第45話 俺とアイツは、きっと考え方が違うんだ。でもよ……。




 バカみたいにピーカン晴れな通学路。グワーっと大口を開けて、あくびをする頃にはもう12時を過ぎていた。

 昨日の晩はバイトも無く、特に予定があるわけでもなかったが、ウジウジと俺らしくもねぇ。丸一晩、どうしようもない事を考えていたら、結局変な時間に目が覚めてしまった。

 母ちゃんも起こしてくれりゃいいものを、なんて一瞬悪態をつきかけたが、そういえば、昨日から夜勤で、家には俺ひとりだったことを思い出した。

 ようはただの寝坊だ。本当は、遅刻するたびにアイツが悲しそうな顔をするもんだから、今日こそはなんとしてでもと、考えてはいたんだけどさ。

 そうはいっても胸に引っかかるあの言葉。昨日の帰り、公園でアイツが言ったあの言葉が、胸のしこりとなって残り続ける。

 俺を一晩悩ませた、寝坊の元凶。


 『――アナタは、将来をどう考えていますか』


 まっすぐと、形の良い瞳でこちらを見据え、さらには鈴を転がしたような声で問いかけてくるんだもんな。

 んなこと言われても、そんなもん、あれだ。どうせ、あのマジメちゃんのことだから、進路だのなんだの、高校卒業後の腹づもりを聞きたかったんだろうけどよ。


 ――コイツを前にすりゃ、俺の言いたいことは決まっている。


 だけどよ、どっかの誰かさんに想いを伝えたい、それこそ彼女にしたいだのなんだのと、そんな歯の浮くような台詞なんざ、面と向かって……言わなきゃ始まんねぇけど、言えるわきゃないからさ、どう足掻いてもはぐらかすしか無いんだよ。それに、

 こんな、はみ出しもんに。

 こんな、嫌われもんに。

 こんな、先の見えない半端もんに。

 間違っても、そんなヤツが言えた台詞じゃねぇからよ。心底惚れた女だし、アイツの事を考えりゃ、俺の気持ちなんざ迷惑なだけだ。

 昨日、あの一年坊を前にして、しっかりと覚悟を決めたつもりではいたけどな。所詮は同じ穴のムジナ。ヒトの事なんて笑えねぇ。

 やっぱり俺は、テメェの都合ばっかでアイツを振り回したくねぇからさ、偉そうに口上たれた手前、情けなくてたまらねぇが、結局、アイツの顔を見ちまうと、声を聞いちまうと、手を繋いじまうと、なんてことはねぇ。臆病風に吹かれてしまう。

 かっこわりぃよな。一言『好きだ』と言えば終わるもんだけど、いろんな意味で終わりたくねぇっていうのもあって、俺は、身をもって知っているからさ。嫌われるのは簡単なんだ。昨日まで隣にいたヤツが、あっさりと離れていくんだ。でもそれは、やっぱり辛れぇことなんだよ。


 ……呆れるほどに晴れ渡る空を見上げて、頭を掻いた。どうにも愚痴しか出てこない。


 昨日一晩思い悩んで、どうにも後ろ向きな答えしかだせなくて、ったく。ナヨナヨした感情に、負けちまいそうになる。

 あぁ。なんだか気分も乗らないし、このままサボって、どっか行っちまうか。

 なんて、出来もしないことを言い出す始末。ったく、質が悪い。

 恥ずかしい話、アイツが今日も弁当をこしらえてくれてるかも、そんな事を考えちまったら、たとえ遅刻をしようとも、休むなんて選択肢が自分の中にあるはずもなく。

 だって、スゲぇいい顔で笑うんだ。アイツからのあいさつを、ただ普通に返しただけなのに。

 それに、スゲぇ嬉しそうに頷くんだ。今日の弁当も旨かった。俺はそう言っただけなのに。

 そして、スゲぇ可愛いんだ。ただ、一緒に並んで帰ってるだけなんだけどさ。

 アイツのしょんぼりとした顔は見たくねぇし、それに、なんだか一度喰わないと、それ以降作ってもらえないんじゃないか。じゃぁやめましょうなんて言われるんじゃないか。

 俺とアイツでは、異性に弁当を作る。その意味合いが違ってるみたいだからさ。それに、俺にとっては、アイツとのつながりは、その弁当しか無いからよ。それが何かのきっかけで、終わっちまうんじゃないか。そうなれば、アイツが離れていってしまうんじゃないか。そうビビっちまう。

 俺は、本当に、アイツにだけは嫌われたくねぇんだよな。

 あぁそうだよ。情けねぇヤツなんだよ俺は。まぁ、それでもせめて言い訳くらいさせてくれ。


 ……正直、一目惚れだった。


 例の校舎裏で、たまたま煙草を吹かしていたあの日。突然だもんよ。雷に打たれたような衝撃だった。

 なんせ、ソイツは目の覚めるような美人で、雑誌から飛び出してきたようなスタイル。それに、なんだろうな、言葉では言い表せないが、コイツしかいねぇ。一目見たその時に、そう感じちまって。

 だけど、俺はバカだからさ。男子はかくあるベし。っていうだろう? だから、少しでもカッコ良いとこを見せようと張りきっちまって。

 最初っからミスったんだよな。どこの誰か探さなきゃなんて、鼻息荒く居たくせに、向こうから話しかけてきたもんだから、柄にも無くアガっちゃってよ。

 あれよあれよという間に、そっけない一言で終了だもんな。あの日は凹んだもんだ。

 思えば、そっからは艱難辛苦の毎日だった。

 ダセぇとこは見せらんねぇと、俺から話しかけることは無かったし。

 弱ぇとこは晒せねぇと、せっかくの弁当を断って。

 中学のときと違って、周りのヤツらもお節介ヤロウ揃いなもんだから、どうにかアイツとの関係も今まで繋がっちゃいるが、それが運の尽きと言えば運の尽き。

 だってよ、もし俺が自分の力だけでアイツと仲良くなれたんなら、もっと自信ってもんがついたんじゃないだろうか。出来もしないクセにと笑うヤツがほとんどだろうけどさ、なんせ、弁当を受け取っちまったあの日。明日も持ってくると、潤んだ瞳で言われた放課後。俺は、ぶっきらぼうに言いはしたけどよ、完璧に骨抜きだよ。完敗だよ。瞬殺だよ。

 それ以降、俺はアイツに頭が上がんねぇ。教室でも後ろ姿を目で追っちまうし、少しでも日が傾けば家の近くまで送ってやんねぇと気が気でない。

 それに、勉強なんざこれっぽっちもしたくねぇのに、つきっきりで教えるなんて言葉にホイホイと着いていってよ、『アナタなら大丈夫です』そう優しく微笑まれりゃ、進級のかかった試験なんざ、満点とらなきゃ男じゃねぇ。と、きたもんだ。

 要するに、完全に主導権握られちまってんだ。そりゃたまにはさ、抵抗の一つもするけどよ、結局最後には負けてんだよな。勝ち負けじゃないのはわかってるけど、こんなんじゃ、自信なんてつきようがないだろう。それこそ、あと残された手といえば、逆転サヨナラ満塁ホームランみたいなもんだけどよ。


 ――もう勘違いするしかねぇだろう。それでもって、突っ走るしかねぇだろう。


 だってよ、俺みたいなのが告白するんだ。

 こんな俺だぜ。十のうち九つまでは、こんな悪タレになびく女子なんていねぇ。それでも諦め切れねぇんなら、バカみたいだけどな、勘違いするしかないんだ。

 そりゃ、一年以上もクラスメイトやってりゃ、アイツが俺に気なんてない事はわかんだよ。例の一年坊からも、ダメ押しで脈なしだと太鼓判押されたからな。けどよ、それでも、ほんの少しは感じるんだ。

 昼休みに、俺の隣に座るアイツに。

 放課後、俺の隣を歩くアイツに。

 そして、別れ際に、また明日と手を振ってくれるアイツに。

 それこそ本当に勘違いだろうけど、もしかすると、向こうも俺のことを想ってくれてるかもなんて、そんな絵空事だけどさ、そうだと嬉しいな。なんてよ、柄にも無く期待しちまうんだ。

 まぁ、その勘違いも、結局は自信に後押しされなきゃ発揮されないんだけどな。

 昨日、あれほど腹を決めたのによ。結局、俺ってヤツは、怖がっちまって、ビビりなんだよな。我ながら、つくづくどうしようも無い。

 と、またもやグチグチと男が腐ったような、それでいて、寝とぼけたようなことを考えてるうちに、学校はもう目と鼻の先。

 時間的には昼休みの真っ最中か。こういう場合、アイツは例の踊り場に弁当箱を置いてくれているだろうから、このまま教室に行っても、二度手間だしな。それに、こんなしょぼくれた面でアイツには会いたくない。

 俺は、まっすぐに、北校舎へと足を向け、まだ出るのかと、大きな欠伸をしながら階段を上り始め、そんな、――そんなあと一階層上がれば、例の踊り場へと着く頃だった。

 廊下を駆ける足音が聞こえ、おいおいやっかい事は勘弁だぞと、まさか生徒指導の数学教諭、通称『ゴリラ』にでも見つかったのか。なんて、身構えた俺の腕を捕まえたのは、


 「――アナタは何をやっているんですかっ」


 思わず息を呑んでしまう。

 なんせ、昨日からつい今し方まで俺の脳内を我が物顔で占拠していたアイツが、少し強めの言葉と共に、どこか焦った面持ちでそこに居たのだから。

 もう。と、頬を膨らます様にドキリと胸が跳ねた。

 おう。と、とっさに出た言葉は、あいさつなのか何なのか、自分でもわかりかねた。

 それにしても、よほど急いだんだろうね。乱れた前髪が汗で額にはりついて――廊下を走るなんざこのマジメちゃんにしては珍しいこともあるもんだ。

 はっと、自分が俺の腕へと抱きついていることにようやく気がついたのだろう。彼女は焦るように一言、「ごめんなさい」そう呟くと、俺の腕を解放し、ばつが悪そうにだんまりモード。俺としては役得だからよ、いっこうに構わねえけども、むしろこの腕が脱着可能ならば、喜んで抱き枕にでもしてくれと貸し出すだろう。

 でもよ、こうなるとコイツは長いんだ。先日転びかけた所を助けたときも、こんな感じで、周りのヤツらも悪ノリしてくるもんだからよ。なにが、『美女を抱きしめた感想を、野獣の口からどうぞ』だ。

 そんなん、『ケガがねぇならそれでいい』以外の言葉は無いだろうが。

 ったく、コイツもコイツで、良い歳こいてスッ転びかけたんだからよ、そりゃ恥ずかしいのはわかるけど、じっと今みたいに何か言いたげな面で俺の顔を見つめやがるもんだから、妙な空気になっちまって、結局、バカどもが指笛なんか鳴らしてはやし立てるもんだから、ドシンと俺は突き飛ばされて散々だ。

 だから、こうなったコイツに付き合うとろくな事がねぇからさ、さっさと用件を聞くに限る。どうせ、今日の遅刻した理由だとかなんだとか、その辺のことを聞きたいのだろう。

 といっても、面倒事ならあとだ。まずは腹が減ってどうしようもないからさ。しかも、いっしょに昼メシってのもそうそう出来ないしよ、俺としては望むところだ。


 「とりあえず、メシ食おうぜ」


 それに、これだけが毎日の楽しみなんだからよ。

 そう言った俺に、彼女がもう一度、もう! と、頬を膨らませたときだった。

 つづら折りの階段をもう一階上がったところ。――日頃、俺たちしか居ないはずの踊り場から声が聞こえてきたのだ。

 そしてそれは、どこか聞き覚えのある声で、……俺は、その時の一言を生涯忘れないね。


 ――キライなヤツと、アタシは手なんか繋がないもん。一緒に帰ったりしないもん!


 なんせ、まるで俺の幻想をかき消すかのように、それでいて根っこから否定するかのように、力強く、


 ――コイツしかいないなって思って欲しいから、嬉しいなって喜んで欲しいから、早起きしてお弁当だって作るの!


 俺の背中を、目を覚ませと言わんばかりに、そりゃもう引っぱたくように力強く押してくれたのだから。

 そっから先も、何かごちゃごちゃ言ってはいたが、もう、俺の耳には届かない。だって仕方ないだろう。なんせ、


 ――俺の耳は、もはやそれどころじゃない。


 ――俺の目は、別の所を見ていて。


 ――そして、俺の気持ちはもう、アイツにしか向いていなかった。


 まさか、今日という日がこんなとんでもない日になろうとは、思いもしなかった。

 春の涼やかな風と共に、反射的に見たアイツの顔は、わなわなと口を震わせて、今まで見たこと無いほどに、そりゃもう、見事なまでに真っ赤に染まっていたのだから。



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