3 猫による実況見分

「いや、ぼく、まだ帰れない。ひな子お姉さんを探さないと」


 小さな子猫は、まるで自分に言い聞かせるように答えた。


「そっか、まだ小さいのに、偉いねぇ」


 そう言って、子猫の頭を優しくグルーミングするマグロ。


 安心したのか、虎丸はグルグルと喉を鳴らす。マグロのことを信頼できる相手と判断したようだ。


「ねぇ、マグロさん。このあたりで町長を見かけなかった? 大きな荷物、その、たぶん薬か何かで眠らせたお姉さんを抱えて行ったんだと思うんだけど」


「ふむふむ。ボクはそこの漁協に住んでるけど、そういった話は聞いたことがないなぁ。町長って、あの頭が白くてすっごいヒゲの人間でしょ? 確か、この島の人間のボスだって話だよね。ボク、その人間なら、何度か見かけたことがあるから知ってるよ。なんか偉い奴みたいで、漁協の人たちがめっちゃヘコヘコしてた。……あ。ところで、その紙切れは何? 君のおもちゃ?」


 コロコロと興味の対象が変わるマグロのペースに飲まれたのか、虎丸は最初の警戒心も忘れて素直に答えた。


「えっとね、たぶんこの紙に、誘拐されたお姉さんのことが書いてあると思う」


「あ。これ、人間の文字とかいう奴だよね。それならボクの友達が読めるよ。おーい、ハカセ、ちょっとこの紙を読んでみてよ」


 人見知りで繊細な所があるハカセは、自分よりずっと小さい子猫に怯えていたが、マグロにしつこく呼ばれたので渋々やって来た。


「な、なんですか、もう。はいはい、分かりましたよ、読みます読みますって。……ふむふむ。人間の失踪事件ですか。これがその子猫と、何の関係が?」


「すごい! お兄ちゃん、これが読めるの?」


 虎丸が驚いたようにハカセを見ると、彼は相手から目を逸らしながら一歩後ろに下がった。マグロは不満げな声を上げる。


「えー、ハカセだけズルいよ! ボクも読みた~い」


「分かりました。読み上げますから、そんなにつつかないで下さい。まず、これは今日の朝刊です。概要をまとめると――」


 ハカセは記事の内容をスラスラと説明した。


 内容はこうだ。


 4日前の夜間に、この島の東部に住む20代半ばの独身女性「斎藤ひな子」が失踪した。彼女はこの島の駐在である斎藤巡査の一人娘である。


 記事によると、彼女が島外に出るための唯一の手段である連絡船に乗った形跡はなかった。また、島内には防犯カメラはほとんど設置されていないため、家を出てからの足取りは不明のままだという。


 斎藤家が応接間として使用していた部屋には使用済みの2つのカップが残されており、床の上にこぼれていた紅茶から高濃度の睡眠薬が検出された。このことから、事件性が高いと判断され、即座に警察による大規模な捜査が始まった。


 警察官への怨恨の線もあったことから、人口120名程度の小さな島に、本土からの応援を含め50人もの警察官が派遣された。


 3日3晩かけて島中を捜索したらしいが、今朝の時点でまだ見つかっていない。


「だからここのところ、普段見慣れない人間がその辺をウロウロしていたわけか」


 ハカセの話に興味があったのか、少し離れた場所に立っていたたんぽぽと若もにじり寄って来た。


 そして、いつの間にやら子猫の周りは、4匹の猫で囲まれていたのだった。


 巨漢やら強面やらに囲まれて困った虎丸は、一番体格が小さくて安全そうなハカセの後ろに隠れている。


 もっとも、見知らぬ子猫に急にしがみ付かれたハカセの方が怯えているように見えなくもないが。


 若は目を細め、少し考え込んでから口を開いた。


「なるほどな。そいつがさっき叫んでいた言葉から察するに、失踪した人間はその子猫の同居人ってことか。そして、兄弟猫がその犯行現場に居合わせた、と。……おい、チビ。事件が起こった場所は、駐在所か?」


 虎丸はビクッと震えあがったが、気迫に押されてコクコクと激しく頷いた。


「そ、そうです。それで、兄ちゃんは犯人を追って外に飛び出して……あんな姿に……」


 思い出したら我慢できなくなったらしく、子猫はシクシクと泣きだした。


 面倒見の良いたんぽぽは慌てた様子で、子猫に声をかけてはあやしている。


 その様子を眺めつつ、若はマグロとハカセを真剣な顔で見つめて言った。


「こうなったら乗りかかった舟だ。俺も調査に協力する。もちろん、お前らもだ。マグロは目鼻が利くし、ハカセは人間の言葉が読めるだろ? 事件現場を調べたら、何か手がかりが見つかるんじゃねぇか? 詳しい話を聞くにしても、現場を見ながらの方が分かりやすいしな」


「ええ、自分も若さんの意見に賛成です。事件発生からかなり時間が経っているので、証拠が見つかるか現時点では何とも言えませんが。この子もあちこち怪我をしているようですし、家に送るついでに調べてみましょう」


「じゃ、出発進行~! ほら、たんぽぽ、その子を家まで送りに行くよ」


 虎丸は困惑した。


「え、でもぼく……」


 マグロは胸を張って答えた。


「だーいじょうぶ、お兄さんたちに任せなさいって。君が探してる人間、すぐに見つけ出してきてあげるからさ!」


 ハカセも、必死で援護する。


「そ、そうです。若さんの仲間もいますし、みんなで協力すればすぐに見つけ出せるはずです! それに、軽傷で済んだのは幸いなのでしょうが、君は怪我してるんです。家で大人しくしている方がいいと思います」


「そうと決まれば、善は急げだ。お前たち、行くぞ!」


「おう!」


 と、元気よく返事をしたたんぽぽ。


 彼は安心のあまりグズグズ泣き出した子猫の首根っこをくわえ、スタスタと駐在所に向かって歩いて行く。


 駐在所はこの島に南北に走る、この島唯一のメインストリートの対岸にあった。


 道路の横断は危険が伴うことが多いが、魚を出荷するのは朝一の船便で終わっているので、日中は作業用の軽トラがまばらに走っているくらい。


 子猫を連れていても、問題なく渡ることができた。


 駐在所の入口には黄色いテープが付いており、駐在さんと同じ青っぽい服を着た男が入口に立っていた。


 たんぽぽは子猫を地面に降ろすと、ヒソヒソと仲間たちに告げた。


「たぶん、勝手に家に上がろうとしたら、あの青い服の人間に邪魔されると思う。おれは調べ物が得意じゃないし、図体がデカくて目立つから足止め役になろうと思う。おれが注意を引き付けている間に、こっそり忍び込んで調べてきてくれ」


「分かった。気を付けろよ」


 たんぽぽは一同と別れ、見張りをしている警察官に向かって行った。


 しばらくして、にゃーんとカワイ子ぶった猫の鳴き声と共に、浮ついた人間の声が聞こえてきた。


「あー、ネコチャーン! かわいい、かわいいね。君、どこからきたの? え、うそ、触ってもいいの!? ああ、モフモフ、モフモフだぁ……」


 若は落ち着かない様子で、ハラハラしながら様子を伺っている。


「何だあいつ! めちゃくちゃ煩く鳴いてるぞ! もしかして、たんぽぽ、威嚇されてるんじゃないか? 早く助けに行った方が……」


 焦る若に対し、ハカセは嬉しそうな顔で報告した。


「どうやらあの人間は、かなりの猫好きだったようです。あの様子だと、危害を加えて来ることはないでしょう。さ、たんぽぽさんに夢中になっている間に、背後をスルッと抜けてしまいましょう」


 人間は猫ほど耳が良くないため、背後を足音を殺した多数の猫たちが通過しても気が付かなかった。


 こうして首尾よく忍び込んだところで、若は虎丸に向き直った。


「さて、チビ助。まず飯を食いたいところだとは思うが、さらわれた人間のことを考えると悠長にしてはいられねぇ。悪いが、事件現場に案内してくれ。そこで事件のあった日のこと、詳しく説明してくれると助かる」


「はい、こっちです」


 案内されたのは、ごく普通の和室だった。


 テーブルや畳のあちこちに、白いテープのようなもので囲った跡が所々に残っている。


「マグロ、ハカセ、現場を調べるのは任せた。俺はこいつから話を聞く」


 2匹は室内に散って、有力な物証がないか家探しを始めた。


 そして若は虎丸に向き直る。


「さぁ、俺たちも情報を整理するぞ。取りこぼしている手がかりがみつかるかもしれないからな。まずは、人間が拉致されたときの状況を詳しく聞かせてくれ」


「えっとね、あの日は、駐在さんが出かけた後に、町長さんが訪ねてきたの。たまに相談とかに来るから、顔は良く知ってます。テーブルのこっちにひな子お姉さんが、こっちに町長さんが座ってお茶を飲みながら話をしていたの。しばらくして、お姉さんが眠いって呟いた後に、バタってこのあたりに倒れて……」


「なるほど、じゃあ、この畳のシミが、飲んでいた睡眠薬入りのお茶か。で、その後どうなった?」


 虎丸は悲しそうな顔で答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る