18 犯人確保

 ボロボロに朽ち、所々ひび割れて薄汚れたコンクリートの階段。


 手入れされないまま長年放置されたその場所は、丈の短い草が生い茂っている状態で、辛うじて人間が歩けるといった惨状であった。


 とはいえ猫にとってはさして悪路という訳でもなく、隊列を組んだ集団がゾロゾロと滞りなく降りて行く。


 クロベエたちから聞いたとおり、廃港までの道はそう遠くなかった。


 港とは思えないほど荒廃したその周辺に人の気配はなく、ただ岩場に叩きつけるように打ち寄せる波の音だけが聞こえてくる。


 と、マグロが唐突に大きな声を上げた。


「ねえ、あそこを見て! 桟橋に小さな船が繋いであるよ!」


 ずば抜けて目の良い彼は、発見したものを目がけて一直線に走って行く。


「おい、足元に気を付けろよ!」


 と、慌ててその後を追う若たち。


 マグロの言葉通り、そこにはボロボロに朽ちた桟橋があり。


 誰の姿もない廃港にポツンと一艘、小さな船が繋いであった。


 ブッチたちがここにいない今、これが町長の船であるか確証はなかったが。真新しいロープを見る限り、少なくとも最近やってきた船であることは確かだった。


 猫たちは熱心に船を見分した。だが、自慢の鼻をもってしても、特にこれといった発見はなかった。


「手がかりになりそうなものは残っていないな。だが、この船にはエンジンが付いているし、大きさもブッチたちの証言と合う。きっとこの船が町長が乗って出て行ったやつだ。この周辺にまだ潜んでいるかもしれない。ミルク、同居人の匂いを辿れそうか?」


 ミルクは船の周囲の匂いをスンスンと必死に嗅ぎ取って回ったが、やがてしょんぼりとした顔で答えた。


「ダメです。汐の匂いがキツすぎて嗅ぎ分けられませんわ。それにしても、海を見るのは初めででしたのに、まさかこんなに生臭いものとは。ちょっとガッカリですわ」


「ホントホント、せっかくの夜景が台無しだよ」


 と顔をしかめるマグロ。彼と同じく嗅覚が優れているハカセも、すごく嫌そうな顔をしている。


「これは酷い。大量の生魚を積み上げて放置したみたいな、ものすごい臭いがしますね……」


「魚だらけのボクの家より酷いや。綺麗に掃除されている漁港や魚市場と大違い。この臭いは酷すぎるよ」


 クロベエはしばらく考え込んだ後、仲間を見回した。


「なあ、お前たち、ここってこんな臭いだったか?」


 どうだったっけと黒猫たちが顔を見合わせていると、中堅幹部らしき賢そうな猫がクロベエの問いに答えた。


「いえ。自分にはいつもとは違う臭いがするように感じられます。魚のようでいて、おいしそうな食べ物といった感じではない。何とも変な臭いですね」


 クロベエは船の周囲を嗅ぎまわり、臭いが特に強い場所を探り始めた。


「ここだ。この岩場。このあたりからプンプン臭うぞ」


 強烈すぎて目を回しているマグロとハカセに代わり、クロベエが海岸線から陸地に向かって行く痕跡を辿っていく。


 不審な臭いを頼りに進んで行くと、波の音に混ざってヒソヒソと人の声が聞こえて来るようになった。


「声の主に近づいてきてるな」


 と、つぶやく若。


 低く抑えたような声で、猫の聴覚でギリギリ捕らえられる程度のはっきりしない声。


 臭いを頼りに進んで行くと、奥まった入り江に隠れるようにして、小さな洞窟の入口がぽっかりと開いているのが見えた。


 洞窟に近寄ると、その中に声の主がいることが確信できた。


 無数の猫が足音を殺して入口の前に集まっていく。


 その間も、奥からは雄の缶切りの声らしきものが断続的に響いてくる。人間の言葉が分かるハカセとミルクは、何を喋っているのか聞き取ろうと耳を澄ました。


 それは理解不能な音声の羅列だった。聞いたこともないような言語。ミルクはちょこんと首をかしげた。


「お父さんの声に似ていますわね。でも、何て言っているのかさっぱり分かりませんわ」


「シィ! 静かに!」


 耳をピクピクさせて、聞こえて来る音を逃さないように集中するハカセ。彼は唐突にカッと目を見開き、全身の毛を逆立たせた。


 ピンと手足を突っ張って、微動だにせずその場に固まっている。まるで猫をかたどった石像であるかのように。


「どうしたハカセ? 何があった?」


 心配した若が詰め寄る。何度も声をかけたが、ハカセはしばらく凍り付いたままだった。


 しばらくして我に返ったハカセは、ブルブルと全身を震わせた。口をパクパクさせ、喘ぐようにハァハァと口呼吸を繰り返しながら、若に返答する。


「分かりません。あれが言語なのかすら、自分にはわかりません。でも……」


 ハカセは見たこともないような表情で言葉を続ける。


「あの声を聴いているだけで、何か取り返しがつかないことが起きようとしているのではないか。そんな強い不安に駆られるんです。あれはきっと良くないもの。根拠はありませんが、早く止めた方がいいと、そう思います!」


 そして、人一倍臆病なはずのハカセが何かに突き動かされるように動きだす。


 彼は真っ暗な洞窟内へ迷うことなく足を踏み入れた。


 唐突に先を行くハカセに虚を突かれた猫たちが、勢いでその後にゾロゾロと続いて行く。


 洞窟の入口周辺は潮だまりになっていて、通路は狭く足元はゴツゴツしていた。


 登り勾配になっているので洞窟の中が完全に水で満たされることはなさそうだが、満潮時は入口が水没して出入りが困難になるに違いない。


 だが、幸いなことに、今は潮が大きく引いている。


 仲間の安全確認のために周囲を注意深く観察していた若は、当面の間は問題なく出入りできそうだと判断すると、場当たり的に動き出した猫たちの流れに乗って進んで行った。


 猫にとって問題なく進める暗さだが、奥の方から微かな明かりが漏れて来ている。


 その洞窟は少し進むと行き止まりになっており、奥は少し開けた空間になっていた。そして、そこに探していた人物の姿があった。


「あ! このニオイ知ってるよ! あのすっごいヒゲのオッサン! ほら、あいつだよあいつ! 町長だよ!」


 すっかり興奮したマグロがニャーニャーと大声を出すと、こちらに背を向けていた町長が、ひどく驚いた様子で振り返った。


 町長の傍らには、若い女性の姿もあった。


「おい、誘拐犯だけじゃなくて探していた人間もいるぞ! 間違いない、俺たちに食糧を運んで来ていた女だ!」


 と、騒ぐクロベエ。


 斎藤ひな子と思われる女性は縄でグルグル巻きにされ、ガムテープで口をふさがれて、壁に寄りかかるように地べたに座り込んでいる。


 その目の前、蝋燭のか細い明かりにぼんやりと照らされた足元に、赤いチョークで気味の悪い文様が描かれているのが見えた。


 円陣のような文様に、良く分からない文字のような物が刻まれている。 


 円の中心には金属製のボウルのような容器が置かれており、生け贄と見られる小動物の死体と、得体の知れない赤黒い液体で満たされている。


 そんな洞窟内には、魚を煮詰めたような強烈な臭いがこびりついていた。


「ね……猫!?」


 町長もひな子も、驚きのあまり目を見開いて闇の向こうを凝視している。


 夜目が利かない彼らにも、光に照らされ暗闇に無数に輝く猫たちの眼が見えているようだ。


 そんな隙を見逃すはずもなく、血気盛んな黒猫たちが何匹か町長の足に食らいついていった。


 あたりに反響する恐ろしい唸り声をかき消すように、ミルクは大声を上げながら駆け出していく。


「乱暴はやめて! 話をさせてちょうだい!」


 町長を背後に庇うようにして、仲間に威嚇をするミルク。


 勢いに押された黒猫たちがいったん引くと、ミルクは言葉が通じないのも忘れて猫の言葉で町長に語りかけた。


「ねぇ、どうしてこんな酷い事をしたの? 人間のお嬢さんを誘拐するどころか、猫まで手にかけて。きっと何かの間違いだと信じていたのに。本当にお父さんが犯人だったなんて! ねぇ、一体何があったの? どうして虎徹さんは死ななければならなかったの? お願い、答えてよぉ!」


 ミルクはボロボロと涙を流しながら、大きな声で喚く様に町長を問い詰めた。


 言葉が通じなくても責められていることは理解できたらしく。


 町長はその場にがっくりと膝をつくと、地面に頭を擦り付けるように土下座をした。


「許してくれ! お前たちの仲間を死なせるつもりはなかったんだ! 本当だ、信じてくれ」


 とたんに、興奮した猫たちの罵声が洞窟に響き渡る。


 猫殺し! 猫殺し!


 四方八方から攻め垂れられた町長は、頭をかきむしって狂ったように叫んだ。


「ああ、何もかもが手遅れだ! 神の遣いに酷い手傷を追わせてしまった! 奴らは怒っている! 島のためにはもう引き返せない! 一刻も早く生贄を引き渡して、弁明をしなければ神罰が下るに違いない!」


 その血走った目を見開いたまま、彼はガタガタ震えていた。


「おまえたち、早く逃げなさい! 彼らは仲間に危害を加えたこの島の猫を恨んでいる。私はすでに奴らの遣いをここに召還する儀式に成功した! あいつはすぐにこの洞窟にやって来るだろう!」


 と、ちょうどその時。


 洞窟の入口が面している入り江の潮だまりの方から。

 

 ――ベチャリ。

 

 嫌な音が聞こえてきた。

 

 水気を含んだような重たい足音。何者かが、ゆっくりとこちらに近づいてくる。


 思わず振り返った猫たちは全員、言葉を失った。

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