第27話『試験対策法』

 5月12日、火曜日。

 新しい席になってから4日目。

 前の席から一つ右に移動しただけなのもあり、新しい席で授業を受けることに早くも慣れた。

 あと、向日葵と福山さんと一緒にお昼ご飯を食べるようになったのをきっかけに、朝礼前や昼休みなどに5人で窓側の一番後ろで話すことが増えている。

 岡嶋と津川さんはもちろんのこと、福山さんもとても楽しそうに話していて。話の波長が合うのかもしれない。

 向日葵も3人ほどじゃないけど話すことがあり、たまに笑顔を見せてくれることもある。ただ、笑顔のときに僕と目が合うと、頬を赤くするけど。

 こういう時間を過ごせるのは、向日葵と隣同士の席になったからだろう。席替えのとき、ここの席のくじを引けて本当に良かった。




 放課後。

 いつもと違って、終礼が終わったらすぐに教室を出て行く生徒はあまりいない。なぜなら、今日は中間試験1日目の1週間前だからだ。

 武蔵栄高校は定期試験1日目の1週間前から、全ての部活の活動が原則禁止になると校則で定められている。禁止期間は最終日の試験が終わるまで。

 僕は部活に入っていないけど、こうしていつもと違う風景を見ると、定期試験が近づいてきたのだと実感する。

 ちなみに、僕は普段より少なめだけど、今週末まではバイトのシフトを入れている。来週は中間試験が終わるまでは全く入れていない。


「加瀬! いや、加瀬先生! 今回も理系科目と古典と世界史Bを教えてくれ……いや、助けてくれ!」

「あたしは数学Bと化学基礎と英語! まあ、英語はカイ君にも教えてもらえるからいいとして、少なくとも理系科目2つを教えてくれませんか! 今日からさっそく!」

「今回もちゃんと2人でお礼する!」


 岡嶋と津川さんは僕に頭を下げてきた。高1の1学期の中間試験から、今のように苦手科目を教えてくれと頼んでくるのが恒例となっている。


「分かった。今回も分からないところや不安なところは教えるよ。その代わり、ちゃんと勉強するんだよ。試験が明けたら、ナノカドーのフードコートで奢るか、津川さんがバイトしているスイーツ店のお菓子を買ってきてくれ」


 そして、2人の不安な教科を教えるのも恒例となっている。


「ありがとう、加瀬!」

「加瀬君ありがとう!」


 岡嶋と津川さん……救われたような顔で僕のことを見ている。今言った教科がそんなにも不安に感じているのかな。

 本人達の頑張りのおかげか、それとも僕が教えたおかげか……2人は今まで赤点を取ったことはない。今回の中間試験でも赤点を免れるために、2人に力添えをするか。僕も2人に教えることで勉強の理解が深まるし。


「桔梗。千恵と岡嶋君に頼られているんだ」

「ああ。定期試験前恒例のことだよ。僕がバイトのある日以外は、定期試験が終わるまでほぼ毎日勉強会。学校からは一番近いから、放課後は僕の家でするんだ。津川さんはバイトがあって来られない日があるけど、岡嶋は必ず参加する」

「そうなの……」


 真面目そうな様子でそう言う向日葵。


「ひまちゃん。部活ないし一緒に帰ろう? それとも、図書室で定期試験の勉強か課題でもしていく?」

「う~ん……」


 向日葵は真剣そうに、腕を組みながら何やら考えている。


「愛華。一つ提案があるんだけど」

「うん、何かな?」

「桔梗と千恵、岡嶋君は定期試験が終わるまでほぼ毎日勉強会するんだって。その勉強会に、あたし達も参加させてもらうのはどうかしら?」

「えっ」


 想像もしないことを向日葵が口にしたので、僕は思わず声が漏れてしまった。それもあってか、福山さんに向けていた向日葵の視線が僕に向く。


「学年1位の成績を取る一番の近道は、これまでずっと1位の成績を取り続けていた桔梗から教わることだと思って。それに……この前、数学Ⅱの課題で質問したとき、桔梗は分かりやすく教えてくれたから」

「なるほど。合理的な考え方だね」


 これまでの向日葵からして、課題はともかく、試験勉強は「ライバルの力なんて借りない!」と言いそうだったので意外だ。


「あたしも理系科目は得意じゃなくて。これまでは愛華に教えてもらっていたの。もちろん、愛華の教え方が悪いってわけじゃないよ」

「分かってるよ」


 これまでは福山さんに理系科目について助けてもらっていたんだ。人から教わることの大切さを知っているから、ライバルである僕からも教わろうと考えるのか。


「百合さんには教えてもらわないのか?」

「文系科目と英語は教えてもらうことはある。ただ、理系科目は教えられる自信ないって。簡単な内容なら教えてくれるけど」

「そうなんだ」


 文系クラスOGで、現在は大学の文学部に通う2年生。百合さんの通っているところには、理系関連の講義はあまりないのかな。


「私も加瀬君が一緒に勉強できると心強いな。高1まで数学は何とかなっていたけど、数学ⅡとBは難しいって思うことが増えたから。それに、さっきのちーちゃんと岡嶋君のお願いの仕方を見ると、加瀬君はかなり頼りになるみたいだし」

「加瀬はどんな教科でも分かりやすく教えてくれるぞ!」

「カイ君ほどじゃないけど、あたしも加瀬君には助けてもらったわ」

「そうなんだ。……ということで、ひまちゃんの今の提案に私は賛成でーす」


 はーい、と福山さんは右手を軽く挙げる。そんな動きも彼女の朗らかな笑みも可愛らしくて、癒される。向日葵も柔らかな笑みを浮かべ、福山さんに対して小さく頷く。


「ありがとう。……ということで、あたし達も勉強に参加したいんだけど、3人はどう?」

「あたしは大歓迎だよ!」

「俺もいいぜ!」

「僕もいいよ。じゃあ、今日は5人でうちで勉強するか」

「ちょっと待って、加瀬君。和花ちゃんにも聞いてみる。掃除当番が同じで仲良くなったから。それに、彼女は頭いいし」


 そう言うと、津川さんは冴島さんのところへと向かっていく。冴島さんも頭がいいのか。さすがはクラス委員長。勉強のことで訊ける人は一人でも多い方がいいか。

 津川さんは冴島さんに話しかける。すると、冴島さんは申し訳なさそうな様子になっている。どうしたんだろう?

 それから程なくして津川さんが戻ってきた。彼女の話によると、冴島さんは他のクラスメイトや1年のときからの友達と一緒に勉強する先約が入っているのでパス。明日以降は予定が空いている日もあるから、そのときは一緒に勉強しようとのこと。

 勉強会メンバーはみんな掃除当番ではないので、一緒に教室を後にする。

 校舎を出たところで、撫子に向日葵達と家で勉強会をすることと、撫子の部屋にあるクッションを使っていいかどうかのメッセージを送った。すると、撫子からすぐに返信が。


『そっか、分かった。クッション使っていいよ。私は運動系の部活に入っている友達とナノカドーとか駅近くのお店に行くの。普段は放課後に一緒に遊べないから』


 なるほど。まあ、こういうときじゃないと、放課後の活動が休みにならない部活ってあるよな。試験1週間前だし、今日くらいは遊ぼうと決めたのかな。


『分かった。車とかには気をつけて。クッションありがとう』


 と返信した。普段はなかなか遊べない友達との時間を楽しんでほしい。

 撫子がトーク画面を開いているのか、僕の返信に『既読』とすぐに表示される。それから数秒も経たないうちに『いえいえ』と返信してくれた。

 家の近くにあるコンビニで、勉強会中に食べるお菓子を買い、僕は向日葵達と一緒に家に帰った。

 女子3人がかぐやに会いたいと言ったので、リビングにあるケージを見ると……そこにはかぐやの姿はなかった。

 とりあえず、向日葵達を僕の部屋へと案内する。その際、部屋の扉が少し空いていた。もしやと思い部屋の中に入ると、かぐやが僕のベッドの上でのんびりと眠っていたのだ。


「かぐやちゃん、ここにいたのね!」

「のんびりしてて可愛いね。加瀬君の匂いが好きなのかな」

「ひさしぶりに会うけど、相変わらず可愛いね!」

「そうだな、ちー。俺達が来たのは……1年の学年末試験以来か」


 そう言うと、向日葵達4人はバッグを置いて、かぐやのところへと向かう。

 4人とも今まで面識があり、触らせてあげるほどなので、彼らが近づいてもかぐやは動じない。向日葵と福山さん中心にかぐやと戯れている。


「僕、撫子の部屋から足りない分のクッションを持ってくるよ」


 僕の部屋にあるクッションは4つ。勉強するのは5人だけど、かぐやの分も必要かもしれない。2枚持ってくるか。

 僕は撫子の部屋に行き、テーブルの周りに置かれているクッションを2枚拝借。クッションを持って自分の部屋に戻る。


「ただいま。クッション持ってきたよ」


 部屋に戻ると、今は岡嶋と津川さんがかぐやに触っていた。

 4人の近くへ行くと、かぐやが急に立ち上がり、ベッドから降りる。


「にゃんっ!」


 そう鳴くと、僕の足に飛びかかってきたのだ。そのことに驚き、僕は足元がふらついてしまう。


「うわっ!」

「きゃっ!」

 ――ドンッ。


 僕は近くにあるクッションに足を取られてしまい、一番近くにいた向日葵のことを押し倒してしまう。そのときに鈍い音が響く。

 

「ひまちゃん、加瀬君、大丈夫?」

「大丈夫? 向日葵ちゃん、加瀬君」

「2人とも大丈夫か?」

「……僕は大丈夫」


 向日葵がクッションになってくれたおかげで、体の痛みはあまりない。

 ただ、心配なのは向日葵だ。床に体を打ち付けたことや、僕がのしかかってしまったことでケガをしているかもしれない。

 少し体を起こすと、目の前には向日葵の顔が。目を瞑っている状態だけど……まさか、倒れた衝撃で意識を失ってしまったのか?


「いたたっ……」


 苦痛そうな表情をして言うと、向日葵はゆっくりと目を開ける。とりあえず、意識はあるようだ。


「向日葵、ごめんね。体は大丈夫か?」

「うん、まあ何とか……きゃあっ!」

 ――パシンッ!


 僕と目が合った瞬間、向日葵は怖がった様子でそう叫び、右手で僕の頬を叩いた。僕に押し倒されてしまったのが嫌だったのだろう。あと、今のピンタは押し倒してしまったときよりもずっと痛い。

 僕が体を起こすと、すぐさまに福山さんが向日葵のところへ。向日葵は福山さんに支えてもらいながら、ゆっくりと上半身を起こした。


「ひまちゃん、大丈夫?」

「……ええ、何とか」

「ごめんね、向日葵。僕のせいで痛い思いをさせちゃって」

「……いいのよ。不可抗力だって分かっているから。あと、頬を叩いちゃったのは……昔、嫌なことがあったのを思い出して、その条件反射で」

「そうか」


 思い切り頬を叩いてしまうほど、向日葵にとっては衝撃的な経験だったんだろうな。

 あと、福山さんはいつも笑顔なのに、彼女の顔から笑みが消えている。向日葵の経験したことについて知っているのかな。それについては訊かないでおこう。


「桔梗は何も悪くないわ。ごめんなさい」

「気にしないで。叩かれたところも痛くなくなってきたし。向日葵はどうだ?」

「背中の痛みもちょっとずつ取れてきてる。少し経てば普通に勉強できると思う」

「分かった」


 少しずつでも痛みが治まってきているようで良かった。僕と同じことを思っているのか、福山さんの顔には再び笑みが浮かんだ。


「にゃん」


 かぐやは撫子の部屋から持ってきたクッションの上でゴロゴロしている。


「きっと、かぐやはそのクッションについている撫子の匂いを感じたんだろう。かぐやは撫子のことが一番好きだから」

「そういえば、撫子ちゃんと一緒に勉強したとき、撫子ちゃんの側から離れなかったことがあったね」

「撫子ちゃんが一緒だと、彼女の側にいることが多かったよな。ということは、大好きな撫子ちゃんの匂いがついたクッションを加瀬が持っていたから、かぐやは急に起き上がって、加瀬の足に飛びついたと」

「そういうことだと思う」


 もし、僕のすぐ近くに、この部屋のクッションがなかったら、向日葵を押し倒してしまうことにはならなかっただろう。

 それから少しして、向日葵の体の痛みも治まったそうだ。なので、勉強会を開始する。今日の授業で出た課題を取り組んだり、みんなが苦手にしている理系科目中心に勉強したり。

 向日葵も分からないところを僕に何度か質問してくれた。押し倒してしまったときに体が密着したけど、向日葵の平然とした様子を見る限り、あまり気にしていないようだ。

 僕は主に教える立場だけど、充実した勉強会になったのであった。

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