第244話 親子喧嘩

 俺が帰宅すると既に母さんの靴があった。リビングの方から人の気配がする。多分母さんだろう。俺は「ただいま」と挨拶しながらリビングに入った。


 母さんは相変わらずリビングでサメ映画を鑑賞している。付箋が張ってあるノートにメモを書き込んでいた。そのノートにはびっしりと文字が書かれていて詳細な分析をしたんであろうと予測できる。サメ映画をここまでガチで見なきゃいけないって演出家って大変なんだなと改めて思った。


「ああ。琥珀。おかえり。冷蔵庫におやつのシュークリームがあるよ」


「そう。ありがとう」


 別におやつでテンションが上がるような年齢でもないけれど一応冷蔵庫の中身をチェックする。そこには、白い紙製の箱の中に表面がパリっと焼き上げているタイプのシュークリームが入ってた。このタイプも嫌いではないけど、俺としては生地がしっとりしているタイプの方が好きだ。とはいえ、これはシュークリーム限定の話でから揚げとなるとまた話は変わってくる。から揚げは出来立てのカリっとした揚げ具合が最高なので、レモンを勝手にかける奴は万死に値する。


「母さん。時間ある時で良いから話があるんだ」


 俺は冷蔵庫からシュークリームを1個取り出して、食べながらそう言った。


「時間? 今でも大丈夫だよ」


「サメ映画の研究をしているんじゃないの?」


「この映画は既に20回は見ている。アンタの話を聞きながらでも内容は頭に入ってくるさ」


 それ以上見る意味があるのか問いただしたくなるような視聴回数だ。画面の方に目をやるとサメの背中からミサイルが発射された。どういう状況だよ。


「母さん。俺、今度コンテストに出ようと思ってるんだ」


「何の? ミスターコンだったらやめときな。アンタが出ても恥かくだけさ」


 自分の息子に向かって失礼極まりない母親だなあ。そこにツッコミ出したら話の収拾がつかなくなるので、あえてスルーしよう。


「違うよ。全国の高校生が3Dモデリングの技術を競うものなんだ」


「ふーん……3Dモデリングねえ」


 母さんの手が止まった。一気に空気感が変わった。


「一応、このコンテストは大学に進学する時や就職する際に実績として書けるタイプのものみたいなんだ。今後の進路にも有利になる可能性もあるし、高校生活の思い出として参加するのも悪くないんじゃないかなって」


「なるほど。詳しいことが書かれた資料とかはないのかい?」


 母さんがリモコンを操作してDVDを停止させた。母さんの興味がサメ映画から俺に移ったようだ。逆に今まで俺への関心はサメ映画以下だったということか。


 俺は母さんにプリントを渡した。そこにはコンテスト名や詳細な情報が書かれてあった。


「ふむふむ……まあ、このコンテストだったら参加してもいいんじゃないかな?」


「本当?」


 俺は思わず喜んでしまった。もっと強く説得しなきゃいけないかなと思っていたらなんか拍子抜けだ。俺と母さんがバチバチに対決する必要がなくなったのは嬉しい誤算である。


「ああ。琥珀。高校生活の思い出作りがんばりな」


「うん」


 ……あれ? 思い出作りをがんばれ? 確かに俺が口に出して言ったセリフではある。しかし、親だったらこういう時は「賞を取れるようにがんばれ」と応援するものではないのか? 流石の俺もそこには引っ掛かりを覚えた。


「母さん。一応、俺としては入賞をしたいなって思ってるんだけど」


「ああ。無理だね」


 母さんはキッパリと言い捨てた。なぜ無理だと言い捨てたんだ。母さんは知らないかもしれないけど、俺だってプロを相手にやりあえているんだぞ。それを知りもしない癖にと俺の心の中で憤怒の念が沸々と湧き上がってきた、


「なんで無理だと言い切れるんだ! 俺の実力もこのコンテストのレベルも知らない癖に!」


「琥珀の実力は知らない。けれど、コンテストのおおよそのレベルは見当がついているさ」


「素人の母さんに何がわかるんだよ! お互い高校生同士なんだからそこまで実力差がないかもしれないじゃないか!」


 俺は思わず声を荒げてしまう。しかし、母さんは全く動じない。


「私は知っている。このコンテストに参加する子を。その子は高校生ながら、既にプロとして仕事をこなしている。その子がこのコンテストに出ると言っている。既に賞の枠は1つ埋まってるってことだね」


「え? その人って……」


「名前は確か……蝉川 ヒスイと言ったね。詳しいことは言えないけど、私の仕事に関わったとだけ言っておく。そのヒスイって子の実力は素人目に見てもズバ抜けていたさ」


 それを持ち出されたら何も言い返せなかった。現に俺は1度“蝉川 ヒスイ”に敗北している。だから、彼女の実力が高いことをは否定できない。そして、俺の実力の程も証明できない。母さんは俺の実力を精々、素人に毛が生えた程度としか思ってないだろう。母さんの基準が蝉川 ヒスイなら、そう言うのも無理はないのかもしれない。いや……無理だと思っていても、普通子供に向かって言うか?


「まあ、アンタが3Dモデルを仕事にしたいって言うなら話は別だけど、趣味としてやる分には止めはしないさ。高校生活の思い出作りも今しかできないことだね。卒業してから後悔することがないように、がんばりな」


 母さんの無自覚な言葉に傷つけられはしたが、母さんの表情は優しかった。母さん視点では、子供の趣味に一定の理解を示す親のつもりなんだろう。でも、俺は趣味のつもりでやっていない。その辺りの齟齬そごが話を少しややこしくしてしまった。


 結局、保護者のサインは母さんのものを貰うことができた。これで俺はコンテストへの参加資格を得ることはできた。しかし、心の中でモヤモヤとしたものを抱えている。俺はただ一言、母さんから「賞を取れるようにがんばれ」って言って欲しかったのかもしれない。


 俺は自室にこもって何をするわけでもなく机に突っ伏してボーっとしていた。今は何もする気が起きない。これまでの生活では、ずっと何かしらの行動をしていた。3Dモデルの制作・習作だったり、Vtuber活動のための作業だったり。でも、今は気力が沸かない。


 1人になりたい気分だったけれど、このまま部屋にいたところで気持ちが余計に暗くなるだけだ。気晴らしに散歩にでもでかけるかと部屋のドアを開けた。廊下に丁度真珠がいて、すれ違った。


「真珠。もう帰ってたのか?」


「ハク兄ただいまー。もうって、いつもと変わらない時間に部活終わったけど?」


「ん? ああ。そうか」


 真珠の部活が終わる時間まで俺は1人で過ごしていたのか。時間の感覚すらなくなっていたな。


「ハク兄どうしたの? 何か暗い顔しているよ。何か悩みでもあるの?」


「いや、大したことはない」


「そんな風には見えないけどなあ。私には言えないこと?」


 真珠は心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。真珠の表情からは、単に俺の心配をしているだけではない、もう1つ別の感情が混ざっているような気がした。その感情は「どうして自分に何も話してくれないのか」と言うものだ。俺の気のせいかもしれないけれど、真珠は俺に悩みを打ち明けて欲しそうな感じを出している。


「まあ、そうだな。あんまりおもしろい話じゃないけど、良かったら聞いてくれ」


「うん」


 俺は真珠にさっき起こったことを話した。あるコンテストに参加したいこと。そのことで母さんに許可を取りに行ったら、まるで入賞は無理みたいな扱いをされたこと。俺は母さんに応援して欲しかっただけだと言う感情を伝えた。


 真珠は黙って頷いていた。真珠自身にも何か思うことがあったのかもしれない。


「そっかそっか。ハク兄。それは辛かったね。でも、安心して! 私がお母さんの分までハク兄のことを応援するから! 入賞するように祈っておくよ」


「ありがとう真珠。少し元気が出てきた」


 誰かに話したことで気が軽くなったのか。それとも真珠の応援が効いたのか。それはわからないけれど、気持ちの切り替えはきちんとできた。


 その切り替えのお陰で俺の心に逆に火がついた。このコンテスト……絶対、金賞を受賞してやる。そうすれば、母さんだって俺を認めざるを得ないはずだ。逆に言えばチャンスかもしれない。母さんは“蝉川 ヒスイ”を高く評価している。その彼女に勝てば、それこそCGデザイナーになることを認めてくれるかもしれない。


 軽い気持ちで参加したコンテストだったけれど、もしかしたら俺の今後の進退に関わるかもしれない。そう思うと余計に全力を尽くさなければならないと感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る