第17話 裁きか、救いか
「北条ヒカルを見たぁ?」
オフィスのソファに座るルナに向けて、鉄平は驚きの声を発した。
ビルでの任務を無事に終えた第Ⅶ班は少し前にSBへと帰還していた。
しかし、様子がおかしいルナを心配した鉄平がどうしたのかと声をかけたのだ。
そしてルナが告げたのは、野次馬の中に北条ヒカルを見たというもので、鉄平だけではなくオフィスにいた全員が驚きを隠せなかった。
「いや、分かんない。見たような気がするだけで、気のせいかもしれないし」
ルナは視線をテーブルに落としたまま声を発すると、そのまま黙り込んでしまった。ルナ自身、本当はヒカルがいたとは思っていない。それよりも、青年のようなヴァンパイアが見せた涙が頭から離れなかった。
その様子に鉄平とサラはお互いの顔を見合わせる。
「視点映像を解析してみようか?」
「ううん。車に乗ってすぐにインカム外したから。多分、映ってないよ」
返ってきたルナの言葉にサラは「そう」とだけ返した。
再び、沈黙がオフィスを包む。その沈黙を破ったのは銀次だ。
「ルナ、今日はもう休め。療養が長すぎて調子が出ないんだろう。これからは休み無しで働いてもらうとするか」
銀次がそう言うと、ルナは立ち上がり、左手をひらひらと揺らしてオフィスのドアに向かう。
「分かった。今日はもう部屋に戻るよ」
そう言ってルナはオフィスを出て行った。
「ったく。冗談だろうが」
頭を掻きながら銀次はそう呟いた。
オフィスにはまだ気まずい空気が漂っている。
コウタとノエルにはどうしてルナが気落ちしているか分からない。ただ、ビルの最上階で何かがあった事だけは分かっていた。でも二人はそれを無理に聞こうとはしない。ルナが悩みを打ち明けたり愚痴をこぼす相手が自分達ではない事を理解しているからだ。
「鉄平! お前も今日はもういい」
銀次はその後に、「頼む」と付け足した。これから隊長への報告が待っている。現場で戦うだけが班長の仕事ではないのだ。
そして鉄平はそんな銀次の想いを汲み取り、一つ頷いてオフィスを後にした。鉄平が向かったのは屋上だ。
エレベーターで六階へ、そこからは階段を使って屋上へと向かう。鉄製のドアを開けて屋上に出ると夜の街を眺めるルナの背中があった。
冷たい風がルナの白い髪を揺らす。その髪とは色合いが少し違う白いシャツの背中に、鉄平は切なさのようなもの感じた。
「やっぱココか」
鉄平はそう言うとルナの隣に立って少し離れた街の明かりを眺めた。白や黄色、赤などの小さな光の粒が集まって大きな街を象っている。
「何かあったらよくココから外見てたよなぁ」
ほんの少し沈黙が流れた。
「ヒカルさん、生きてるといいな」
「うん」
鉄平はルナや銀次の視点映像をオフィスで見ていた。ルナが気落ちしているのはヒカルの事だけではないと分かっている。ビルの最上階で見せた躊躇、それはかって鉄平もした事がある経験だ。
「……なぁ、何が正しいんだろうなぁ。前にハジメと喧嘩しただろ? 俺もさ、本当はずっと、何が正しいんだろうって自問自答してるよ」
「鉄平」
ルナは街の明かりから鉄平に視線を向ける。
あの青年の泣き顔を見た時、ルナにはあるものが見えなくなった。色濃く線引きしていたはずの人間とヴァンパイアの境界線。それが一瞬見えなくなってしまい、そこで迷いが生まれた。
「考えても分からないけどな。病気なのかすら俺には分からないし。分かってんのは現時点でヴァンパイアは治せないって事だろ? 存在するだけで誰かが殺されるなら、止めなきゃならないんだよ。絶対に。その方法が殺す事しかないんだ。でもよ、ヴァンパイアだって、望んでなった訳じゃないと思うんだ。その連鎖みたいなモノを断ち切る事がせめてもの救いになるんじゃないかって」
「つまり、殺す事で解放するって事?」
「自分を正当化したいだけかもな」
そこで鉄平は街の明かりから空の闇に視線を向けた。
「人って弱いんだよなぁ。迷って、悩んで、悩んで悩んで、やっと見つけた答えも、些細な事や、心ない誰かの言動で簡単に見えなくなっちまう」
鉄平はそう言って紅碧の瞳を見つめてから続ける。
「それでも、俺達が前を向かなきゃ誰かが死ぬんだ、誰かの大事な人が」
冷たい風が吹いて、ルナの白い髪が揺れる。その髪の香りが鉄平の鼻腔をくすぐった。
「それに、その、俺はルナが殺されそうになったら死に物狂いで戦うよ。たとえその相手がヴァンパイアじゃなくても」
「……鉄平」
吐息混じりに鉄平の名を口にしたルナは視線を落とした。鉄平が履いている全隊員に支給された黒いズボンがルナの瞳に映る。
「右のポケットにチョコバー入ってるよね?」
「何で知ってんだよ! エスパーか?」
ルナは鼻を鳴らして顎を上げた。
その少し見下ろすように浮かべた笑みに鉄平の頬も緩む。
「ったく。しょーがねえなぁ」
鉄平はポケットからチョコバーを取り出すとルナに差し出した。雪のような白い手が伸びてチョコバーを握りしめると、なんだか繋がっているような気がして鉄平は嬉しく思う。
「鉄平も食べたいの? あげないよ」
「いや、俺のだけどな」
チョコバーを受け取ったルナは悪戯に微笑むと袋を開けてかじりついた。ピンク色の薄い唇の端についたチョコを舐め取って目尻を下げる。
当たり前のように鉄平のチョコバーを勝手に食べては、お礼も言わずに幸せそうに笑ういつもの笑顔がそこにあった。
「……その……ありがと」
ルナからお礼を言われたのは初めてで、鉄平は一瞬目を丸くした。けれど、すぐに柔らかな笑顔を浮かべる。
「おぅ。あっ……俺のデスクにもう一本あるけど?」
「えっ! いいの?」
ルナは瞳を輝かせると、いいのと聞きつつも残ったチョコバーを口に放り込んだ。
「いつも勝手に食うだろうが」
「やったぁ。じゃあ食べてこよっと」
そう言うとルナは建物内へと消えていった。
その背中を見送って屋上に一人残った鉄平が小さく呟く。
「アイツ、やっぱ疎いんだよなぁ」
――――ソレは『断罪』か『救済』か。
「いつか分かんのかなぁ」
鉄平の問いかけは薄紫色に変わっていく空に吸い込まれた。
「寒っ! 俺も戻ろ」
*****
それからオフィスに戻ったルナはチョコバーを食べてから自室へと戻った。その後、寝支度をしてからベッドへと倒れこむ。鉄平の話を聞いて心が少し軽くなった気がした。
窓際に置いた赤いスカーレットの後ろで、朝がもうそこまで来ている。
眠りにつく為に閉じた目に、もう青年の泣き顔は浮かばなかった。
第一章 完
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