生きるという宝箱の中に、大切の言葉を詰める。

七種夏生

第1話


 私がこの世に産まれたとき、母は酷く泣き叫んだという。


「どうして! なぜ!」


 出産直後だというのに分娩台で暴れ回り、医者にまで押さえつけられた。


「どうして……どうして二人いるの!?」


 いわゆる野良妊婦というやつで、母は私と姉を孕ってから一度も、病院の類にはいかなかった。

 早く産まれておいで、楽しみにしているからね。と腹を撫でながら語りかけていた母。


 その大きすぎるお腹の中に、

 二人存在しているとは思っていなかった。



「一人でよかったのに……二人もいらない!」



 一人とは、先に生まれた姉の方だろう。



 後から生まれた、出てくるはずじゃなかった私は、

 その段階から、



 産まれ落ちる前から、必要とされていなかったのだ。





「茉奈と沙耶は、二人で一つなのよ」


 物心つく前から常々聞かされていた言葉。

 私達姉妹が真に理解したのは小学校の入学式だった。


「入学おめでとう、茉奈」


 綺麗に着飾った姉とともに、母は家を出て行った。

 部屋着の私を、家に置き去りにして。


 その時はまだおかしいと思っていなかった。

 瓜二つの容姿を持つ私たち姉妹は二人で一つ。母の愛情は一人しか注いでもらえない、


 二人同時には愛してもらえない。


 母は茉奈を愛でた次の日に私を愛し、翌日は再び茉奈に目線を向けた。

 外出する際も一人ずつ、一人はお留守番。


 私たちは二人で一つ。

 一人ずつでしか生きれない。

 二人同時に存在しちゃいけない。



 転機は突然訪れた。


 入学式を終えた母と茉奈が帰宅し、茉奈は服を脱いで私に手渡した。


「この服を着て学校に行くの!」


 綺麗なお洋服。

 私は嬉しくなって、白と黒のワンピースに袖を通す。


「似合うよ、沙耶。こっちは鞄」


 そう言って、茉奈が私にランドセルを差し出す。

 私たちは二人で一つ。

 茉奈が出かけた翌日は私が……


 だから、

 明日は私が、

 沙耶が学校に行く番。


 ランドセルに手が触れる直前で、茉奈の顔が視界から消えた。

 驚いて顔を上げると、母が息を荒くして茉奈を睨んでいた。


「ダメよ! そんなことしたらばれちゃう……学校に行けるのは一人、茉奈って名前の子しかダメなの!」


 母が何を言っているのか理解できず、私達は同時に声を上げた。


「「お母さん?」」


 そう、

 同時に、


 声を重ねてしまった。



 カッと目を見開いた母が再度、茉奈の頬を叩いた。

 今度は平手打ちではない、握りしめた拳で殴られた茉奈の頬は、赤く腫れあがった。


「あなたはこの世に存在していない事になってるの! だから今後一切、外にでちゃ駄目。わかったわね、!」


 姉を、茉奈を睨みつけながら母が言った。

 そして私を、双子の妹である沙耶を抱きしめる。


「ごめんね、茉奈。びっくりさせたわね……私の娘はあなただけなの。私の大切な茉奈」


 馬鹿みたいにポカンと惚けた顔をする私と茉奈。

 だけど、一番馬鹿なのは母だった。


「馬鹿だと思う」


 呟いた私の声は母には聞こえておらず、茉奈は殴られた頬を右手で抑えて小さく頷いた。

 




 次の日、満面の笑みの母に送り出され、私は学校に行った。


「いってらっしゃい、茉奈!」


 本物の茉奈を傍に置きながら、母が手を振った。





 目立たない、いい子でいよう。


 それが私と茉奈がたどり着いた、


 二人で一つとして生きるための方法だった。


 情報を共有し、私達は一日おきに入れ替わって学校に行った。

 視覚情報も、できる限りイラストにして伝える。


 茉奈にはそっちの才能があったようで、彼女の描く絵は立体感があり、人物には命があった。


 対して私の描くイラストは自分でも言い訳出来ないほどの下手さ。

 人間を書いたのか猿を書いたのかよくわからない程だった。

 それでも茉奈は私の絵画の意図を汲み取り、「こういう事?」と、自分のイラストへと落とし込んだ。


 才能の差が出たのは絵画だけだった。


 他は全くと言っていいほど、同じ事を同じだけできた。勉強もスポーツも。


「美術だけは、沙耶に合わせるよ」


 そう言って私のイラストを完璧に模写する茉奈に、嫉妬しなかったと言えば嘘になる。



 なぜ神様は、姉にだけ才を与えたのだろう?



 私が妹だから。


 後から生まれたから。


 必要ない存在、



 産まれてくる予定ではなかったから?





 親しい友達は作らなかった。

 上部だけ、表面上の付き合い。


 馬鹿ばかりだった。


 誰も、母でさえ気づかない。



 そうして、私達がこの世に生を受けて十六年経ったとき、茉奈に友人ができた。


 おかしいとは思っていた。

 最後に入れ替わってから一週間。


 いつもは「学校怠い。沙耶、代わって」という茉奈が、「大丈夫、私が行くから。沙耶は学校嫌いでしょ?」と譲ろうとしなかった。


 問い詰めてもきっと、姉は本当の事を言わない。


「明日、親族会議があるから。学校休んで」


 嘘にしては悪質だと思う。

 だけどそれしか思い浮かばなくて、茉奈は神妙な面持ちで頷き、翌朝、一足先に本家へと足を運んだ。

 それを見計らって制服に着替え、飛び出すように学校に向かう。




「おはよう、茉奈ちゃん」


 弾けるような笑顔を向けてきたのは、孤高の美少女と呼ばれている女子生徒。

 類稀なる美貌に加え成績も飛び抜けて優秀で、学年どころか全国模試ですら一位をとった事があるという、雲の上のような存在。

 だけど私たちが共有していた情報では、彼女は今みたいな人懐っこい笑顔を見せるような人物ではない。

 その美麗な顔は常に表情が変わらず、冷たい目で人を見下している。

 十声をかけても返ってくる言葉は一にも満たない。


 無愛想、冷静沈着、非情。


 茉奈と共有している彼女の情報とは真反対。

 愛らしい女子高生が目の前にいた。



「茉奈ちゃん、今日、体調悪い?」


 馴れ馴れしく伸ばしてくる手を振り払い、しかしはっとして美少女を見返す。


「ごめん……今日はもう、帰るね」


 わからない。


 この子の前で私は、茉奈はどんな表情をしていたの?

 なんて呼んでいたの?

 何の話をしていたの?



 逃げるように帰宅し、

 部屋に戻っていた茉奈を怒鳴りつけた。





「初めてできた友達なの。いつきちゃんとは、縁を切りたくない」


 長々と言い訳を述べたあと、茉奈が言った。

 一週間前にとやらに出会った茉奈は、最初は普段通り接していたらしい。

 深く干渉せず、上部だけ。


 どうせ彼女もこちらに干渉して来ない。

 孤高の美少女と呼ばれている程なのだから。

 

 そう思っていたのに。



『絵描くの、うまいね』



 下手くそなイラストを模写しただけの絵画を見ながら、いつきちゃんが呟いた。


『なに言ってるの? 下手くそだよ、私。みんなにも揶揄われてる』と笑う茉奈の描いた絵に、彼女はそっと指を当てたという。


『下手に見えるように、わざと描いてるよね? すごい……こんな技術持ってる、上手に絵を描く人、初めて出会った』



 馬鹿だと思う。


 単純馬鹿。


 私の姉は、その一言で、彼女に魅了されたと言う。




「お願い、沙耶。誤魔化して……沙耶が学校行くときは出来るだけ、いつきちゃんに近寄らないで。話をするときは嫌われないように、私として仲良く過ごして」


 泣きそうな顔を向けられて、断れるはずがない。

 言葉もなく頷く私に、茉奈が嬉しそうな笑みを見せた。


「噂とは全然違って、ちょっと抜けてて可愛い子なの。いつきちゃんも絵を描くのが好きでね……」


 その日は一晩中、いつきちゃんの話を聞かされた。





 あの時から、嫌な予感はしていた。


 茉奈が生きる事を思い出した。


 二人で一つじゃなく、

 茉奈という名前の、


 一人の人間として。



 あのね、沙耶、いつきちゃんがね。

 今日、いつきちゃんが。

 明日はいつきちゃんと。


 あのね、いつきちゃんが。


 いつきちゃん。



 学校から帰った茉奈は開口一番、その名前を口にした。

 以前より頻度は減ったけれど私も時々学校に通い、家に戻ると茉奈が飛んできた。


「いつきちゃんは今日、どうだった?」


 私の名前すら出なかった。

 嫉妬はしていた、正直。


 だけど、


 それよりも……



 彼女の名前を呼ぶときの茉奈がとても、楽しそうで。

 私はその笑顔を今まで見た事がない。


 生まれる前からずっと一緒に居るのに、

 そのような顔は知らなかった。



 本当の茉奈は、私と二人で一つでなければ、こんな表情をしていたのだ。


 普通に毎日学校に行って、

 部活に入って、

 愛想がいいからきっと、先生にも気に入ってもらえる。



 友達と遊んで、

 笑い合って、

 たわいない会話で毎日を楽しんで。



 私がいなかったら、茉奈は……



「ごめんなさい」



 自然と声が漏れていた。

 はっとして、口元を押さえる。

 横を向くと、同じベッドで寝ている茉奈の吐息が聞こえた。

 顔を近づけて、額を合わせる。



 私達は双子の姉妹。


 二人で一つ。



「茉奈が私で、私が茉奈……そんなわけ、ないでしょ」



 馬鹿だと思った。


 そんな虚言をいつまでも信じているほど、私は子どもじゃない。


 子どもという時期を通り越して、

 だけど大人と呼ぶにはまだ早すぎる年齢の私達は、


 いったい何者なのだろう?




 入学式の日の茉奈を想った。


 遠ざかる背中、繋いだ手。


 明日は私の番。


 そう思っていた。




 私が一番、馬鹿だった。



『明日は沙耶の番。学校、楽しいよ』



 私達は二人で一つだから。と、私にランドセルを押し付けた茉奈はきっとわかっていた。

 叩かれて腫れがひかない頬を撫でながら、笑った。


『この傷がある限り大丈夫。お母さんは私を沙耶だと思ってるから、バレないよ。沙耶は私だよ』


 傷は癒えたのにどうして、私は茉奈の役を続けているのだろう。


「ごめんなさい……ごめんなさい」


 声を大きくしてみるが、茉奈は起きなかった。

 今日の出来事を思い返して、

 明日の学校生活を思い浮かべて、夢を見ているのだろう。


 そこには私の知らない、茉奈の友達がいて。



 私じゃない茉奈が、楽しそうに笑ってる。



 


 母が泣いた、私が産まれた日。

 入学式の日の真新しいランドセル。

 二人で一つしかない。

 

 茉奈、と書かれた鞄にノート、鉛筆。


 本来、茉奈が一人で使うはずだったもの。


 私がいたせいで、

 私のせいでそれは、


 二分割されて茉奈一人のものじゃなくなった。



 双子の姉、

 もう一人の私だった人間を視界から消すように、目を閉じた。





 しばらくすると私は暗闇の中に蹲っていて、誰かに手を差し伸べられた。

 その人は白く、ぼんやりと光り輝いていて、私に向かってこう言った。


「あなたは悪くないよ」


 悪いのは、神様だと。


 私を作った、

 この世に産み落とした


 

 神様が全部、悪いのだと。




 あぁ、そうか。

 だから私は、その手を取って立ち上がった。


 ごめんなさい、

 ごめんなさい、

 ごめんなさい。



 謝罪は誰に告げたらいいのかわからない。

 だけどひたすら、許しを乞うように繰り返した。



 上手に生きれなくてごめんなさい。

 茉奈のフリをしてごめんなさい。

 姉の人生を邪魔してごめんなさい。


 欲しがってごめんなさい。

 悲しそうな顔をしてごめんなさい。




 生きようとして、ごめんなさい。



「生まれてきて、ごめんなさい」



 いつかこの声が、誰かに届きますように。


 そう願ったけれど、馬鹿みたいだと気がついてそっと目を閉じた。

 私は最初から存在していなかった。

 存在しちゃいけなかった。



 ごめんなさい。



 いつか、

 私のいない世界で双子の姉が、


 茉奈が幸せになりますように。




 生まれてきてごめんなさい。



 


 生きていくために必要なこの世界は、



 私が抱える宝箱の中身は、


 茉奈という宝石が入っていること以外、

 誇れることが一つもなくて、




 ゴミで溢れかえっていた。

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