第15話 歌ってみた動画

 平日の昼間。学校終わりの時間帯。賀藤家の面々の行動は以下の通りになっている。


 鉱物学の研究者である父さんは、フィールドワークで海外赴任中。演出家である母さんも毎日遅くまで仕事をしている。会社務めでSEの兄さんもこの時間帯には帰ってこない。妹の真珠も部活で帰るのは夕方過ぎになる。


 つまり、この家に住んでいる人物でこの時間帯に家にいるのは俺しかいない。歌ってみた動画の録音をするタイミングは正に今!


 配信は声を抑えればなんとか不審に思われずに済む。けれど、歌となるとやはり大きな声量を出さなければいい歌声は出ない。大音量で歌えば、家族に迷惑がかかるから、夕方以降に録音するのはなしだ。


 緊張してきた。この日のために準備をしてきたのだ。二次利用可能な音源探しから、Mix(歌声と音源を混ぜ合わせて聞きやすくする作業)をしてくれる人探しから交渉や打ち合わせまで。


 俺は意を決して、録音を始めた。俺が今回歌うのは、女性ヴォーカルのアップテンポの曲だ。歌詞を間違えないように慎重に歌う。歌を歌いきることしか考えない。それ以外のことは思考をシャットダウンし、頭を真っ白にする。


 歌もサビに入り、これから盛り上がるというところ。事件は起きた。


「いえーーーああーーーー!!」


 窓の外から小学生の叫び声が聞こえた。


「うぇーーーい!!」


「じゃーーねーー!!」


 俺は失念していた。今は昼間だ。小学生の下校時刻と見事なまでに被っている。となると当然、騒ぐ小学生が現れてるのもしょうがないことだ。


 俺は一旦録音をストップし、音を確認する。見事なまでに小学生の「うぇーい」が録音されていた。


 いきなり出鼻を挫かれたな。今回はたまたま運が悪かっただけだ。また録音しよう。


 俺は歌い始める。すると今度は、救急車がサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行った。


 なんてこった! 救急車じゃしょうがない! 人命の方が大事だからな!


 ダメだ。どうしても住宅街だと雑音が入る。俺の家の立地条件的には録音に向かない。


 かといって防音設備があるスタジオを借りるお金もないし、どうしたものか……あ、そうだ。防音と言えば姉さんのマンションだ。姉さんは自宅でベースの練習をするために防音の部屋を借りたと言っていた。ちょっと、姉さんに頼んでみよう。


 俺は姉さんに電話をした。


「もしもし。姉さん?」


「ん? どうした琥珀?」


 寝起きを思わせるくらい気怠そうな姉さんの声が聞こえる。


「ちょっと姉さんの部屋を貸して欲しいんだけど」


「いいけど何に使うの?」


「ちょっと歌の録音に使いたいんだ」


「ん。いいよ。私は寝室で寝てるから勝手にあがってて」


 そう言うと姉さんは電話を切った。本当に寝起きだったのか。姉さんのマンションの合鍵は万一の時に備えて実家に置いてある。俺はその合鍵を持って、姉さんのマンションに向かった。



 姉さんの家に入ると、そこそこ散らかっていた。チューハイの空き缶がそこら中に転がっている。ちょっと前に掃除したばっかなのに、よくもまあこんなに散らかして。


 寝室の扉が閉まってる。寝室とリビングも防音の壁で仕切られているので寝ている姉さんを起こす心配はない。


「それじゃあ早速録音するか」


 俺はスマホを音楽制作アプリを起動させた。本当はちゃんとした機材が揃っているパソコンでやりたかったけれど、仕方ない。自宅からここまで運び入れることはできなかった。今ではスマホで歌動画を録音できる時代になった。


 諸々の設定をした後、俺はなんどか録音テストをしてみる。よし、この音質なら問題なさそうだ。ということで、俺は再び歌い始めた。


 やはり防音のマンションは安心する。自宅でもそれなりに大声で歌っていたと思うけれど、それでもやっぱり近所迷惑にならないように若干のセーブはあった。けれど、この防音マンションではそういうのは気にする必要はない。思う存分、心の赴くままに歌うことができる。


 無事に録音を終えた俺。俺は、自分の歌声をチェックする。ノイズとかその辺りは問題ないと思う。後はこの歌声のクオリティがどれだけのものかというのが問題か。俺は音楽を専門にやってないから、本職の人と比べたら見劣りするかもしれない。けれど、アップロードしてみないことにはなにも始まらない。


 折角、姉さんに歌声を鍛えられているんだ。だったら、この歌声を活用しないともったいない。というか、そうしないとただ単に無駄に時間を削られただけになるからな。


 後はこの音をMix依頼に出して、ショコラが口パクしているモーションの動画と併せて、エンコードして……と、やることが多い。当初はMixすら自分でやろうと思ったけれど、流石にこれを自分でやるには労力と時間がかかりすぎる。ただでさえ、CG制作とVtuber活動に追われているんだから。時間と体力は有限だ。個人の力には限界があると思い知らされたのだ。俺もついに人に依頼をする立場になったのか。そう思ったら、何だか感慨深いものがあった。


 とりあえず、クオリティは妥協したくないからMixは有償の人に依頼するつもりだ。幸い、支払いは月末まで待ってくれるらしい。なので、先月分の収益から、報酬を支払うことは可能だ。俺の残り僅かなお年玉貯金を切り崩さなくて済む。


 俺は一先ず、姉さんのマンションから退室し、自宅へと戻った。一通りの作業を終えて、俺は就寝した。



 Mix師に依頼を出してから10日程が経過した。依頼していたものが完成し、納品されたのだ。俺は早速、Mix師の人にお礼のメールを出して、月末に報酬を振り込む旨のことを伝えた。こういう細かなコミュニケーションのやり取りも仕事をしていく上では重要だ。


 俺は早速納品された音声を聴いてみる。すると編集する前よりも格段に聞き取りやすくなっていると感じた。歌声は自分のもので変えようがないからしょうがないけど、少なくとも耳に心地いいと思う。後はこの歌声を聴いてくれる人が気に入ってくれるかどうかだ。


 歌声とショコラのリップシンク。表情変化。カメラワーク。字幕入れ。これらの作業に数日の時間を費やした。多大な苦労の末、ついに歌ってみた動画が完成したのだ。


 長かった。この動画1本上げるのにかなりの時間を要した。けれど、満足だ。完成した成果物を頭から再生させるだけで、不思議と達成感が湧いてくる。


 この動画をエンコードし、俺は初めての歌ってみた動画を上げた。正直言って、俺の歌声がどこまで評価されるかわからない。姉さんは気に入ってくれたみたいだけど、世間一般の評価というものがどれほどのものなのか。緊張してきた。


 ショコラの動画を初公開した時ですらこんなに緊張しなかった。モデリング技術に関しては一定の自信があったから、そこまで心配はしてなかった。でも、歌唱力に関しては自信があるわけじゃない。期待と不安の気持ちが半々の状態だ。


 アップロードしてから数時間後、俺は動画に付けられたコメントを確認した。


『ショコラちゃん歌上手い!』

『この歌声は間違いなく女の子』

『男説信者息してるかー?』

『歌声がセクシーでえっちだ』

『ショコラママに子守唄歌って欲しい。ばぶばぶ。おぎゃー』

『モーション技術の高さが凄い。本当に個人勢?』


 好意的なコメントが多くて安心した。歌が上手いというコメントは素直に嬉しいし、歌以外でもモーションに関して褒めてくれる声があったのは嬉しいことだった。やはり、俺としては一番に売りたいものはショコラなのだ。俺が歌動画を出したのも、俺の歌声を売るのが目的ではない。あくまでも、ショコラをプロデュースするための1つの戦略に過ぎないのだ。だから、ショコラのモデルを褒めてくれるのが最も嬉しいことなんだ。


 なんか女の子説が有力になってきているけれど、これは見なかったことにしよう。女声ヴォーカルの歌を練習したせいか、より高音を出しやすくなったと思う。後、子守唄は絶対に歌わない。変態が喜ぶだけだ。

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