第62話 打ち合わせ

 俺は匠さんと打ち合わせをするために、匠さんの会社に出向くことになった。服装なんだけど、これが結構悩む。今日は簡単な打ち合わせだけだから、そんなにフォーマルな恰好をしなくて良いと言っていた。だけど、これが罠である可能性もある。就活では良く聞く話だ。ラフな格好をして来て下さいと言われて、本当にラフな格好で言ったら周りは全員スーツだらけだと言う。


 社会人は人狼のように平気で嘘をつき、騙して、正直者を食い物にするような存在だ。この文言もどれだけ信じていいのかわからない。


 だが、俺は高校生と言う立場だ。公私の場どちらでも使える攻守最強の学生服がある。今日はこれを着ていこう。


 俺は地下鉄を乗り継ぎ、都内にある匠さんのオフィスへと足を運んだ。新しく出来たばかりのオフィスなのか、かなりピカピカで綺麗な印象だ。オフィスの入り口のところには電話が置いてあって、御用の方はこちらにおかけくださいと書いてあった。俺は指示された通りの内線番号を押して電話をかける。


「はい。こちら、Vストリーム株式会社です。本日のご用件をお伺いしてもよろしいですか?」


 女性の声が聞こえる。俺は当然こういう経験は初めてなわけで、少しばかり緊張してしまう。


「えっと……本日、御社の里瀬様と打ち合わせ予定の賀藤と申します」


 とってつけたような敬語を使う。これで合っているのかは知らない。


「はい。里瀬ですね。少々お待ちくださいませ」


 内線が切れた。同時に俺はホッとしたような気持ちになった。なんとか通じてくれて良かった。


 しばらく待っているとエレベーターから匠さんが出てきた。匠さんの服装は……白いTシャツにジーンズという正にラフを絵に描いたような恰好だ。それなりに似合っているのがなんか嫌だ。やっぱり高身長でスタイルがいいと、何を着ても似合ってしまうのだろうか。


「お待たせ琥珀君。それじゃあ会議室に行こうか」


「はい」


 俺は匠さんに案内されるがまま会議室へとついて行った。会議室はそこまで広いとは言えない。机も椅子の数も少ないように思える。


「さてと。座って待っててくれ。今飲み物を出すから」


「はい」


 匠さんは俺を会議室に置いて出て行ってしまった。社長自らが飲み物を出す? 人員が足りてないのだろうか。こういうのは雑務の人が出すものだと思っていた。


「お待たせ」


 匠さんはグラスに注がれた麦茶を持ってきてくれた。触ってみると丁度いい冷たさだ。


「いただきます」


 俺は麦茶を口に含んだ。さっきのやりとりで緊張しているのか少し喉が渇いてしまっている。そこにこの冷たい麦茶は精神的にありがたい。人間という生き物は冷たい水を飲むと落ち着くように出来ているのだ。


「さてと。それじゃあ、早速話を進めていこうか。何から話そうかな。キミが作った3Dモデルの取り扱いについての話をしようか。権利と金銭関係は先に決めておかないとトラブルの元になりやすからね」


 匠さんは何枚かの紙を俺に手渡した。小難しい文字がギッシリと書いてあって、見ているだけで頭が痛くなってくる。


「要約するとキミが作った3Dモデルをウチの会社が買い取るというものだ。3Dモデルに関する権利。使用権、販売権、改造権、その他諸々の権利はウチが貰うことになっている。つまり、制作者は琥珀君だけど琥珀君はこのモデルを使用することができないというものだ」


「うーん……そうですか」


 うーん。3Dモデルの出来が良かった場合、販売している立場としては自由に売れないのは少しネックだな。だけど、買い切りという形なら安定して利益を出せるという点では、普通に販売するよりかはいいのかもしれない。


「モデルの使用権はあくまでもウチにある。けれど、モデルの制作者の名前は希望があれば公表する。つまり、琥珀君がウチに卸したモデルの制作者だと主張できるというやつだ。もちろん、他者と取引する際に見せるポートフォリオに載せることも可能だ」


 そこが許されているのは、駆け出しの身としてはありがたい。この仕事が実績となり、今後の仕事を生む可能性だってあるわけだ。金額次第では受けてみてもいいかもしれない。


「そして、報酬についてだけど、一括で完全に買い取る形になる。例えば、琥珀君制作のモデルが、とんでもなく人気のVtuberになったとする。その時、どれだけ莫大な利益を生んだとしても、琥珀君側には一切の報酬はない。その代わりに、そのVtuberが収益審査に通らなかったりした場合でも、琥珀君には一定の報酬が約束されている。まあ、ウチはそんな売れないような打ち出し方はしないけどね」


「後腐れがないような報酬体系でいいですね」


 問題は報酬額だ。本来なら自由に使えるはずの自作モデルの使用権を与える。それには相応の金額がやはり欲しい。


「報酬はそれなりに弾ませてもらう。こちらのイメージとするデザインをしてもらって、更に3Dモデルまで作ってもらうとなるととんでもない労力になるだろう。だから、この金額でどうだ?」


 匠さんは電卓を叩き出して、その数字を俺に見せた。


「ふぇ!?」


 思わず変な声が出てしまった。そこには300万円という文字が入力されていた。その数字はとてもじゃないけど高校生が稼げるような金額じゃない。俺が今まで稼いだ金額とは正に桁違いの数字だ。顧客のイメージに合わせるという制約があるものの、3Dモデル1体につき、300万円という数字はかなり魅力的だ。


「まあ、この数字が少ないというのであれば、仕方ない。今回の話は……」


「受けます」


「ん?」


「俺、この仕事やりたいです。やらせてください」


 完全に二つ返事でのOK。断る理由が特に見つからない。


「そ、そうなんだ。でも、琥珀君はまだ未成年だ。そんな重要なことを親の同意なくして決めることはできない。お父さんかお母さんのどちらかに同意を貰って欲しいんだ」


 そう言うと匠さんは契約書を俺に手渡した。そこには俺本人が名前を書く欄と保護者が名前を書く欄があった。


 父か母か。どっちか片方だけでいいのか。母さんはないな。もし、このことを相談したら、その時点でゲームオーバーだ。反対するに決まっている。父さんなら俺のやりたいことを応援してくれているから、認めてくれると思う。


 改めて思うけど、父さん日本に帰って来てくれてありがとう。もし、父さんが海外にいたままだったら、この案件を受けられなかったかもしれない。そう思うと父さんには感謝しかない。


「わかりました。親に相談してみますね」


「ああ、頼むよ。ついでに守秘義務の契約書も締結するから。こちらも話をよく聞いて欲しい」


 俺は匠さんから守秘義務について説明を受けた。特に珍しい話ではない。一般的な守秘義務だ。例え、家族であっても情報解禁前までは情報を漏らしてはいけない。情報解禁後でも特定の情報を発信することは制限されている。特に、企画段階での3Dモデルの設定なんかも、Vストリーム側が公表しない限りは外部に漏らしてはいけない。


 俺は未成年だから、当然これも親の名前と印が必要だ。万一の時は、親にも賠償責任が生じる可能性がある。その万一のことは起こす気はないけれど、これも母さんには頼めないな。


「それじゃあ。琥珀君いい返事を期待している」


 そんなこんなで匠さんと俺の打ち合わせは終わった。匠さんとしては、ここで作る3Dモデルのイメージも伝えたかったと言っていた。けれど、まだ守秘義務を正式に交わしてもいない俺に情報を渡すわけにはいかなかったのだろう。社会人は本当に制約が多いな。


 というわけで、その日の夜。俺は父さんに事情を説明してサインを求めた。しかし、父さんの言葉は意外なものだった。


「琥珀。お前、本当にこれ契約して大丈夫なのか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る