番外編1 ハカセとたんぽぽ
たんぽぽが猫島にやって来たのは、今から二年以上前のことだ。
真っ暗な箱に入れて運ばれてきたので、どうやって今の家に来たのか知らない。
いや、どうやって来たかどころか、どこから来たのかすらも定かではない。
移動中は常に揺れていて、聞いたことのない音がたくさん聞こえてきたのは覚えている。
それは、彼がまだ乳離れするかしないかといった年頃の出来事だった。
甘えん坊の子猫のだった彼は、母猫や兄弟たちと引き離されて心細くて仕方がなかった。
声が枯れるまで、家族を呼んだ。
返事はなかった。
それでも、幼いたんぽぽは希望を持っていた。
探し続ければいつかまた、母猫や兄弟に会えるだろうと。
それから長い間、たんぽぽは家族を探してあてもなく島内をうろついていた。
そんな時に出会ったのが、ハカセだった。
†
たんぽぽより半年以上年上のハカセは、出会った時には既に一足早く大人の仲間入りをしていた。
ずば抜けて頭の良い彼は、若くして人語をマスターし、書物やテレビから膨大な知識を得ていたのだった。
ハカセのような賢い友達の助けがなかったら、たんぽぽは何も分からないまま生涯を終えたかもしれない。
ここが小さな離島であり、自分が生まれ育った家がこの島のどこにもないということすら、認識できないまま。
今はちゃんと分かっている。
自分はもう、二度と家族には会えないだろうということを。
それでも、もしかしたら家族の誰かが運ばれてくるかもしれない。そう思い、諦めることができないでいる。
気が付くと、往来で見かけた茶トラの猫を凝視している自分がいた。
どこかで茶トラの猫が死んだという話を聞くと、いてもたってもいられなくて現場に急行してしまう。
明るく朗らかなたんぽぽだが、心の片隅に孤独があった。
他の猫とは明らかに違う巨大な身体。
友達や仲間がいないわけではないけれど、どこへ行っても自分一匹だけが浮いてしまう。
――家族が側にいれば、こんな思いをしなくて済むのに。
自分が生まれ育ったあの場所には、この島の猫よりずっと大柄な猫が、老若男女、所狭しと暮らしていた。
初対面の時に、異常な物を見るような目で見られるのが嫌だ。家族と会いたい。
望みを捨てきれず、仲間を探すたんぽぽの姿を見かける度に、ハカセの琥珀色の瞳は大きく揺れた。
繊細な彼はきっと、たんぽぽの気持ちを推し量り、心を痛めているのだと思う。
†
初めて出会った時、ハカセはションボリ顔で話しかけてきた。
「あの……。誰か、お探しですか?」
家族を探してずっと呼び鳴きをしていたのを見られていたのだろう。
丸メガネみたいな面白い柄の猫だった。
大柄なたんぽぽが未だ子猫であることにも気付かず、ビクビク怯えながら敬語で話しかけてきた。
身体が大きいせいで怖がられることにウンザリしていたたんぽぽ。彼は内心でため息をついた。
しかし、その猫の様子は何かが違っていた。
琥珀の目が揺れている。
巨大な猫に怯えているというよりは、心底悲しんでいるように見えた。
「すみません。おせっかいかもしれませんが、家族を呼んでいる声が聞こえてきて……。自分も生き別れた親兄弟を探しているものですから、他人事とは思えず。何かお力に慣れることはありませんか? といっても、人語が分かって文字が読めるくらいの特技しかありませんが……」
聞き上手なハカセは、たんぽぽの相談に親身になって乗ってくれたし、全ての謎を解明してくれた。
真面目で誠実な彼は、たんぽぽを煙に巻くようなことはしなかった。
包み隠さず全てを説明してくれたおかげで、自分がなぜここに一匹でいるのか理解することができた。
それだけではない。
この世界が自分が思っているより、ずっとずっと広いということ。
徒歩では到底たどり着けないような、とてつもない距離を運ばれてきたこと。
そして、元いた場所には二度と戻れないだろうということも。
これらの事実を説明する間、ハカセは今にも死んでしまいそうな顔をしていた。
自分の事でもないだろうに、たんぽぽ以上に悲しんでいる顔を見ていると不思議と涙は出てこなかった。
ハカセの性格を知った今なら分かるが、初めて話しかけてきた時、ブルブル震えていたのはたんぽぽの巨体を怖がっていたからではない。
自分よりずっと小さな子猫だろうが、大きな猫だろうが、見知らぬ猫は皆、彼にとっては恐怖の対象だった。
ハカセは過去のことを詳しくは語りたがらないが、話す内容から色々と推察はできた。
家を焼け出され幼くして母猫を失った彼は、子猫時代にかなり辛い思いをしたようだ。
神社の神主に保護されるまで、餌の奪い合いで大人の猫たちに虐められて兄弟が散り散りになり、死ぬような思いで生き延びてきた。
そんな彼は、初対面の猫にトラウマを抱えている。
下手をすると、知らない猫と関わったストレスで体調を崩したり、過呼吸を起こしてぶっ倒れるくらいには。
だから、よほどのことがない限り、ハカセが自ら進んで知らない猫に関わっていくことはない。
たんぽぽに初めて話しかけてきたとき、彼があんなにも震えていたのは。
他の猫とは違うたんぽぽを色眼鏡で見て恐れていたのではなく、勇気を振り絞っていたからだ。
†
そんな二匹が仲良くなるまでに、さして時間はかからなかった。
たんぽぽは若やマグロとも仲良くしているが、ハカセの近くに陣取っていることが多い。
これは彼が一番の親友だからというのもあるが、一種の猫よけのような意味合いもある。
天才的な頭脳を持っているにもかかわらず、他の猫とまともに関われない。そんなハカセもまた、猫の世界では浮いてしまう。
気が弱くてオドオドしているからか、目を離すとすぐに虐められているので油断ならない。
トラブルに巻き込まれやすい友達をボディガードするのは大変だか、苦ではなかった。
たんぽぽはただ、ハカセの力になりたいのだ。
夕暮れの中で、何だかとても寂しくて。
どこかに帰りたいのに、帰りたい場所がどこかも分からなくて。
届かない声を張り上げていた時。
その呼び声に応えてくれる猫が1匹でもいたことは、たんぽぽにとって幸せなことだったから。
たとえ探していた家族でなかったとしても、応える者があった。それは孤独に鳴いていた彼はにとって、確かに救いだった。
ハカセもたんぽぽも、返ってこないはずの返事をずっと待っている。
この世界に一匹だけ取り残されているような孤独は一生消えないだろう。
けれども、この島の仲間とみんなで生きていくことはできる。
ハカセ、若、マグロ。
彼らと自分は一目見て分かるほどに、あまりに違いすぎている。
しかし、小くて個性的な彼らと過ごす明日は、今日と同じくきっと楽しいに違いない。
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