敵で、攻略法を見つけるのに時間がかかった。
やがて俺の方の仕事や詩織の習い事なども重なってしまい、結局攻略できなかった相手だ。
俺の記憶が正しければ、全てのサーバーを通しても、誰もそいつを討伐できていなかったと思う。
「わかる範囲でもう少し情報をもらってもいいか」
「もちろんです」
そのまま、彩葉からマンドラゴラの詳細について説明を聞いた。
聞けば聞くほど、そいつによる召喚のような気がしてならない。
「カミュさん。掃討を手伝ってもらえるのですか?」
「あまり時間がなくてな。出来るところまでになるが」
「この後にご用事があるのですね?」
「リフィテルのところに戻って再建を手伝うのさ。ああ、もう聞いてるかな」
俺はちらりとノヴァスに目をやると、ノヴァスは無言のまま小さく頷いた。
彩葉が淑やかな笑みを浮かべる。
「はい、ノヴァスから聞きました。リフィテル様が生きているのですね」
「ああ、なんとか助けることができてな」
あの時は、それなりにギリギリだったんだが。
彩葉は、感謝します、と頭を下げた。
「リフィテル様も【剪断の手】が味方とあらば、頼もしいことでしょう」
「名前負けしないようにしよう」
「うふふ。……でも話を聞いていたら、リフィテル様が羨ましくなりました」
「……羨ましい?」
「私もお相手してもらえたらなぁ、と思いまして」
あれから、ずっと待っていたんですよ、と彩葉が上目遣いに俺を見る。
「ま、またそんな世辞を」
絶世の美女なだけに、そんなお世辞でしかない言葉でガラにもなく照れてしまう。
「あら。そう思いますか? 私、カミュさんと離れてから毎日かかさず、朝と晩に祈っていたのですよ」
彩葉が左頬にかかっていた髪を耳にかけると、一歩近づき、俺の右手をきゅっ、と握った。
ノヴァスが視線をステンドグラスの窓の外に移したのが、視界の隅に映る。
「何を?」
「あなたの無事を」
「………」
漆黒の瞳に、そばからじっと見つめられて、一瞬、言葉が出なくなる。
「い、いやまたそんな世辞を」
「カミュさん、2回言ってますよ」
彩葉がクスクスと笑う。
そうしながら、彩葉がさらに一歩近づいた。
そして、嬉しそうに愛らしい笑みを浮かべる。
「よかった。頬の傷、治ったのですね」
彩葉が、俺の頬に優しく手を添える。
温かさとともに、おとなしい甘さがやってきた。
「あ? ああ。そうなんだ」
あの時の、ノヴァスにやられた傷のことか。
そういや、あれから会ってなかったもんな。
あの時、彩葉は治癒魔法をかけてくれたが、俺は
それを気にしてくれていたのかもしれない。
「どなたが治してくれたのですか」
「サカキハヤテ皇国で戦っている時に、高位の
「女の人なのですね」
「そう、といってもまだ10さ――」
「妬いちゃいます」
「……え?」
彩葉の言葉に、俺はぽかんと呆けた。
「ふふ、すみません。冗談です」
そうやって俺をからかった彩葉は満足したのか、俺から離れ、ノヴァスに向き直る。
「ノヴァス。カジカさんの件が落ち着いたら、マンドラゴラ討伐の方もお願いしますね」
「もちろんです」
ノヴァスはギルドリーダーに片膝をついて畏まると、立ち上がって、少しも乱れていない身なりを直した。
「出るぞ。こっちだ」
「ああ」
俺も気を取り直し、ノヴァスについて歩く。
ノヴァスに会いに来たのに、なにか異世界に行っていた気分だ。
「そういうわけだ。時間があればマンドラゴラの件も頼む」
「わかった」
ノヴァスはミニといえなくもない深緑のひらひらスカートを揺らしながら、俺の前を歩いていく。
今気づいたが、ノヴァスは俺の前しか歩かないな。
おかげで望まぬながらも、毎度柑橘の香りに晒され続けるわけだが。
このあたりは、本当に性格が出ている。
「さて、ここでいいだろう」
そうやってしばし歩き、通り沿いの何の変哲もない場所で、ノヴァスは足を止め、俺を振り返った。
あたりはまばらに人通りがある程度だ。
「例の話がどうなったか、聞きたい」
「カジカに会いたいという話だったな」
「そうだ」
俺は頷いた。
「今、この街に連れて来ている」
「えっ!?」
ノヴァスは目を見開いた。
「カジカを?」
「そうだ」
「こ、これから、会えるのか……?」
ノヴァスは顔を真赤にして、俺から視線を逸らした。
「そうだが」
「……こ、これから……」
ノヴァスはとたんに落ち着きがなくなり、身なりや髪を気にし始める。
「……ノヴァス?」
「ん? な、なんだ」
「大丈夫か?」
少なくとも、そうは見えないくらいにノヴァスはそわそわしていた。
急に言われて、一気に余裕がなくなった感じだ。
「なんでもない! 少し驚いただけだ」
ノヴァスは自分でも気づいたのか、目を閉じ、大きく息を吐いて自分を整えた。
「わかった。これから会えるなら会おう」
ノヴァスは意を決したような顔つきになる。
「会う時の条件がある」
俺は考えておいた提案をすることにした。
「……条件?」
ノヴァスが目をぱちくりとさせる。
「カジカは最初、フードを被ったままで会うそうだ。それがカジカ側の条件だ」
なにか言ってくると思ったが、意外にもノヴァスは安堵したような顔で頷いた。
「むしろありがたい。実は背を向けて話そうと思っていたくらいなのだ」
ノヴァスは右手で胸を押さえながら言った。
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