16 ボス猫クロベエ
北の廃鉱山は高いフェンスで囲まれており、人間の立ち入りは禁止されているようだ。
もっとも、猫くらいの大きさの動物なら、隙間を潜り抜けて自由に通り抜けることができるけれども。
人の手が入っている場所を外れたのか、フェンスの先はうっそうと茂る暗い森になっていた。
「この道を少し進むと、開けた場所に出るのさ。迷子にならないように、ちゃんと着いてくるんだよ」
クロエの言葉に、全員が神妙な顔で頷いた。
夕焼け空の赤みが少しずつ、暗い色に塗り替えられていく。
夜が近づくにつれ、荒廃した山の姿は凄みを増していった。
こんな時間帯に足を踏み入れるには、とても勇気がいる場所だった。
宵闇で黒くふちどられた森の有様は、野外に慣れている野良猫にとっても、ひどく恐ろしく感じられた。
鉱山が閉鎖されて人の出入りがなくなった一帯の山は手入れが行き届いておらず、日中でも十分な光が届くことはないだろう。
空の明かりが頼りなくなってくる中、クロエの案内を受けることができた探索者たちは非常に幸運だった。彼女がいなければ、クロネコ団の元に着く前に迷子になっていたに違いない。
本当にこの先に猫の住み家があるのか、と半信半疑でクロエの後を追う。だが、道なき道を進むにつれて、猫の匂いがどんどん濃くなってきた。
やがて背の高い茂みを抜けると、岩肌や土がむき出しになった開けた場所に出た。
途端にマグロが声を上げる。
「うわ、すごい、本当に黒猫しかいない。こんなにたくさん黒猫がいるとは思わなかったよ。ねぇ、どこかに若ちゃんの兄弟もいるんじゃない?」
「こら、騒ぐな。相手を刺激するだろーが」
そうたしなめた若の考えは正しかったらしく、マグロののんきな鳴き声に呼応するように四方八方から唸り声が返って来る。
強面の黒猫たちが周囲を取り巻くように、恐ろしい剣幕でこちらを威嚇してきた。
「いきなり訪問してすまない。おれたちは戦いに来たわけじゃないだ。話を聞いてくれ」
と、たんぽぽが一歩前に出ると、黒猫たちが動揺するのが伝わってきた。
「デカい」「デカいぞ」「なんだあれ?」「本当に猫か?」
たんぽぽを警戒してざわめく黒猫の群れが割れるように動き、ひときわ体格の良い雄の黒猫が姿を現した。
「何者だ? 何の用でこんな場所にやってきた?」
偉そうにしているのは、彼らのボスだからだろう。若たちをジロジロと品定めするように見た黒猫は、見知らぬ猫の大半が首輪をしていることに気付いて舌打ちした。
「飼い猫ばっかりじゃないか。しかも弱そうな女も混ざってるし。ここは人間様にヨシヨシされてる温室育ちの飼い猫どもが暮らせるような場所じゃない。怪我をしないうちにとっとと帰りやがれ!」
と、吐き捨てるように言う。
その時だった。
「彼らはアタシの連れだよ。ずいぶんとまぁ、酷い言い草じゃないかクロベエ」
若やたんぽぽを押しのけるようにして、クロエが前に進み出た。
彼女の姿を見かけたとたん、威嚇を繰り返していた黒猫たちが一斉に口をつぐんだ。
ざわざわと小声で囁く声が聞こえて来る。「クマ殺しのクロエだ」「猛犬キラー」「クロエの姐御が帰ってきた」と。
クロネコ団のメンバーは、なにやらクロエに一目置いているように見えた。
よそ者に気を取られ、その後ろに隠れていた小柄で黒い色をしたクロエの存在にようやく気付いたクロベエ。
その金色の目は驚きのあまり、まるで満月のようにまん丸になっている。開きすぎて、今にも零れ落ちそうだ。
「な!? なんでババァがここに!?」
ダラダラと冷や汗を流すクロベエの脳天を、クロエの鋭いチョップが直撃する。
「コラ! 相変わらず失礼な子だね! クロエ母さんとお呼び!」
黒猫たちの反応を見る限り、クロエの地位はかなり高いように見えた。
一方的にポカリとやられたクロベエも、怒るどころかタジタジと言った感じで腰が引けている。
チャンスだと思った若は、黒猫たちの勢いが削がれたタイミングを逃さずに自分たちの用件を一気に説明した。
人間が拉致されたこと、それを助けようとした猫が何者かに殺害されたこと、そして、これまでの調査結果。
流されて黙って話を聞くことになったクロネコ団だったが、若の話が終わるとクロベエが「ケッ」と悪態をついた。
「人間どもやよその猫がどうなろうが、俺たちの知ったこっちゃないね」
「お黙りクロベエ! お前には唯一の肉親を失った子猫の気持ちが分からないのかい! わたしゃアンタをそんな薄情な子に育てた覚えはないよ!」
「な、なんだよ。他人ごとになに熱くなっているんだよ。ババ……アンタにとっても関係ない話だろ?」
と、勢いに押されながらも不服そうな顔をするクロベエ。
そんな彼をクロエはピシャリと怒鳴りつけた。
「馬鹿を言うんじゃないよ! 攫われたのはアタシらに毎日食べ物を運んでくれていた、あの親切な人間だよ!」
その言葉を受けた黒猫たちに衝撃が走った。
最も顕著な反応を見せたのは、子連れの母猫と子猫たちだった。
「まぁ、なんてこと!」
「いつもカリカリした美味しいやつを持ってきてくれる人間が?」
「あの優しそうなお姉ちゃん、死んじゃったの?」
「ねぇクロベエ、なんとかならないのかい? ここ数日、アタシら何も食べていないだろ?」
「このままじゃ、お乳が出なくなってしまうよ」
子猫たちは、自分で狩りをして獲物を取ることはできない。
乳飲み子を抱えた猫たちは、切実な声を上げた。
クロエはそんな猫たちに諭すように言う。
「自分たちの都合ばかり喚くんじゃないよ! 感謝の気持ちを忘れたのかい? あの人間が来てくれるまでは、多くの子猫が冬を越せなかったし、獲物が取れないときは飢えで仲間を失うことも少なくなかった」
「でも、あの人だって人間だし……」
「確かにそうさ。ご先祖様を殺したのは人間だ。でも、アタシらの命を救ってくれたあの人も同じ人間なんだよ。猫にも色んな奴がいるように、全ての人間が猫殺しの悪党ってわけじゃない。怪我と病気で弱っていたアタシを助けてくれて、温かい寝床を作ってくれたのも人間だ」
「でもねぇ。人間なんかと関わり合いになると、ロクなことにならないんじゃないかなぁ」
「やっと静かに暮らせる場所を見つけたのに。下手に調査に協力して、ここが人間に見つかったら困るよ」
などと、言い合う女性陣。
しばらく無言を貫いていたクロベエだったが、やがてため息をつきながらこう言った。
「まぁ、人間から一方的に施しを受けるってのも癪だしな。これまでの借りを返す良い機会かもしれねぇ」
口ではそう言っているが、クロベエの目は真剣だった。
義理堅いこのボス猫もクロエと同じく、仲間を飢えから救ってくれた人間に感謝しているのだろう。
彼はこれまでに部下から報告のあった話を要約して教えてくれた。
大筋はクロエやチョビから聞いた話とほとんど同じだった。
「確か2、3週ほど前からだったと思う――。西の海岸寄りに住んでいる仲間から、多数の報告が寄せられるようになったんだ」
目撃者によると、真夜中に東の方から小さな船影がやって来るようになったのだという。それも毎日のように。
海岸線沿いを縫うように走る、真っ黒な船影。
そいつが現れると、決まって海の方から妙な物音が聞こえて来るという。
また、そんな夜には海の方から大量の魚を煮詰めたような、不審な臭いが漂ってくることが多いそうだ。
魚に似て生臭い、それにしては食欲をそそられない妙な感じの臭いだとか。
クロベエも何度がそのような、不審な出来事に遭遇したことがあったと語った。
「ここのところ、真夜中に気色悪い声が海の方から聞こえてくる時があって、皆が気味悪がっているんだ。どっちかっていうと、何人かでボソボソと喋っているような感じだな。あれは動物の鳴き声というより、人間の声に近い気がする。俺は人間について詳しく知っているわけじゃないが、この辺の人間からは聞いたことのないような妙な言葉をしゃべっていたように感じた」
「ここいらに人間がやってくることはあるのか?」
クロベエはきっぱりと首を横に振った。
「いいや。鉱山がダメになってからはずっと放置されているらしく、人間は滅多にやって来ない。あの不気味な声は、位置的におそらくこの島の北北西にある廃港から聞こえてきているんだと思う。この島の北部には人間の住み家は一軒もないからな。あの辺りで人の声がするはずないんだよ。だから、少し前から見かけるようになったあの船と関係があるんじゃないかと思っている」
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