妬まれボッチの異世界政務録

シャット・キャット

序章

Prologue

 はぁぁぁぁぁ。


 会社のデスクで一人、大きなため息をついた。といっても、声には出さず、大きな吐息を出しただけだ。時刻は夜6時。そろそろ帰宅しないといけない。


 というのも、俺が帰らないと部下が帰りづらいからである。決算前の繁忙期で皆、心身ともに疲弊している。そんな中、上司である俺が帰らないと部下の負担が増えてしまう。


 最近ではパワハラだと訴える部下どもが世間にいるらしく、その為我が社でも先日、管理職の人に対して「パワハラ対策研修」なるものが行わられた。その中で、『部下に仕事を与えすぎない』だの、『部下に仕事を強要しない』だの、『部下が残業するくらいならお前らが残業しろ』だの、滅茶苦茶なことを言われた。


 その為、俺はため息さえも声を押し殺さないといけないのだ。


 まったく、最近の若者は根性がない。数十分の残業でさえも上司に丸投げするのだ。会社への忠誠心もありやしない。


 それに、『ワーク・ライフ・バランス』が提唱されてからいいことなどありやしない。


 もともと人材不足に悩まされている日本企業に「働くな!」と言う馬鹿がいるとははなはだ腹立たしい。


 そのおかげで平社員が残業しないようになり、あり得ない量の仕事が中間管理職に回ってくるのだ。世間が言う『ワーク・ライフ・バランス』に中間管理職が含まれていないことが苛々いらいらしい。いつになったらこの激務から解放されるのだろうか。


 まぁ、別に俺は働くことが嫌いではない。むしろ好きなくらいだ。


 しかし、それには俺の仕事が正当に評価されてないといけないのだ。


 今の仕事量はおかしすぎる。


 『高度~~ほにゃらら制度』により、裁量労働制の下で働く俺には休日は月に1日くらいしかなく、それ以外は1日19時間以上の激務だ。


 「じゃあ、なんで夜6時に退社するんだ?」って?


 それはもちろん、持ち帰り残業するからさ。


 その為、会社が行う勤怠管理は杜撰ずさんになっている。我々に「定時に帰って家で仕事しろ」というのだ。これは、社員に過労させていることを政府に知られたくないという我が社の経営陣の考えであろう。


 それに、休日もないので年収は2000万ほどあるけど使う暇がない。


 家も月7万ほどの1DKのアパートに住んでいる。まぁ、広い家だと掃除の手間がかかるから狭い家に住んでいるわけだが。


 つまり俺は家を買っていない。


 おかげで俺の預金口座には1億程のお金が入っている。30歳になる前に年収1000万超えたのだが、3割以上税金で持っていかれてしまう。それに、1800万を超えると所得税だけで4割国に取られてしまう。月7万のアパートに住む俺は本来2億円程持っていてもおかしくないのだが、その半分ほどの金額しか預金口座にないとはとても悲しいことだ。


 それに、1億ものお金があるというのに使う暇がないとは寂しい人生だなぁ。


 まぁ、俺が1DKのアパートの一室に住んでいることからお察しの通り、俺には家族はいない。


 祖父母は俺が子供の頃に、父母は数年前に他界したのだ。


 一人っ子なので、俺にはもう家族はいない。


 これから家族の温かさに包まれることは無いだろう。


 家族の温かみに触れたいのなら結婚すればいいじゃないかと思うかもしれないが、それは無理な話だ。


 今年で38歳の俺に結婚相手は見つかるだろうか?


 まぁ、年収は申し分ないから見つかりはするだろうが、結婚詐欺にあうかもと思うと結婚する気にはなれない。


 これまで頑張って1億も稼いだというのに、訴訟を起こされ、その挙句数千万も取られてはたまったもんじゃない。


 そもそも今の俺に訴訟を起こされても裁判に赴く暇はない。この激務だ。そんなことしている暇はない。


 それに、俺はきっと人を好きになれない。


 俺は中高一貫校に通っていたが、中学一年のとき、初恋を経験した。


 ――糸数美穂。


 ただの一目惚れだが、俺は彼女のとりこになった。


 だが、クラスから、もとい同級生全員からものにされていた俺がミスNo.1の彼女と付き合えるはずがない。


 それ以降、彼女以上に俺が惚れた人はいない。もう、恋などできやしないだろう。



 * * *



 まぁ、そんなことを考えながら帰路に就いた。電車の中で彼女のことを考えていると学生時代の、もとい当時から今までの苦い人生を振り返ってしまった。


 俺は3,4歳のときから物覚えが良く、両親に小学校受験をさせられ、何も対策していないのに名門私立小学校に受かってしまった。


 小学校に入学し、「友達100人できるかな」などと浮かれた気分で最初の1週間浮過ごしていたが、友達作りに失敗してしまった。


 俺は小学校入学前まで保育園に行かずずっと母さんに育ててもらい、毎日母さんと一緒に本を読んでいたのだ。それも、絵本のようにすべての漢字にフリガナが振られているものではなく、書店の文庫コーナーに並んでいる様々な文学作品を一緒に読んでいたのだ。6歳の小学生と言えば戦隊もののテレビ番組を観ては友達とその話題で盛り上がり、戦隊ごっこをよくするのだが俺は子供らしからぬ生活をおくってきたのだ。俺と同じような趣味を持つ同級生がいないか学校中探し回ってみたが一人もいなかった。そのような環境下で周囲の同級生と馬が合うはずがない。


 その為、俺はクラスから除け者にされ、ほとんどの時間をひとりですごすことになった。


 そのおかげで、沢山の本を読めた。


 文学・哲学・自然科学・政治・経済・外国語など、分野は多岐にわたった。


 特に、外国語は英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、中国語、韓国語を身につけた。


 その為、自分で言うのもあれだが、俺はとても頭が良くなった。それも、世界的に活躍できるほどの素養を身に宿したのだ。


 そして、中学に進学するとき、同じ学校にいては人間関係が悪化しかねないと判断し、他所の名門中学に入学した。


 中学に入学し、6年前と同じように浮かれた気分で登校していたが、そこでもまた友達作りに失敗した。今度は俺の学力を妬んでのことのようだった。


 『出る杭は打たれる』ということわざを身をもって体験したのだ。人は特定の分野で承認欲求が満たされない時並みならぬ不満を感じ、更なる努力をするものであるが、相手との能力差が圧倒的であることを感じ取るとその人の野望はくじかれるのである。そこでその人がとる行動は相手を蹴落とすという卑劣なものである。


 俺の場合、名門進学校の入学試験に合格した同級生の中でも異彩を放っていた為、周囲の人間のプライドが折れてしまうことは不可避であった。その為、ほとんどの同級生が俺を共通の敵に仕立て上げ、排除しようとしたのだ。教室や廊下では影口を囁《ささや》かれ、体育祭や修学旅行の班行動では班員が俺の悪口を囁くなかひとりで後ろからついて行った。


 そのおかげで、一目惚れした彼女にも近づくことさえできなかったのだ。


 それでも俺は努力を怠らなかった。


 いや、小学校の頃以上に努力した。


 様々な分野の本を読み、世界情勢を毎日欠かさず調べた。そのおかげで一流大学に現役で主席合格し、卒業後は大手の企業に就職できた。


 入社してから数週間は楽しかった。


 これまで身に着けてきた知識が実を結んだのだ。様々なクライアントの問題点を見つけ、分析し、解決策を提案する仕事はとても楽しかった。


 上司も俺の能力を認めてくれ、仕事にやり甲斐を感じていた。


 しかし、ここでもまた同期や1つ,2つ年上の先輩の妬みをかってしまった。


 「君、優秀だからこれもよろしくね」などと他人の仕事までも俺に回されてきた。


 廊下ですれ違うとスーツにコーヒーをこぼされ、「あっ、ごめん。つまずいちゃった」とありきたりの台詞を言われた。


 俺への嫌がらせは入社以降長い間続いたが、『周りに認めてもらえるだけの結果を残してやる』と決心し、仕事を頑張った。そのおかげで上司に認められ、入社4年目にして管理職に昇進し、嫌がらせは終わった。


 しかし、管理職に昇進すると激務が続いた。


 その頃から俺はおかしくなり始めた。


 世間で『ワーク・ライフ・バランス』が提唱され、「パワハラ対策研修」なるものが我が社でも行われた。それにより、俺の仕事量は以前より多くなり、益々仕事に打ち込まないといけなくなった。


 月に1日ほどしか休みはなく、その休日はずっと家で寝ている。


 はっきり言って、仕事と食事と睡眠以外何もしていない。高い給料をもらっても使う暇がない。結婚したいが女性と出会う暇がない。


 さらに、同期からの嫌がらせが終わったかと思えば、同じ管理職の先輩からの嫌がらせが始まった。


 会社始まって以来最年少での昇進だったので、彼らから妬まれるのは必然だった。


 管理職の面々が集まる場に行けば除け者にされ、さらには横目で悪口を囁かれた。


 優秀な人間は大いに日本社会に貢献できる貴重なリソースだというのに、出てくる貴重な杭を社会全体で叩き潰すとは一体どういうことだろうか?これだから、近年の日本企業は多くの市場で海外企業に負けてしまい、その上優秀な人材が働き甲斐のある海外企業に引き抜かれるという負のスパイラルが起こり、国内産業の衰退が起こっているのだ。


 けれども、「優秀な人間ほど生きずらい」という日本社会の不条理を感じながらも俺は自分の心に鞭を打ち、仕事にやり甲斐をなんとかして見出し、仕事を頑張った。


 しかし、俺の心はそう長くはもたなかった。6歳の頃から嫉妬され続け、もう限界だった。


 きっかけは両親の死だった。


 俺が学校で除け者にされても、両親だけは俺の味方でいてくれた。俺にたっぷりの愛情を注ぎ、俺は2人の期待に応えようと頑張ってきたのだ。


 だが、その2人が火事で亡くなった。俺は一人で上京して働いていたので年末年始にしか2人に会えず、最後に会ったのは火事が起きた年の正月だった。


 それ以降、俺は何のために生きていけばいいのか分からなくなった。


 社畜として働き続け、文字通り身を粉にして働いた。おかげで、今となってはただ会社と自宅を往復する日々を送っている。飾り気のない、無味乾燥な暮らしだ。


 転職しようかな。今の劣悪な環境では身が持たないだろう。今期の決算が終わったら転職エージェントにでも会いに行くことにしよう。



 * * *



 自分の半生を振り返っていると、自宅に着いた。ドアを開け、部屋に入るとすぐにお湯を沸かした。カップラーメンを作るのだ。


 俺はここ数年、料理をしていない。


 炊飯器も、ガスも一度も使っておらず、さらには台所洗剤なんて使った記憶もない。


 いつも電子レンジだけで作れたり、お湯を注ぐだけで食べるなどといったインスタント食品ばかり食べている。


 いや、インスタント食品しか食べていないのだ。


 カップ麺や電子レンジで温めるだけの白米など、そういったものしか食べていない。まぁ、料理をする暇があるなら俺もしたいよ。


 特に、お菓子作りは子供の頃よくしていた。


 母さんと一緒にプリンやフルーツタルト、ホールケーキを作ったこともあったな。


 はぁ。どうしてしまったのだろう、俺。


 カップラーメンを食べ終え、会社でやり残した仕事を始めた。


 時刻は夜8時。


 いつも3時くらいまで続けて仕事をしている。


 睡眠時間は3~4時間。


 こんな生活していたら早死にするだろうな。



 * * *



 そのまま30分程仕事をしていると、いきなり胸が苦しくなった。


 苦しい。


 胸が締め付けられているようで、息ができない。


 あぁ。こうして人は死ぬのか。


 食事は3食インスタント食品。


 睡眠時間は3~4時間。


 こんな生活していて早死にするのは当たり前か。


 つい30分前に考えていたことがこんなにも早く起こるなんて、考えもしなかった。


 でも、このまま死ぬのは嫌だ。


 俺を散々虐めてきた奴らに報復せずに死ぬなんて嫌だ!


 助けを呼ぶために大声を出そうとするが、胸が苦しすぎて声が出ない。


 ちくしょう!


 このまま死ぬなんて、嫌だ!


 せめて俺の努力を誰か認めてくれ!


 その後、俺はすぐに意識を失った。

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