第7話 ルナの過去
白くて小さな部屋……そこがルナの世界だった。
ルナは物心がついた頃からその部屋にいた。机、本棚、ベッドが置かれていて……部屋の奥のドアはトイレに続いている。絵本や玩具、それから積み木もあった。
部屋の天井の隅には赤いランプが光る装置が設置されている。当時のルナには分からなかったが、それは監視カメラだった。
壁の一面だけはガラス張りで、部屋の外は通路だ。そして通路の向こう側にもまた同じ造りの部屋が並んでいた。
小さな世界、でもルナは不自由だと感じた事はなかった。
絵本や玩具は飽きたら新しい物が与えられる。何よりルナは部屋の外に出た事がなかった。その部屋の端から端までが世界の全てだと思っていたのだ。
朝は決まった時間に起こされて、採血される。
食事だけではなくお菓子も貰えた。何より楽しかったのは勉強の時間だった。
毎日、眼鏡をかけた女性が訪れて色々な事を教えた。歴史や数学、国語……他にも色んな事を学んだ。
女性がいない時もルナは勉強した。気付いたら勉強よりも女性と会う事が楽しみに変わっていた。
眼鏡をかけた女性は北条ヒカルと名乗った。
その内、北条ヒカルは部屋でタバコを吸うようになった。タバコを吸う前には必ず電話で誰かと会話する。それは監視カメラの映像を遮断する為だ。
そんな毎日が続いた。
どれぐらい経ったか。ある日、いつものようにヒカルはタバコを吸い始めた。そして突然、ルナに語り始めたのだ。視線を合わせないまま語った内容は外に出る為の道順だった。
ルナにはその意味が分からなかった。
部屋から出るなんて考えた事もなかったし、出たいとも思っていなかったからだ。
それから何日かして、ヒカルが小太りの男を連れて歩いて来るのがルナの目に映った。誰だろうと考えながらもルナは部屋の隅に座って隠れた。ヒカルと男は一度部屋を通り過ぎて、しばらくしてから戻ってきた。その間も何か説明しているように感じた。
ヒカルがルナの部屋を訪れた時にはもう男の姿は無かった。そしてそっとルナの手を取ると部屋を出るように促す。
その日、ルナは初めて部屋の外に出た。
出口に向かう道ではなく、施設の奥に連れて行かれた。そこには男がいて、いつかの絵本で見た牢獄のようにルナは感じた。手を打ち付けられたその男は今にも死にそうな空気を纏っていた。
なんとなくだが、ルナには感じるものがあった。この男と自分は何か繋がりがあるような、そんな気がしたのだ。
男はルナに名前を聞いた。
小さな声で「ルナ」と告げると、男は紅い瞳でルナをじっと見つめた。そしてそれ以上、言葉を発する事は無かった。
ただ、ほんの少しだけ笑っているようにルナは感じた。
何故引き合わされたのかも分からないままルナとヒカルは牢獄を後にした。そのあと部屋に戻っても、何の説明も無かった。
またいつものように小さな部屋の中がルナの世界になった。
それから一カ月程経ったある日、突然向かいの部屋の女性が苦しみ始めた。それを目の当たりにしたルナは怖くなって、逃げたくなった。
けれどルナの世界は狭かった。
どこにも行けない。そう思っていた時、ヒカルが来て部屋からルナを連れ出してくれたのだ。
ルナの手を取って走り出したヒカルは施設を出る為にある場所へと向かった。白い通路を走って、行き止まりに辿り着くと、ヒカルがその行き止まりの壁を押した。カチンと小さな音がして壁が手前に開く。壁は非常用の隠し扉になっていた。
そこからは下水道へと繋がっていた。
二人で下水道を走っていると後ろで大きな物音がした。そこでヒカルは膝をついてルナを真っ直ぐに見つめた。そして血が付いた両手でルナの肩を掴む。
「ここからは一人で行けるわね?」
ルナは泣きながら首を振った。
「行かなきゃいけないの! どのハシゴを登るか前に言った事を思い出しなさい! いい? 外に出たら高槻家に行くのよ?」
北条ヒカルもまた泣いていた。
「あなたがこれから歩く道は苦しみの連続で……蔑まれ、疎まれ、嫌われるかもしれない。でも……でも、泣いちゃダメよ……強く生きるの」
肩に触れている手の震えで、ヒカルの感じている恐怖がルナに伝わる。それでもヒカルはとても優しい顔で微笑んだ。
「強く生きてね……さぁ早く!」
突き放されたルナはこのままヒカルを置いて逃げるかどうか躊躇う。だがやがて奥歯を噛みしめて振り返った。そしてある梯子を目指して走る。あの日教えてくれた道順を何度も繰り返し呟きながら。教えられた梯子を見つけて登っている時、ヒカルの悲鳴が聞こえた。
それでもルナは振り向かずに登った。
重たいマンホールを開けたら、そこには知らない世界が広がっていた。
それからヒカルが話していた言葉を手繰り寄せて、高槻次郎に会いに行った。ヒカルの名前を言ったルナの風貌を見て、高槻次郎は全てを悟った。何も聞かずに、ただただルナを抱きしめた。
それから、高槻家に入ったルナは小学校にも通えるようになった。けれど、白い髪と肌、赤と碧の瞳、外見だけで悪魔の子だと言われた。靴を隠され、机には心無い言葉が書き綴られ、時には帰り道で石を投げられて額から血が出た事もあった。
それでもルナは泣かなかった。家に帰れば祖父となった高槻次郎がいる。それが嬉しかった。
だが、ルナが十六歳の時にその祖父も出かけたまま帰って来なかった。
翌朝、近くの川辺で高槻次郎の遺体で発見されたのだ。
――――また……失った。
しばらく経ってから祖父を殺したのがヴァンパイアの仕業だと知った。家で塞ぎ込んでいたルナのもとに黒いスーツを着たSBの人間が訪れてそう告げたからだ。
祖父を殺したヴァンパイアを絶対に許さない、ルナはそう誓った。
*****
「根絶やしにしてやる。それが……私の原動力」
ルナは目を閉じて大きく息を吐いた。
黙ってルナの話を聞いていたサラの頬を涙がつたう。
ノエルとハジメは険しい表情を浮かべ、鉄平はうつむき両手を握りしめている。
コウタでさえ悲しげな表情を浮かべていた。
「ルナ、辛い話をしてくれてありがとう。ここからは俺が話そう」
ルナに代わって銀次が話を始める。
「ルナが施設から出た日、十二年前の五月十二日。その日、ある事件が起こった。内閣総理大臣官邸襲撃事件……今でも時々テレビで取り上げられるから事件名ぐらい聞いた事があるだろう。防犯カメラに映っていた襲撃犯は僅か三人……たった三人で官邸敷地内にいた全員が殺された。そしてその事件で総理公邸の地下にあった研究施設が公になった。それがルナのいた施設だ。当然、国民の批判は殺到……何の為の施設なのか。化学兵器、クローンなど様々な憶測が飛んでいた。だが政府はそれを明らかにしなかった。その対応が政府への不信感をさらに高める結果になったんだ。一年も経たぬ間に国民の大半が選挙権を放棄。デモが頻繁に起こるようになった。さらに日本人の四分の一が諸外国へ移住した事もあって、税収が激減した日本は事実上、経済破綻した。都市は衰退し、地方に移る者も多かった。その状況にアメリカ、イギリス、ドイツなど、各国が経済支援を表明。しかし、支援とは程の良い理由で日本を自分達の思い通りにしたかったんだろう。難民の受け入れ、関税の完全撤廃など日本は言いなりだった。ただ、そのおかげで日本は再び経済成長を始めたんだ。それから二年……日本は国家として再び自立した。だが、その代償は大きかった。安全神話は崩壊、治安が悪くなってテロが起こるようになった。ちょうどその年にSBが設立された。そして現在は国民の半数が外国籍の多国籍国家となっている。俺はその間の二年、この事件を追い続けた」
そこで皆が目を丸くした。
「あ……言ってなかったな、俺はジャーナリストだったんだよ。あの研究施設を調べ続けた結果、ある人物に会うことになった。死んだと言われていた当時の総理大臣、丸山総一郎だ……ひたすら隠れていたらしい。丸山が北条ヒカルに聞いた話では、あの研究施設ではヴァンパイアを研究し、それを医療へ応用させようとしていたそうだ。当然政府がそれを主導していた。その研究対象がシーヴェルトだと言っていた。シーヴェルトの口から、感染させる事ができるのは自分だけだと言っていたらしく、そこで知り得た情報や研究データは別の施設に送信していたらしい。当時、妊娠した女性を感染させて誕生した子供がウィルスへの耐性を持っているかという研究が進められていたそうだ。ルナはその実験の被害者なんだ。ほとんどの子供はヴァンパイアとして生まれたが、ルナだけは違った。唯一、ルナだけが感染していなかったそうだ。今度はルナが研究対象になった。ただ、北条ヒカルだけはルナを助けたかったみたいだがな……そして事件が起こった。官邸を襲撃した三人はヴァンパイアだったそうだ。そしてシーヴェルトと共に姿を消した……と、まぁこんな感じだ」
「何故すぐにシーヴェルトを探さなかったんですか?」
ハジメがすかさず質問した。
「ヴァンパイアを捕獲していたなんて知られたら、世界中から批判を浴びて、それこそ国を奪われていただろう。それにもしかしたら各国が捕獲しようとしたかもしれない。だから支援が終わるまで手を出せなかったんだろう」
ハジメはまだ何か言いかけたが言葉を飲み込んだ。入れ替わるように今度はサラが質問する。
「ルナだけが感染しなかったのは何故なんですか?」
「俺は研究者じゃないから詳しくは分からんが、フィリップ博士が言うには先天性色素欠乏症だった為にコアが変異し、βウィルスがメラニンを生成する器官に変異したのではないかと……だからこそ虹彩異色症になったのだろうと言っていた。髪の毛も真っ白というよりは白銀って感じだろ?」
ルナは自分の髪の毛を掴んで眺めたが、そもそも白と白銀の違いが分からなかった。そんなルナに目を細めていた銀次だったが、思い出したようにその目を見開く。
「おぉ、すまん! 隊長に呼ばれていてな……これからまた報告なんだ」
そう言うと銀次は足早にオフィスから姿を消した。銀次が出て行ってからも、重苦しい沈黙がオフィスを漂っていた。
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